エヴァンゲリオンSS論4


                              SSにおける綾波レイの取り扱いについて

                                                                                       Written by史燕




はじめに

 私は自他共に認めるアヤナミスト(綾波レイが好きな人の意)である。もちろん私の描く綾波レイについて、所謂「解釈違い」を起こす方も多かろうと存じる。しかしながら、私自身はこのようにしか描けず、これからも同じように描いていくであろう。
 そのような中であるが、新劇場版も完結して4年が経ち、TV版放映から30周年を迎えた2025年現在に至るまで、綾波レイというキャラクターがSS(二次創作)においてどのように描かれてきたのかを一度私自身の中で整理したく思い、本稿を上梓する。しかしこれはあくまで備忘録であり、中途整理のような物である。従って本稿は墓碑銘ではなく一里塚にすぎない。
 元来、二次創作とは自由である。著作権のグレーゾーンな存在である以上、権利者に迷惑をかけず、公式のガイドラインを遵守する必要はあるものの、逆を言えばそのようなルールを守っていれば批判される謂れはない。そうはいっても、様々な人間が存在するインターネットや同人即売会を媒体としている以上、個人的好悪の別は存在する。かつてネット掲示板華やかりし頃はカップリング論争で日夜戦争状態でもあったし、そうでなくても例えばキャラの表記一つ、表現一つで批判が殺到するのが現実である。
 私自身、これは痛恨の極みであるが、ある作品で碇シンジの一人称を改変した結果、関係をシャットダウンされるという憂き目に遭ったこともある。軽率であったと未だに反省している。
 しかしながら、本来的には二次創作は自由である。したがって、使徒の力を得た碇シンジが逆行してきて綾波レイを含むハーレムを築いてもいい(夢魔氏『やっぱ綾波でしょ』シリーズほか、スパシン逆行物)し、無敵の武術宇術マスターでもいいし(BEEめーだ氏『宇術マスターシンジ』)、零式防衛術の遣い手であったり(デーブ氏『シンジのススメ』)、死徒二十七祖の一人であってもいいのだ(紫雲氏『遠野物語』)。なお、本稿では出典を紹介できる限りは明記するが、作品が消えている例もあり、紹介できない場合は記載しない。
 上記の作品群は極端な例であるが、これくらい突飛な設定やクロスオーバーでさえ許容されるのであるから、あとは書き手がどのように書いていきたいかに従うほかないのだ。
 そのような原則の中で、どのように綾波レイというキャラクターが描かれてきたのかを本稿では紹介したい。これはあくまでファンによる創作の中での話であり、新世紀エヴァンゲリオンという作品についての作品論で語られる「現実への回帰」とか「母性との関わり」といった要素とは無関係の物である。また、原作の描写にはないテキスト外コンテクストから発展してきた作品群である以上、私達二次創作者が「妄想」「与太話」と自嘲するようなものであるため、作品解釈の一例に過ぎず、原作者が意図した正解を求めるような物ではないことを明言しておきたい。
 また、本稿で紹介するのはあくまで私こと史燕が直接観測し、記憶しているものであり、数え切れないほど生まれ、消えていった作品群を完全に網羅する物でもない。さらに言えば、あくまで観測しただけであるため、どの説が有力であるとか、どの解釈が正しいとか、そのような物を提言する事を目的としない。もっともそれは上記で数々の極端な事例を紹介していることからご理解戴けると思うが。逆に、かなりマイナーな解釈であったとしても「そういうものもあるんだ」という程度に思って戴ければ幸いである。作品の本数の多寡ではなく、作品一つ一つが尊い存在であるということからもご理解頂きたい。ただし、私自身が所属する考え方というものもあり、その関係で説明の濃淡が出る部分もご寛恕頂きたく思う。



1、綾波レイのキャラクター性をどう描写してきたか

1ー1)、ミステリアスな少女として

 綾波レイというキャラクターが人気となった背景には、その風貌と共にミステリアスで物静かな少女という部分が大いに寄与していると考えられる。
それ以前もSF作品等においてこのようなヒロイン像は存在したようだが、アニメーションという媒体を通じて絶大な人気を獲得したのは彼女が顕著な例であろう。その後「綾波系ヒロイン」などという言葉も誕生し、彼女を意図したキャラクター造形がある種の潮流として存在したのは記憶から外すことが出来ない。
 彼女をミステリアスな存在として描くのは、LRSではなく他のカップリングにおいて多いらしい。例えば懇意にしているLRS創作者のハル氏がとある場で「ミステリアスな描き方はカヲシンの方が多い」(意訳)と発言している。私自身の体感としてもこれには首肯したい。
 エヴァンゲリオンという物語の設定上の根幹を成す存在である以上、神秘的で秘密が多い存在として描かれる。そもそも原作中でそのように描かれていることから、むしろ当然の帰結とさえ言える。
 彼女自身の魅力を端的に捉えた描写のされ方だと考える。


1−2)、人間性を獲得する少女として

 綾波レイの描き方として、前項とは逆により人間性が豊かな存在として描かれる場合ある。私自身がこちらの派閥に属しているため、少しばかりこれに偏った著述になるが、ご寛恕頂きたい。
 漫画単行本第3巻の林原めぐみ氏へのインタビューの中で綾波レイという存在を「この子は感情がないのではなく感情を知らない」という風に庵野秀明監督に紹介されたという旨が記載されている。これに準拠し、さまざま経験をして、少しずつ喜怒哀楽を表現するようになる彼女を描くのだ。
 感情を得た彼女の一番顕著な例が、TV版26話で登場したリナレイであると言えるかもしれない。
 ”綾波レイの幸せ”というものを考えるに際して、特殊な出自である彼女を極力普通の人生を歩ませたいという想いがある。”普通”の定義自体も様々ではあるが、原作時点までに経験できなかった様々な普通の出来事を経験し、様々な感情を知って欲しいという風に考えているのだ。
 少なくとも綾波レイというキャラクターの性質を原作中の作劇に従って考えると、大きな計画(人類補完計画)を遂行するための舞台装置である。そこで依り代たる碇シンジがどう選択するか、導き、あるいは彼の意思を汲んで動く。そのような装置としての役割こそが彼女の作中での神秘性に繋がっているのは事実であるが、それから敢えて外し、普通の少女にしようという風に考えるのだ。
 これは、天女から羽衣を奪い、かぐや姫を月に帰さない凡俗な選択なのかもしれない。しかし私はその凡俗さこそが幸せに繋がると考えている。
 もちろんこれはあくまで一見解であり、すべては読者諸氏の判断に委ねたい。


1−3)、登場媒体での描きわけについて

 これは補足的な項目であるが、TV版と漫画版、新劇場版のキャラクターをそれぞれ別の存在だと捉える考え方がある。元々は女子向け界隈で主流だった考え方であるが、近年はLRS全般で受容されている考え方である。庵レイ、貞レイ、といった呼び方で区別する。
 逆に私のように描きわけが出来ないタイプの書き手は非常に苦慮する問題である。「厳密に性格が違う」と言われればそのようにも見えてくるのであるが、無理して分けようとしてうまくいかない場合の功罪たるや。もはや私は時代について行けないのかもしれない。



2、綾波レイの連続性について

2−1)、二人目と三人目の関係について(TV版、旧劇、漫画版)

 TV版23話は、視聴者に衝撃を与えたと思う。それまで主人公と親しくしていた少女の死、そして三人目の登場と予備となる肉体の存在。これに対して綾波レイを描いてきた私達は創作をするに当たって一つの大きな問題に直面しなければならない。それは、果たして二人目と三人目は同じ存在なのかということである。公式によって答えは出されていない。
私自身は同一であると考えているが、当然そうではないという解釈も存在する。
 例えば23話から二人目のレイだけが逆行する(つまり三人目として経験した記憶は無い)作品もあったし、三人目が「私は私、二人目じゃない」と考える事もまた自我同一性を考える上で十分にあり得ることである。なおLRS世界には原作20話でサルベージされたシンジを二人目と捉える考え方もある(tamb氏のご教示による)。
 二人目と三人目が統合され、サードインパクト後の世界を生きる四人目という概念もある。なお、綾波レイの幸せにおいては「四人目はほっぺが赤いのがデフォ」とのこと(サイト『綾波レイの幸せ』四人目の掲示板)。 二人目と三人目を分ける要因は、肉体の更新と記憶の断絶、厳密には一部の記憶の欠落である。これにより、二人目と三人目は違う綾波レイであると原作で強調されている。
 一方、両者を同一として捉えるのは魂の連続性である。仮に肉体は変わっても同じ魂を引き継いでいること。涙を流したことがなかった彼女が三人目になっても涙を流したこと。そしてサードインパクトに際して移行後ずっと一緒にいたゲンドウではなくシンジを選んだことなどが傍証である。
これに関しても公的見解はないため、各自の創作による選択に委ねられる。


2−2)、白波と黒波の関係について(新劇場版)

 新劇場版では綾波レイは序破で登場した白波/ポカ波とQからシンにかけて登場した黒波(円盤特典の台本では「別レイ」)、シンのラストに長髪になって登場したロング波(白波がずっと初号機内にいた)が存在する。ここでは便宜上プラグスーツの色に合わせて白波、黒波、と呼称する。
 白波の連続性に議論の余地はない。しかし黒波はどのような位置づけなのか。
 担当声優である林原めぐみ氏によれば、Qの最初にシンジに呼びかけたのは白波、シンジを迎えに来たのは黒波tと演技自体を分けているそうだ。
また、白波に初号機にいた肉体の連続性があり、その結果髪が伸びたのだから別人だと考えられる。また、シンジも白波に対して「別の君は居場所を見つけたよ」と話している。
 二次創作においては、二人が別々に再生し、姉妹のように過ごす作品(ADZ氏『第3村の綾波姉妹』。ただし綾波姉妹概念の提唱はハル氏から)や別の存在である二人が統合されて一人の人物になる作品(春日希望氏『ハダカノココロ』、ハル氏『アヤナミレイ(仮称)補完SS』)が存在する。
 他方で、両者の魂が同一と考え、同一人物とする解釈も存在する。シンの補完シーンでロング波が鈴原ツバメを模した人形を持っていたことや白波と黒波が同時に存在しないことから可能性を模索するものだ。上記の別の綾波という発言が指すのはあくまで第3村にいたときの君はという解釈となる。
 結局公式見解はないので、SSでは綾波姉妹が仲良くほのぼのしてもいいし、ロング波が黒波の記憶を持って第3村の小母さんたちと稲刈りをしてもいい(拙著『初めての稲刈り』)のだ。



3、綾波レイは使徒なのかクローンなのか

 カップリング論争が激戦を繰り広げていた時代、敵陣営を激しく攻撃するのは常だったが、その中でもLRS派たる私にとって未だに忘れられない言葉がある。「LRSは近親相姦」「LRSは異種姦」というものだ。この言葉に傷つき、忘れられない当時の仲間達も少なくないだろう。
 近親相姦説を否定するために、わざわざ作中で「遺伝子を調べた結果、いとこよりも遠い関係」であると描写した事例もあったほどだ。
では原作の設定に立ち返ってみよう。
前章にも関係する綾波レイの誕生についてである。ただしこれは新劇に関しては設定が明かされていないため新劇を除外した整理である。

@碇ユイが初号機に取り込まれサルベージに失敗する。
Aサルベージ失敗後の初号機から綾波レイが生まれる。この際肉体は複数誕生したものの、魂が宿ったのは一人だけである。
B綾波レイの卵は第二使徒リリスのものである。
C一人目の綾波レイが死亡するとターミナルドグマに保管されていた別の肉体に魂が宿り二人目に移行した。二人目から三人目も同様。
D二人目から三人目への移行に際して死亡直前からある時点まで記憶の欠落が見られる。どの時点から保持するか不明。バックアップの方法も不明。一人目から二人目への移行時についても不明。
E保管されていたスペアの肉体が赤木リツコによって破壊されて以後、魂の移行はできなくなった。初号機から新たに生まれることも想定されない。
Fダミーシステムには綾波レイのスペアの肉体が使われている。

 以上から少なくとも綾波レイ=碇ユイという式は成り立たない。別の人物である。さすがに遺伝子上の関係までは設定が明かされていないが。
綾波レイを初号機と碇ユイの娘とすれば碇シンジの妹とも考えられるが、交配を行っていない関係からそう捉えるのも無理が生じる。
結局は解釈次第といったところか。
綾波レイ=使徒という式、こちらは人類も第十八使徒リリンであるというそもそも論を前提にするとリリンなのかリリスなのかといったところで解釈が別れる。TV版第24話で生身でもA.T.フィールドを発生させていた。ゲンドウもやっていたがあれはアダムありきであるから別件である。
しかしながらリリスの肉体を有していないことから第十七使徒タブリス=渚カヲルとも別の状態であると言える。少なくともNERVもMAGIも使徒と認定していない以上、リリンではない使徒であると断言はできない。
一番穏当なところとしてはリリン(碇ユイ)とエヴァ(ベースはリリス)のハイブリッドというところか。この解釈を打ち出した作品のタイトルを失念したのは痛恨の極みである。
したがって、近親相姦、異種姦というのは極端な誹謗中傷である。しかしながら、その位置付けは非常に難しい存在でもあるため、解釈は多様であり、第三者に説明するには非常に慎重を期さなければならない。誤解をするのも無理からぬことであるので、初見での対応は注意が必要である。
それでも私はハイブリッド説を支持するが、何よりも「綾波は綾波だよ」「綾波も僕もヒトだよ」という立場を堅持し、創作の幅を狭める愚を犯さないようにしたい。
もちろんこれは私の立場の表明であり、多様なる解釈可能性は読者諸氏各々の手に委ねたい。



4、綾波レイの幸せとは

 結論を言ってしまえばだが、章題に挙げた問いに関する答えなど存在しない。厳密には無数に、それこそ際限なく存在するが、原作者が答えを提示することがあり得ない以上、それは正答たり得ないという純然たる事実がある。
 その中で私達二次創作者がどのように彼女の幸せを希求するか、そこに醍醐味がある。
 私も自分なりの答えを探し、『ミルフィーユ』その他の作中で提示してきたつもりだ。
 私自身はLRS派にとして碇シンジと恋愛関係になり、結婚することを幸せの形として描いてきた(当サイト各掲載作参照のこと)が、渚カヲルと幸せになるのも、碇ゲンドウと幸せになるのも、惣流/式波・アスカ・ラングレーと幸せになるのも可能性としては存在すると思う。(私自身がその作品を直視できるかはまた別問題とする)
 様々な答えが存在する以上、誰かの出した回答に「うんうん、なるほど」と言い、自身の出した回答に「私はこうあってほしいと信じている」と恥も外聞も無く提示するのが私達である。
 ぜひともそれを形にして提示していただきたい。私は連絡を頂戴すればすぐに駆けつける。
  繰り返しになるが、本来的に、二次創作とは自由である。 シンジとレイの子供がタイムスリップしてきてもいい(Seven Sisters氏『キミの名は』)、アスカたちと一緒にシンジとひたすらエッチなことをして過ごしてもいい(月夜裏野々香氏『新世紀エヴァンゲリオン一人暮らし』)、サードインパクトを防ぐために逆行して幸せを掴んでもいいのだ(越後屋雷蔵氏『レイ・リターン』)。
 もちろんキャラ造形を変えてお肉が好きなレイもアリだし(HIROKI氏『レイが好き!』)ただの少女としてシンジとの幸せを掴むために生まれ変わってきてもいいのだ(tamb氏『離れていても、どこにいても』)。  だから私も、これからも二次創作を続けていこうと思う。
二人目と三人目が統合された四人目のレイかもしれない。黒波と白波が姉妹で農作業をしているかもしれない。シンジと幸せになるために世界中を探し求めるかもしれないし、逆に記憶をなくしたレイをシンジが迎えに来るかもしれない。
 それでいいのだと思う。生まれた作品の数だけ、彼女が幸せな世界が増えるのだから。
 読者諸氏にとってもきっと、誰かに押しつけられた回答ではなく、ご自身が考える”綾波レイの幸せ”という像が存在するはずだ。



おわりに

 本稿は2012年に評論第一作である「エヴァンゲリオンSS論」で上梓した際に、おわりににて「新世紀エヴァンゲリオンSSは現在低調となっており、このまま終息を迎えるのか、それとも新劇場版が新たな起爆剤となるのかは現状では見えてこない。」と述べた事に対する一つの成果報告でもある。
 結論としては、新劇場版完結直後の2021年に大いに興隆したものの、少しづつ勢いを失い、現在は低調となってきている。それでもと書き続けているのではあるが、もはや個人サイトという存在も過去の遺物と化しており、私自身モチベーションを維持するのにも一苦労といった有様である。
 そのような中、ひとまずではあるが、本稿において2025年6月現在に私が観測している綾波レイというキャラクターの二次創作における取り扱いについて紹介することとした。
あくまで紹介に過ぎず、何が正しいとか、どうあるべきかについてここで諸氏に押しつけるつもりはない。
 しかしながら、まだまだ続く道のりの一里塚として、本稿が諸氏の何らかの目安にでもなれば望外の喜びである。/p<>


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