「二人で」

                                         Written by史燕




2016年、僕たちはNERVが解体された後、チルドレンだったという素性を隠す必要から、松本の第二新東京市へと引っ越した。
転校先の先生たちも、急にやってきた転校生が第三新東京市からやってきたと知ると、「ああ、なるほど」という風に深い詮索は行わなかった。
それまでにも、ここへと疎開してくる人は少なくなかったからだと思う。
もっとも、僕たちが転校する学校には、以前第三新東京市に住んでいた人たちはいなかった。 素性を隠して、普通の中学生として生活するためなんだから、当然と言えば当然なんだけど、トウジやケンスケたちと再会できるかもしれない、と期待しただけに少しがっかりした。

アスカはドイツの親御さんに引き取られることになって、帰国してしまった。
残念といえば残念なんだけど、これからまた家族としてやりなおしたいというのが彼女の希望だったから、その希望が叶ってほしいと思う。

元NERV職員のみなさんは、時々僕たちの様子を見に来てくれる。
ミサトさんやリツコさんはいなくなってしまったけど、日向さんたちや副司令がたまに顔を出しては気にかけてくれるおかげで、初めての街でもきちんと生活している。

副司令は
「碇の尻拭いは昔からワシの仕事だよ」
と言いながら、
「君たちの相手だけしていられればどんなに楽か」
としきりに愚痴をこぼして帰っていく。
なんでも元NERVの最高幹部として、組織の引き継ぎや処分に絡んで馬車馬ように働かされているらしい。

副司令は「碇め、面倒なことはすべてワシに押し付けおって」なんて言ってるけど、父さんは母さんと一緒になったと思うから、副司令には悪いけど、これはこれで良かったのかもしれない。

ただ、結局第二新東京市にいる昔からの知り合いは、綾波だけだ。
それ自体は仕方ないことだし、マンションの部屋も隣同士で用意されたこともあって、移ってきてからもなにかと二人で一緒にいることが増えてしまった。

別に綾波と一緒にいるのが苦痛というはけでは無いけど、学校での綾波の様子には若干戸惑っている。
先に断わらせてもらうと、綾波は学校で嫌われてはいない、というよりむしろ大人気だ。

たしかに美人だし、碧い髪や紅い目も、初対面では奇異に思っても、みんな「それが神秘的でいい」なんて言ってるから、これはこれでいいことなんだと思う。
問題は、そんな中で綾波は以前と変わらない、ということなんだ。

考えてみてほしい、とびっきりの美人だけど、基本的に周囲には無関心で無表情。
ただし、昔からの知人である根暗で冴えない男子には普通に会話するどころか、行動も共にするんだよ、嫉妬の嵐が毎日毎日すごいことすごいこと。
そりゃあ、僕にとっては毎日が針の筵に座らされているようなものさ。

そりゃ、ね。僕も綾波と一緒で悪い気はしないよ。
今後普通に考えて絶対に出会わないと確信できるほどの美人だ。
それに最近たまに、といってもほんとに稀にだけど、感情が顔に出るようにもなってきたしね。

あるときなんか

――綾波さんって美人だよね
なんて声が聞こえてくるから
「綾波、あんなこと言われてるよ?」
と言うと
「……そう、碇君はどう思うの?」
って聞き返してくるから
「うん、僕も綾波は美人だと思うよ」
って普通に帰したら
「な、何を言うのよ」
なんて顔を真っ赤にして僕を置いてどこかに行っちゃった。
なんで怒らせちゃったんだろ。

あの時は僕に褒められてもうれしくないのかな、って落ち込んだけど、その後機嫌は直してくれたし、昔に比べたらとてもいいことだと思う。

ただおかげで

――なんであいつばっかり一緒にいるんだ
――綾波さんとお近づきになりたいのに

という視線に耐えるのが、本当に苦痛になってきたけどね。

ちなみに綾波は料理ができない。
いつもサプリメントだったのだから仕方ないのだけど、それは良くないと僕も日向さんたちも思ったから、毎日三食僕と一緒に食べることになっている。

青葉さんなんかは
「レイちゃんのために精のつく料理をたくさん作るんだぞ」
なんて言ってマヤさんに怒られていたけど、綾波は見てると折れそうなくらい細いから、いくら女性の体格には触れてはいけないにしても、青葉さんの言うことも間違いじゃないと思う。
それをそのとき一緒にいた日向さんにいったら、複雑そうな顔をされたけど……。
そういうわけで、今日もまた綾波と一緒にお弁当を広げることになる。

以前は女の子のグループが誘いに来たけど
「……碇君と一緒に食べるから」
と綾波が断った時は、僕は視線で殺されるかもしれないと思った。
あれを殺気って言うんだろうね。

別の女の子が
「お弁当をみんなで分け合うことになったんだけど、綾波さんはどう?」
って誘ってくれたんだけど
「……ありがとう、でも碇君のお弁当で十分だから」
と断っちゃった。
「そんなに言うならあやなみさ――碇君、少し頂戴」
といって僕のお弁当(綾波は「絶対に渡さない」っていう目をしてたんだ)のおかずを食べたあと、なぜか絶望に打ちのめされたような顔をして自分の仲間の所へ戻っていった。
なんでなんだろうね? 普通の卵焼きなのに……。

まあ、とにかく僕たち二人はよく一緒にいる。
休み時間や昼休みはなぜか僕の所に来るし、学校への行き返りも一緒だし、家に帰ってからもほとんど同じ部屋で過ごす。
そしてそれに合わせて嫉妬の視線は僕に集まり、今日もまた胃の痛い思いを丸一日耐えながら過ごすことになる。
もう転校してだいぶ経つんだけど、こればっかりは治まるどころか日に日に増している気がする。
綾波と一緒にいるのは嫌じゃないけど、さすがにそこまで一緒にいる必要は無いんじゃないかとも思えてくるようにもなってきた。
だからと言って、一緒にいるのを止めたいとも思わないけど。
とはいえ、近頃はなかなかそうも言っていられないようにも考えるようになったきたんだ。

放課後になってすぐ、一人の男子生徒が僕たちの方に近づいてきた。
何ごとか、と最初は僕も気にしたけど、その様子から大体察しがついたのでそのまま黙って見守ることにした。
「綾波さん、付き合ってください」
この言葉を聞くのも何度目だろう。
「………」
勇気を出した男の子には悪いけど、綾波はいつも告白をきれいに無視する。
そこに人がいないかのように、それはそれは見事なスルーっぷりである。

あの、そりゃあ、残念だったとは思うし、この反応もよくないと思うよ?
ただ、どうしてそこでただ腰巾着やってる僕を恨みがましく見てくるのかな?
別にただの知り合いで、ついでを言えば便利な食事係なんだよ?
なんなら別に君さえよければ変わってあげてもいいんだよ?

あ、でも、たぶん綾波が泣きそうな顔するからやっぱなしで。
別に誰でもいいと思うんだけどな、料理作るくらいなら。
そんなこと言ったら
「……碇君は私のことが嫌いなのね」
なんて、ほんとにこの世の終わりみたいな顔をして言われたから、もう口が裂けても言わないけど。
そんなに気に入っているんだ、僕の料理。

そのまま彼を放置して、僕たちは下駄箱へ向かった。
でもね。
そろそろ僕、一緒にいなくていいんじゃないかと思うんだ。
少なくとも学校の中では。
別に嫌っていうわけじゃないんだよ。
ただ、最近は女の子たちとは少しずつ話すようになってきて、居場所もできているみたいだ。
まあ、たぶん僕の方こそ、綾波以外の味方がいないんだけどね。

とはいえ、このまま僕とばかり一緒というのもいい加減綾波のためにならない(あと僕の精神にもよくない)し、僕と一緒にいる理由もなくなっていると思う。
学校に慣れるまで昔の知り合いと一緒がいいというのはわかるし、僕もそうだったけど、もう十分こちらでの生活には慣れたし、新しい交友関係を大切にすべき時期になったはず。

何よりそもそもどうして未だに僕とばかり一緒にいるのかも分からない。

可能性としては、以前のまま惰性と義務的にお情けで気にかけてもらっているという、校内のほぼ全員の見解があり、僕もなんだか最近そんな気がしているんだけど、もしそうだとしたらお互いのためにならないわけだし、今日こそはそこのところをはっきりさせたいと思う。

できればショックを受けた時のために、一番逃げやすい放課後に訊いてみようと決意して、今日一日しっかりと我慢した。
そして、いよいよ待ちに待った放課後を迎えたんだ。

僕たちは自宅へ戻る途中の小路に差し掛かっていた。
ここまで歩けば知り合いは誰も通らない。

「あのさ、綾波」
「? どうしたの、碇君?」

それまで互いに無言だったにもかかわらず、僕が突然声をかけたせいか、綾波は不思議そうな顔をしていた。

「ねえ、綾波。どうして僕と一緒にいるのかな? 他の子、例えば女の子たちと一緒に過ごした方がいいと思うんだけど」

言っちゃった。とうとう言っちゃったよ、僕。
別に間違ったことを言ったとは思わない、ただ、これを言ってしまったら、たぶん今までのように惰性的に綾波と一緒にいることはできなくなる。
そんな予感はすでにあって、それについてはとっくに覚悟も決めていたんだけど、なぜかそれを口にした瞬間、明確に僕と綾波の間にあった“何か”が終わりを告げたように感じた。

「……あのね、碇君」

ゆっくりと、噛みしめるようにしながら、綾波は口を開いた。

「好きだからよ」
「えっ」
「好きだからよ、あなたのことが」

そのとき僕は、綾波が何を言ったのか理解できなかった。
(好き? 僕が?)
一瞬勘違いして喜びそうになったが、すぐに冷静になると、脳が正常に回転を始めた。
(ああ、なんだ)
たしかに綾波の現在の交友関係のなかではとしては、そこそこ好かれている方だと思う。
そもそもNERVにいたころからの仲間なのだからそれはむしろ当然かもしれない。

僕が突然妙なこと訊ねたから、わざと凝った返事をしたのかな。
そういえば昔似たようなこともあったっけ。
カヲル君に「好意に値するよ」なんて言われて酷く慌てたんだった。
全く、綾波も冗談を言うようになったんだねえ。
とはいえ、このまましてやられたままなのもなんだか悔しいし、僕としても冗談で返してみることにしようか。
こう考えることで僕は、一度抱いた期待を必死に胸の奥底へと沈めたんだ。

「それじゃ、キス、してもいいかな?」

我ながら、あまり良い返しではないけれど、今のような冗談を言うとシャレにならないということも感じ取ってほしかったから、あえてこんな言い回しをした。

それに
“なんてね、冗談だよ”
そう言って、僕の些細な仕返しが終わるはずだったんだ。

ところが――

「んっ」

僕が口を開こうとした瞬間、何か柔らかいものが、僕の唇をふさいだ。
眼前に広がるのは、綺麗な、碧い、髪。

いったいどのくらいの時間だろう。
綾波が僕を解放するまでの間は、僕にとっては永遠に近い時間に感じられた。

「ちょっと、あ、綾波!?」

離れてしまったぬくもりを少し残念に感じながらも、僕は突然の暴挙に対して抗議の声を上げた。

「したかったのでしょ?」
「いや、そうは言ったけど……えっと、その……」

(まさか本気だとは思わなかった、なんて言えないよ)

そう思いながら、努めて冷静に思考しようとしたけど、とてもじゃないけど不可能だった。

「碇君は、どうなの?」

そう訊かれても、僕は綾波のことをどう思っているかなんて、すぐに答えは出てこなかった。
(美人だとは思うし、一緒にいても嫌じゃない)
それはそうだけど、だからといって、それでいいのかな。
自分で自分の心がわからない、そんな僕に追い打ちをかけるように、綾波は質問を重ねた。

「碇君は、私のこと、嫌い?」

そういって、瞳を潤ませながら、不安そうに、そして期待も込めながら見つめられたとき、ストン、と、得心がいったようだった。
たぶん心の奥から、いままで必死に直視しないようにしてきた感情が、勢いよく飛び出してきたんだ。
きっと、綾波は僕とは釣り合わないと心のどこかで諦めていたんだと思う。

「僕も……僕も好きだよ、綾波」

思えば簡単なことだったのかもしれない。
綾波は僕のことが好きで、僕は綾波のことが好き。
だからこそ綾波は一緒にいることを選んで、僕もそれを良しとしていた。
周りの視線に耐えるのが嫌なら、もっと早くに突き放していたと思う。

「それじゃあ帰りましょう、碇君」
「そうだね、綾波」

――二人で一緒に――

〜〜Fin〜〜



書斎に戻る

トップページに戻る