エヴァンゲリオンSS論2


                              A.T.フィールドに関する一考察

                                                                                       Written by史燕

はじめに

 今回の題材は、エヴァにおいて欠かすことのできない重要なファクターであり、スパロボシリーズ等では、「優秀な壁」「エヴァの存在意義」と評価されるA.Tフィールドである。
作中でも重要なファクターとして扱われているが、本編においてそれ自体の説明は明確に行われていない。
 それ故にSSにおいても十人十色、まさしく多種多様な解釈が行われている。
今回は、これまでのSS論と異なり、諸類型の概説ではなく、A.T.フィールドそのものやSSでの用いられ方について、私なりの考察を述べてみたいと思う。



1、本編におけるA.T.フィールド

 まずは、本編におけるA.T.フィールドについて、確認の意味も込めて論述していきたいと思う。
本編におけるA.T.フィールドがはじめて登場するのは、TV版第一話および第二話の第三使徒サキエルとの戦いである。
ここでサキエルはA.T.フィールドによって、シンジの乗る初号機の攻撃を防ぎ、また暴走状態になった初号機がそのA.T.フィールドを浸食し、サキエルを撃破する、という戦闘描写である。
この際、赤木リツコによってA.T.フィールドに関する一連の流れは解説されている。
なお、ここではA.T.フィールドはA.T.フィールドによって中和する必要があり、そうでなければ使徒に攻撃は届かない、故に同じくA.T.フィールドを持つエヴァによってしか使徒を倒すことができないという論理展開が行われている。

 続く第四使徒シャムシエル戦(第三話)においては、シャムシエルの鞭状の腕自体がA.T.フィールドをまとっており、武器としての利用が可能なものであると説明されている。
次の第五使徒ラミエル戦(第四・五・六話)においては、ヤシマ作戦により、ポジトロンライフルを用いてA.T.フィールドを「貫く」ことで、つまり中和による近接戦闘以外の方法で初めて使徒のA.T.フィールドを突破し、殲滅することに成功している。

 以降の使徒戦においては、A.T.フィールドとは大きく関わらないため少し省略したい。
次に特筆すべきものは、第十二使徒レリエルとの戦い(第十六話)において、レリエルが「内向きのA.T.フィールド」により、虚数空間=ディラックの海を形成し、初号機を飲み込んだことである。
これに関しては、私自身の浅学もあり、また先行研究(各種SS・エヴァサイト)でも明確な解答が得られる考察結果もないため、説明ができない。
ただ一つ言えるのは、「A.T.フィールドを用いれば虚数空間が形成できる」という事実が提示されたことである。
これによりSSにおいて、とりわけスパシンものにおいてディラックの海が使い勝手の良い移動手段として利用される作品が多くみられるが、これは別の章で述べたいと思う。

 次の使徒である第十三使徒バルディエル戦(第十七・十八話)以降、使徒との戦いでは「侵蝕」というものが、一つのキーワードとなっていく。
参号機に寄生したバルディエルは搭乗者である鈴原トウジを侵蝕し、さらには零号機にも侵蝕をしようとまでしている。
搭乗者についてどこまで影響があるのか、本編では語られていないのだが、それ故にSSにおいては、様々な考察が行われた。
一説には
「使徒の侵蝕を通じて直接的なシンクロを行っているため、参号機からのダメージないしフィードバックは非常に大きいだろう」
とするものもあり、逆に
「そもそも使徒が参号機を操っているのだから搭乗者には影響はないだろう」
とする説もある。
どちらが正しいかは、本編で語られていないため断言できないが、SSを描写する都合上、前者と同じかそれに近い説を志向している作者が多いようだ。

 続く第十四使徒ゼルエルとの戦い(第十九・二十話)が、使徒戦における力と力による正攻法の戦闘の最後である。
この戦いにより、零号機・弐号機は大破、初号機の暴走により勝利し、初号機はS2機関を手に入れるが、シンクロ率400%となった初号機と碇シンジは、相互の自我境界線を失い、同化してしまう。
作中では明言されていないが、初号機とシンジの間のA.T.フィールドが無くなり、同化したものと考えられる。
綾波レイと初号機の対話の影響、さらに初号機の中で自我を取り戻したシンジ自身の意思もあって、初号機のコアからシンジは現実世界へと帰還する。
この話において、シンクロと自我の境界線についての関係が示唆され、L.C.Lに「溶ける」という描写が行われた。

 第十五使徒アラエル(第二十二話)は、A.T.フィールドを利用した光によって、弐号機のA.T.フィールドの永享を受けず、そのまま直接、搭乗者である惣流・アスカ・ラングレーへ精神的ダメージを与え、その精神を侵蝕した。
アラエルは零号機が投擲したロンギヌスの槍によって殲滅されるが、アスカは心に深い傷を負い、廃人となってしまう。
この時初めて、使徒は直接的に人の心と接触することになる。
アラエルが図らずも覗いてしまった、惣流・アスカ・ラングレーの心を見て、アラエルにはもしかしたらなんらかの影響があったのかもしれないが、真偽のほどはわからない。

 そして、第十六使徒アルミサエル(第二十三話)は零号機と綾波レイに侵蝕・同化を図るが、零号機の自爆による殲滅という結果となった。
この中で、使徒と綾波レイが侵蝕を通じて繋がり”ココロ”に関する応答がある。
アヤナミストとしてのゆがんだ見方かもしれないが、ここで綾波レイが涙を流す描写があり、これで初めて綾波レイ自身が自分の中でこれまで育まれてきた”心”の存在を、それがどういったものであり、どのようにして育まれてきたのかを、真に理解したのだと思われる。
この評価自体も、またこの後述べることも、その解釈は各人で異なるため史燕説として理解していただきたいが、ここで使徒ははっきりと、それ以前も何度か触れる機会があった人の心と接触し、”寂しい”という感情を理解することとなる。
人類(=リリン)は「知恵の実」を得たために「命の実」であるS2機関を失ったとされているが、「知恵の実」たる人の”心”――これは理性にしろ、感情にしろ、あるいは本能的なものにしろであるが――に触れたアルミサエルはどう思ったのだろうか。
これは、もしかしたらアルミサエルにしかわからないのかもしれない……。

 最後の使徒タブリス(第二十四話)は、音も光も遮断する強烈なA.T.フィールドを発生させた。本人が望んで殲滅されたが、普通の戦闘で中和可能だったのかは不明である。
そして、人類補完計画とそれに伴い発生したアンチA.T.フィールドにより、全人類は自我の境界となる心の壁=A.T.フィールドを喪失した(旧劇場版「Air/まごころを、君に」)。

 ここまで本章で述べてきて、私が提起されたのは、「使徒にも”心”があるのではないか」という問題である。
後に述べるように、A.T.フィールドはすなわち心の壁であり、意志の発現である。
とすれば、私たちには触れる事が出来ないもの、もしくは有りようが全く異なるものである可能性もあるが、使徒にも心が存在することになる。
本来的には人類と使徒は同質な存在であるため、当たり前といえば当たり前なのであるが、彼らにも心があっておかしくはない。
では、さっき自分で言った「知恵の実」とは何なのだという話にもなるが、これこそが群体としての使徒リリンの特性である、「他者と触れ合うこと」「他者とつながること」であると私は考えたいと思う。
以上が本編中(但し新劇場版における「Q」以降の設定はまだ不明である)におけるA.T.フィールドに関する描写のうち、特筆すべき部分を大まかに羅列した。
次章からは、これらの描写についてSS作家の視点ではあるが、考察を加えていきたい。



2、SSにおけるA.T.フィールドの用いられ方

 では、次にSSにおけるA.T.フィールドについて、概説したいと思う。
なお、SSであっても、前章で述べた本編の描写と同様の描写は当然されるが、ここではそういった基本以外の特殊な事例・派生の解釈などのみを対象とする。
以下は私が知る限りのSSにおけるA.T.フィールドの利用法である。

@ 翼
 まず、SS独自のA.T.フィールド利用法として思い浮かぶのは光の翼である。言うまでもなくA.T.フィールドで構成された翼なのであるが、これをエヴァや碇シンジ(スパシン)たちチルドレン、通常のものでも綾波レイ・渚カヲルが発現させる作品がある。
本編における描写としては、OPの描写やレリエル戦での暴走した初号機、人類補完計画発動時の初号機の背中にある翼であろう。
無論翼なのであるから空を飛べるのだが、他にもA.T.フィールドだからということなのだろうが、バリアとしても利用したり、武器(ブーメランのように使用)として用いられたりする。
さらに、この「翼」の概念に神学的要素を加えて設定を根拠づけるSS作家も一部には存在する。
熾天使長ルシフェルの堕天・反乱と四大熾天使筆頭のミカエルとの戦いは、一般にもある程度知れ渡っている逸話だが、この際6対12枚の翼をもつルシフェルに3対6枚の翼しか持たないミカエルを対抗させるために、新たに3対の翼を与えた、という(巷間における創作の可能性もあり、真偽不明の)エピソードになぞらえて、「翼の数=力」という図式を形成し、背中の翼の数を取得した、あるいは覚醒した力の指標として扱った作品もごくごく少数ながら存在する。
エヴァという作品自体がキリスト教的要素を用いた作品であるため、設定上よほどの無理やりでなければある程度通用する派生設定であると思われる。

A 武器
 次に、A.T.フィールドを武器として、攻撃に転用するという方法を紹介する。
これ自体は他の利用法にも共通するが「A.T.フィールドは明確な形を持つものではない」もしくは「使用者の意思に基づいて変化させることが可能なものである」という解釈のもとに成立した利用法である。
これは、本編の使徒の攻撃方法を参考にされていることが多い。
 では、実際にどのような武器に転用された事例があるのだろうか?
例えば、剣や刀をA.T.フィールドで加工したり、そもそもA.T.フィールドで作成したりする。これは、シャムシエルのムチを参考にしたものであろう。
また、A.T.フィールドを一種のエネルギーに見立て、収束し、発射するというレーザーやビームとして利用するという方法のものもあった。
これは言うまでもなくラミエルの加粒子砲と同質のものである。

 他にも、@の翼とも似ているが、A.T.フィールドを鎌鼬のように発射したり、ブーメランや砲丸のような投擲武器として使用したりするものも存在する。
前者は、おそらく剣豪小説や漫画の発想を、後者は質量兵器としてA.T.フィールドを自身の体や体から切り離した部分に纏わせたサハクィエル(第十二話「奇跡の価値は」)を参考としたものと思われるが、もしかすると完全なるオリジナルかもしれない。
 特筆すべき例は、ロンギヌスの槍(詳しい考察は別章で行う)を構成するものである。
といっても、先にオリジナルを回収・吸収しておいて任意に作成、もしくは召喚するというものだが、A.T.フィールドとロンギヌスの槍について考察を加えるに当たり、非常に興味深い解釈である。

B 遠隔展開
A.T.フィールドを遠隔展開は、あまり例は多くないものの、理論的に無理のない解釈の一つである。
「はるか向こうで使徒を閉じ込めてしまう」という斬新な利用法をはじめとして、ヤシマ作戦時に零号機の前方に展開するなどの例がある。
また、敵の遠距離攻撃発射時に、使徒を中心とする一帯に展開することで、「攻撃を届かせない」という使用例も存在する。

C ディラックの海 次に述べるのは、ディラックの海(虚数空間)についてだ。
SSにおける利用法は「A.T.フィールドさえ展開できるのならばいつでもどこでもディラックの海を作成できる」という解釈にもとづく「移動手段」としての利用である。
むしろこれ以上特筆することはないと断言できる。
もちろん、敵としてレリエルが使うディラックの海の攻略には多くのSS作家たちが苦慮してきた事項なのであるが、如何せん虚数空間の解釈自体が曖昧で扱いにくいものであるため、「一旦虚数空間に入り、現実世界の任意の場所へ出口をつなぐ簡易的な瞬間移動」という利用法に落ち着いたものと思われる。

D 重力遮断
ここで紹介する利用法は更に特殊である。
一つは、「重力を遮断することで空中に浮く」という利用法であるが、飛行能力がなくても空中戦が可能となるという意味で画期的な解釈なのではある。
さらに、「なぜ使徒は浮いているのか?」という問いの答えにもなる。しかし、「ではどうやって都合のいい位置にいることができるのか?」という疑問が放置されたままである。
故にこの解釈自体があまり広まらなかったのかと思われる。
「何が問題なのか?」という疑問を抱いて当然でもあるため、以下に史燕なりの考察を述べる。

・重力遮断とは無重力状態と同義である。
→他に指向性や推進力となる何かを持たせなければ移動が困難である。

・また、いきなり重力を遮断した場合、遠心力等の問題が残っている。
=地球から放り出されてしまうのではないか?

他にも問題点はあるかもしれないが、なにより@で述べた翼を使えば空中戦が可能である、という事実がこの理論の考察をストップさせてしまったようだ。

E 足場
 これまで述べた解釈のうち、@の翼に関しては、「飛ぶことだけが空中戦の手段なのか?」「エヴァ自体の通常スペックに翼が含まれていないのに使用していいのか?」という問題点もある。
そのため、@の解釈を思いつかなかった(知らなかった)もしくはあえて用いることをよしとしなかったSS作家たちは、より実現性のある理論を構築した。
それが、A.T.フィールドによる「足場」である。
 おそらくきっかけとなったのは、第八話「アスカ、来日」において足場になった、そして潰されてしまった輸送艦や空母である。

これは、私の予想でしかないが

「UN軍太平洋艦隊に被害が多すぎる」「犠牲者は何千人規模なのだろう?」
→「逆行したシンジがそれを避けようとしないわけがない」
→「海を渡れればいいのに」
⇒「そうだ、A.T.フィールドを渡ればいいのではないか」

という論理展開が行われたものと思われる。

 少なくともSS作家にしてみれば(自分の手による)犠牲者はできる限り少なくしたいというのが本音なので、当たらずとも遠からず、といったところではないか。
 いずれにせよ、この「足場」を使えば、海上でも空中でも地上と同じように戦闘が可能となるわけである。

F 誘導
最後に述べる「誘導」は、通常兵器ないしエヴァ以外の兵器を用いた戦闘を前提としたものである。
つまり、遠距離攻撃する兵器(ビーム・ミサイルなど)を使徒のA.T.フィールドを中和したうえで、更に自身のA.T.フィールドによるガイドラインを作り誘導することでより確実に殲滅できるようにしたもの。
使用例としてはヤシマ作戦の陽電子砲に対してなどがある。
逆に、使徒の指向性兵器(ビーム等)に対して展開し、「必ず安全な場所へ攻撃を誘導する」という利用法も存在する。
しかし、このアイデアを用いた作品も極めて少ない。



3、A.T.フィールド=「心の壁」

 本編中旧劇において明かされた「A.T.フィールド=心の壁」という真実に従えば、2章の解釈はほとんど成り立たない、というのが一般的な解釈であろう。
「A.T.フィールドだから何でもアリだ」という意見は無論否定されなければならないし、「心の壁であるのならば、ただのバリアとしてしか機能しないはずだ」という意見にも一考の余地はあると思う。
しかし、忘れてはならないのは、それは「字面だけ見た解釈」であるということ。
そして、「史燕はSS作家である」という厳然たる事実である。
すなわち、SS作家たる史燕の解釈は一般論とは異なるのである。

 では「A.T.フィールド=心の壁」という真実について、「心の壁」というコードを中心に分析していこう。
「A.T.フィールドとは何か?」――無くなると自分と他人の区別がなくなりL.C.Lに溶けてしまうものである。
つまり「自身と他者を分かつ壁」だ。

もしそうだとするならば次の図式が成り立つわけである。

「A.T.フィールド=心の壁=他者を拒絶する意思」

ここから発展させれば

「A.T.フィールド=他者を拒絶する意志」
 →「A.T.フィールド=自身の強い意志の発現」

という解釈も成り立つ。
すなわち「心の壁」というのは「心に由来する壁」だと考えてしかるべきなのである。

 ここで、この理論を肯定するキーワードとなるのが使徒戦後半におけるキーワードでもある「侵蝕」である。
今回は、より目的(=意志)が明確なアラエル・アルミサエルの二体について考察を加える。
既に一章においてある程度述べた部分と重複してしまう点も多いが、あちらは描写をまとめていくうえで出てきた「使徒に心はあるか」という命題についてであり、こちらは「使徒がどのような心(意志)を伴い行動しているか」という命題についての考察であるため、平にご容赦願いたい。

 まずは、アラエルであるが、これはアスカの精神に直接働きかけてきた。
この精神攻撃自体もA.T.フィールドによるものであることが本編中でも明らかになっている。
このことから「アスカの(人の)心を知りたいという意志」にもとづいた攻撃であり、A.T.フィールドの変形であると考えることができる。
とあるSSにおける解釈ではすでにレリエルの時点でその兆しがあるという分析もあるが、少なくともアラエルのものは疑うことのできないものだと思う。

 「意志の発現」としてさらに上を行く(つまり露骨)なのが次のアルミサエルである。
アルミサエルはレイに対して「侵蝕」を行いながら「私と一つになりましょう? それはとても気持ちいいこと」として訴えかけている。
その後零号機と同化したアルミサエルは“レイの”「碇君と一つになりたい」という意志に従って初号機との同化を図る。
ここではレイの意志に引きづられているとはいえ、「一つになりたい」という意志に合わせて「侵蝕」という、A.T.フィールドによる他者のA.T.フィールドに対する干渉を行ったのは紛うことない事実である。
もはや短絡的に「A.T.フィールド=心そのもの」と断じていいのではないか――無論実際は違うが――と思うほど密接に関係しているのである。

 ところで、A.T.フィールドは本当に同じA.T.フィールドでしか破ることはできないのだろうか? 
私は、それに異議を唱えたい。
「A.T.フィールド=心の壁」という原義に戻ったとしても、A.T.フィールドが他者を拒絶する心によって発生されているのは事実である。
とすれば、「心を許した人物」には影響がないであろうし、より強い「想い」が届けば、A.T.フィールドを破ることも可能である。
心の力がどうして他の心に対して絶対的に強いと断定できるのだろうか。

 もっとも、前章で述べたA.T.フィールドの用いられ方が、強い意志の力の発現という風に解釈でき、そういった「応用されたA.T.フィールド」によってA.T.フィールドを破る事の方がSSにおいては主流ともいえる(もちろん、そのような意図で描かれているわけではないが)。
しかし、もしそうだとしても「A.T.フィールド=他者を拒絶する意志」を「A.T.フィールド=自身の強い意志」によって破っているわけであるから、A.T.フィールドという明確な形を取らずとも、強い意志さえ伴えば、A.T.フィールドを破ることは不可能ではないと解釈してよいと思われる。
残念ながら、この解釈の検証自体が難しいが、史燕としては一つの「真理」だと思っている。
これまでつらつらと述べてきたが「A.T.フィールド=心の壁」という事実を無視するつもりはない。
むしろ、史燕の解釈の根底にもこの図式はしっかりと根を張っている。
しかし、心というものはとある一瞬だけを切り取ってみてみても複数の感情・意志が混在している。
とすれば、A.T.フィールドの基本が「心の壁」であったとしてもそこから多様な変化を――それこそ人の心のように――していくと考えてもよいと思うのだ。
ただし、この章は既存の解釈ではなく、史燕独自(先行研究が見つからなかったのでおそらく独自と断じてよいだろう)の論理展開によって構成されている。
そういった部分に対する批判等はおおいに受け入れようと思う。



4、ロンギヌスの槍とアンチA.T.フィールド

 本章におけるこの議論自体はもはや何番煎じかわからないほどの議論であるが、A.T.フィールドを語るうえでどうしても外すことのできない議論であるため、あえてここに記載しようと思う。
 ロンギヌスの槍はそのコピーであってもA.T.フィールドが通用しない究極の武器である。
なおかつ、アラエル戦でも見られたようにA.T.フィールド、もしくはコアに引き寄せられるという性質も持っている。
さらにアンチA.T.フィールドをも発生させてしまう。
これによって旧劇では全人類がL.C.Lに溶けてしまうのだ。今回はこの二つについて考察を加えようと思う。

 「ロンギヌスの槍は何か?」という問いの答え自体は明確には提示されていない。
史燕自身もそのものずばりとはいえないが、ある種の説として一つの答えを述べたいと思う。
すなわち、ロンギヌスの槍とは「心に対する槍」であるという説だ。
「前章でA.T.フィールド=心とか言っといて何のつもりか? 言葉遊びではぐらかす気か?」とも思われるかもしれないが、」少し考えてみてほしい。
怨嗟・憎悪といった負の感情やそれを起源とする言動によって心に「グサリ」と刺さった経験はないだろうか? 
そういったものの到達点・最高点として凝縮し、形になったのがあの「ロンギヌスの槍」なのである。
もしそうだとすれば、量産型エヴァと共に人々の心の壁を完全に消してしまうアンチA.T.フィールドを発生させるのも頷けると思うのだ。
「他者を粉々に破壊したいという欲求」のような負の感情の凝集体がロンギヌスの槍であり、その発露が“ロンギヌスの槍の発生させる”アンチA.T.フィールドであると考えられる。

なぜ“ロンギヌスの槍の発生させる”という区別を行ったのかというと、もう一つのアンチA.T.フィールドの発生源であるリリス――厳密には綾波レイでもあるが――がロンギヌスの槍と同質の存在ではなく、したがってその発現である“リリスの発生させる”アンチA.T.フィールドも――同じ効果であっても――同質のものではないと考えたからである。
 リリスは人類=リリンの母なる存在である。ましてやアンチA.T.フィールドを発生させたのは「碇君が呼んでる」からリリスへと還ったレイと同化したリリスである。 また、シンジ自身に世界の選択権を提示したのも彼女であった。
※もっともこれはゼーレの側の補完計画とリリスによるアンチA.T.フィールドの発生は別物であると考えているという前提のもとである。
「初号機パイロットの欠けたる自我を以て」補完しようというのならば、選択肢自体が提示されず、ましてやインパクト後にシンジの意思が残るとは考えられないからだ。
 つまり、リリスは「愛」の存在――私は母性という捉え方に若干の疑念を呈するのでこう表現する。もっとも「母性」も愛情の一種であるのだが――であり、リリスが発生させるアンチA.T.フィールドは「愛するものと一つになりたい」という意志が発現したものだと捉えるべきである。
故にロンギヌスの槍とリリスとは対極に位置する決して相いれない存在だということになる。
両極にあるものが、同じ現象を発生させるというのは、一見すると矛盾しているようだが、上記の論証や今回の例とは関係ないものであっても往々にしてあるので、然程無理のある解釈だとも思わないのだ。
 以上が、定説に拠りつつも史燕なりの見解を加えたロンギヌスの槍とアンチA.T.フィールドに関する考察である。



5、ヒトと心

 最後の議題はヒトと心についてである。
使徒はヒトである。
その一部であるリリンと区別されることなく総じてヒトである。
むしろ、綾波レイ・渚カヲルが顕著な例であるが、本稿においては「A.T.フィールドを持つ=心がある」ということを示す論証をすでに行っており、さらに「心がある=ヒトである」という図式も成り立つことに異論を認めてはならないと思う。
すなわち、「A.T.フィールドを持つ使徒はすべからくヒトである」という真理がここに論証されたのだ。
これに一つ付け加えるならば、使徒と人類の遺伝子における塩基配列は99,89%一致するという事実も忘れてはならない。
ヒトとして大事なのは形ではなく心である、ということを、私たちが今一度思い起こす必要があるのではないだろうか。
孤独な単一生物であり他者を拒絶するしかなった他の使徒とは異なり、私たちリリンは群体生物であり、同胞たちと手と手を取り合うことが可能な存在である。
 自分は自分であり、他者とは異なるということをA.T.フィールドによって証明しながら、手を携えて協力することができるのがリリンの最大の強みなのではないだろうか。



おわりに

 今回はA.T.フィールドという本編の根幹に関わる要素でありながら、曖昧模糊としており、一部では「A.T.フィールドだから何でもアリだ」などというある種乱暴な意見すら存在する。
本論はそういった謎のヴェールを一枚、また一枚と剥いでいく作業だったのだが、読者諸兄の目にはどう映っただろうか。
本稿においてはSS作家という視点から正しく自分のSS論=エヴァ論を論証することができた。
SS論1作目が類型分類に留まったこと――それはそれで重要な仕事であったと自負してはいるが――に比べるとはるかに充足感は大きい。

 無論、その分だけ論証として不十分なところがあり、気づいていないだけで論理が破綻している可能性も十二分に存在する。批判等の厳しい意見があれば真摯に受け止めるつもりだ。
私個人としては本稿をむしろたたき台として諸人がさらなる深い考察・論証を行われることを切に願っている。



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