半身 After〜夕立〜
Written by史燕
――ザーーー――
「あちゃ〜、ひどい夕立だな〜」
リニア第二新東京駅の出口に立ち、青年はそうつぶやいた。
この青年の名は、碇シンジ、「和泉古書店」の二代目店主である。
今日彼は、商品となる古本を引き取りに隣の町まで出かけていた。
ちなみに。確認した商品は、後日宅急便で店へと運ばれてくる手筈となっている。
彼の目の前は、絶え間なく地面を叩きつけ、降りしきる雨によって真白である。
普段なら目の前に林立しているビル街や絶え間なく行きかう人々の姿が広がるはずなのだが、平日の夕方であることと生憎の土砂降りとが相まって、駅の出入り口付近でさえ、人の姿はまばらである。
「さて、どうやって帰ろう……」
まったく、昼間はあんなに暑かったのに、という悪態を口にこそ出さないが、現実問題として彼の帰宅手段をどうするかというものが浮上している。
つまり、彼の手許には――――傘がないのだ。
彼の棲家であり、仕事場でもある「和泉古書店」はここから歩いて10分ほどの第二新東京大学のそばにある。
一人暮らしで、古書店を経営する彼にはれっきとした収入――当初シンジが考えていたよりもさらに多くの得意客から毎月のように注文があるのだ――も多少の蓄えもあるが、根っからの主夫である彼にタクシーを使うなどという贅沢をする頭はない。
かといって、新しく傘を買うのももったいない気がする。
(そんなお金あったら、ケーキのひとつでも買って帰るよ)
などと自身の想い人の顔を思い浮かべながら考える。
昔に比べればはるかに表情豊かになった彼の恋人が、実は甘いスウィーツでお茶するのが何よりも大好きだということは、彼女の大学における親しい友人たちでさえなかなか知らない、隠された事実だったりする。
「……シンジさん」
そんなことを考えていると、彼の耳に静かに呼びかけてくる声が聞こえてきた。
彼は、その聞き覚えのある声の方へ、まさか、と思いながらおもむろに顔を向けた。
「レイ!!」
そこにいたのは、まぎれもない彼の想い人「夕霧レイ」であった。
余談ではあるが、初めは以前の通り「綾波」「碇君」と呼び合っていた二人だが、付き合い始めて数ヶ月たった今となっては、互いに名前で呼び合う仲となっている。
「……そろそろ帰ってくる頃だと思って迎えに来てみたの」
シンジがふと自身の腕時計を見てみると時刻は4時半を回っていた。
なるほど、確かにいつも自分はこの時間に帰って来るし、今日は彼女の講義も4時ごろに終わる日だったはずだ。
「……はい」
レイは、シンジに大きな黒い傘を手渡した。
反対の手には、彼女の水色の傘が握られている。
「ありがとう」
「……たぶん、シンジさんのことだから持って行ってないかもしれないと思ったら、案の定だもの」
「それで……」
「はいはい、お嬢様、どちらにお連れいたしましょうか?」
「……お見通しなのね」
「レイはこういう時しか甘えてくれないからね――恋人なのに」
「……そういうシンジさんだってなかなか素直になってくれないじゃない――恋人なのに」
二人は互いの顔を見合わせると、同時にクスリと笑い合った。
もはやこういった言葉の応酬も二人にとってはスキンシップの一種である。
二人とも受け身であまり自己主張をしないので、見ていてもどかしい、というのが周囲の意見なのだが、彼らにとってはそんなことさえどこ吹く風、二人でいられればそれだけで幸せなのだそうだ。
「それで、結局どこに行こうか?」
「……近くに最近できたケーキ屋さんに行きたいのだけれど」
ちらりと上目づかいでシンジを見るレイ。
それを見てシンジは
(かわいいなあ、もう)
と思っているのだが表情に出さず、代わりにそっと微笑んでこう言った。
「それじゃあ、僕はついでに途中の紅茶専門店で新しいものを買おうかな」
「……ありがとう、シンジさん」
レイの表情がパッと明るくなった。瞳はキラキラと星が浮いているかのようである。
(いつも大人しいし冷静なのに、こういう時は無邪気なんだから)
と考えつつも
(ま、そこがかわいいんだけどね)
と思うあたり、シンジも重症である。
レイにしても
(……私、またわがまま言っちゃった)
とは思っても
(……でも、シンジさんとお茶したいし)
という動機なあたり、お熱い二人である。
こうして、黒と水色の二つの傘は、夕立の降りしきる街のなかへと消えていったのである。
〜Fin〜
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