連作SS:ミルフィーユB

                         曇天の中で

                                           Written by史燕



――カランカラン――
「ありがとうございました」

 今日は気が滅入るような見事な曇り空ですね。どうも、マスターです。
 今出て行かれたのは、保安部のお兄さんで、「第七使徒戦以降、セカンドチルドレンが日夜問題を起こすせいで、毎日事後処理で、駆けずり回っているんだよ」とのこと。
……今思ったのですが、守秘義務ってないのでしょうか?
そう思ってしまうぐらい、ここではNERV職員の皆さんが愚痴をこぼしていかれます。
「サードがシャキッとしない」とか「ファーストは何を考えているのかわからない」とか。
性格以外にも、身体的特徴も話していかれますので、町でばったり会ったとき、チルドレンだと当てられる自信があります。
名前が出てこないのは、さすがに配慮しているのかもと思ったのですが、どうも仕事人間として、みなさん役割だけで見ているように見受けられました。
……パイロットとは言っても、綾波さんぐらいの年でしょうに……。

――カランカラン――
「いらっしゃいませ」

 噂をすれば影というやつでしょうか。いらっしゃったのは綾波さんです。
でも、なんだか気落ちしていらっしゃるご様子……心なしか顔色も悪いように見受けられます。
あれからも何度かいらっしゃいましたが、今日のように目に見えて落ち込んでいらっしゃるのは初めてです。何かあったのでしょうか?
注文は、いつもどおり「マスターに任せる」とのことですので、ミルクティーとショートケーキをお出しして、私もご相伴にあずかることにしました。
甘いものを食べて、元気になってくださるとよいのですが……。

「……私は、人形じゃ、ない……」

 しばらくしてから、ポツリと一言洩らされて、彼女はまた――今にも泣きだしそうな表情(かお)をして――口をつぐんでしまいました。

「どうなさったのですか、綾波さん?」
「………」

 だんまり……ですか。どうしたものでしょう。
「どうぞお話になってください。愚痴ならいくらでも――それこそ腐るほど聞きますよ」
「…でも、マスターは仕事が…」
「綾波さん以外に誰もいないこの状況で、他にどんな仕事があるとおっしゃるのですか」

 何を言ってらっしゃるのでしょうか、この娘(こ)は。店内にはほかにお客様も見えず開店休業状態ですのに……。

「……セカンドが」
「セカンド?」
「エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン惣流・アスカ・ラングレー」
「パイロット、というと、もしかして、綾波さんも……」
「……ええ、私はエヴァンゲリオン零号機専属パイロット、ファーストチルドレン綾波レイ」

 セカンドと聞いて、思い当たる節はありましたが、まさか綾波さんがチルドレンとは……。
正直、予想の斜め上を行く告白です。
 しかし、噂に聞く「鉄面皮」「無表情」「お人形さん」のファーストチルドレンと、ここで様々な表情を見せる綾波さんとが一致しなかったのは仕方がないと思うのです。
最初は、少し変わった方だなぁと確かに思いましたけど……。
ん、お人形さん?

「それで、その惣流さんがどうなさったのですか?」
「……セカンドが、いつも言うの。『優等生』『司令のお気に入り』『えこひいき』『人形』って……」
「私は……人形じゃ……ない」

彼女が小さく洩らしたその言葉は、彼女の心の、悲痛なまでの叫びだったようです。
「――それに」
「それに?」
「セカンドはいつも碇君をいじめるの」
「『バカシンジ』『役立たず』『グズでのろま』って」
「でも、碇君は私たちの中で一番頑張っているの。一番大変な目にあって、一番つらい思いをして、一番傷ついて……」
「……それでも一生懸命、頑張っているの……」
「そんな碇さんを見て綾波さんはどう思われたのですか?」
「……碇君の、力になりたい」
「できれば……碇君がエヴァに乗らなくて済むように」
「そうですか」

 綾波さんの、素直な気持ち。おどろくほど、純粋で、幼い、ただ、それ故にまっすぐでもある。

「……でも」
「でも?」
「……セカンドは、いつも碇君と一緒にいるの」
「何かあればすぐに碇君に話しかけて、ことあるごとに、いつの間にか、気が付くと碇君のそばにいるの」
「……嫌いなら、近づかなければいいのに……」

 碇さんが残る一人のパイロット、綾波さんは彼のことが好き。そしておそらくは、惣流さんも……。
できれば綾波さんを応援したいところですがね。

「碇君は――」
「?」
「……碇君は唯一私を、私自身を気にかけてくれるの」
「私を通して誰かと重ねたりしないで……」
「碇君以外はみんな、必要最低限のことしか話してくれなかったの。副司令も赤木博士も葛城三佐やほかのNERVの職員も」

「……そして、碇司令も…………」

私は、彼女が一通り話し終わったのを聞き届けると、カップに口をつけたあと、ゆっくりと、慎重に言葉を選びながら話しかけました。

「――綾波さん」
「!!」
「碇さんは、人として一番大切なことを分かってらっしゃるようですね」
「……一番、大切な?」
「そう、一番大切なことです」
「たとえば、あなたにも私にも、そして人にはみんな心があります」
「一番大切なのは、相手の心をしっかりと見て、そして正面から、逃げずに向き合うことです」
「それは、お互いにとてもつらく、苦しいおもいをすることもあるでしょう」
「ですからつい、みんな傷つかないで済むよう、できるだけ近づかず、自分だけの世界を作り、他者と出来るだけ関わらないようにします」
「特に……綾波さんは人一倍心を表すのが苦手な方のようですしね……」

 ここで私は言葉を切ると、もう一口ミルクティーを口に含み、そして言葉をつづけました。

「私は私であり、あなたではありません」
「あなたもまた、あなたであり、私やそれ以外の他者とはなり得ません」
「故に、こうして真っ向から向き合い、お互いの心を示しあわないと、相手を理解することはできません」
「あなたの心は、あなたにしかわからないのですから」

 ここから先は話すべきことなのかどうか、もしかすると、今まで気づいてきた信頼関係を崩してしまうことになるかもしれない。
そう思い、一瞬の逡巡のあと、さらに私は口を開きました。

「相手を別の誰かと重ねることは、誰でもやってしまいがちなことです」
「たとえば……私はセカンドインパクトの直後、津波で妻と娘を亡くしました」
「娘は、ちょうど今の綾波さんと同じ年でした」
「えっ……」
「でも、勘違いしないでください」
「今私と向き合い、コーヒーを片手に話をしているのは、他の誰でもない……」
「綾波さん、あなたなんです」

 私がそう言い切った瞬間、綾波さんははっとした表情で目を見張りました。

「たしかに綾波さんがいらっしゃった当初、『私も娘とこんな風に話がしたかった』と、思ったことは何度もありました」
「それでも私は、娘と綾波さんを同一視したことはありませんし、ここに座っているのが娘だったらいいと思ったことは一度もありません」
「なぜなら綾波さん、あなたはあなたというただ一人の、この世に唯一の存在だからです」
「だからあなたは、あなた自身を見てくれる碇さんとの絆を大切にしてください」

「………」

 私が話し終わった後、彼女は残ったカップの中身をしばらくじっと見つめたのち、一気にそれを飲み干し、会計の後に、力強い意志のこもったまなざしで、店内を後にしました。

――カランカラン――
「ありがとうございました」

綾波さん、がんばってくださいよ


 それから、しばらくたったある日のこと。ある男女三人組のお客様がいらっしゃいました。

「この間のレイちゃん、びっくりしたわねぇ」
「マヤちゃん、それって、この前のシミュレーション訓練の時かい?」
「ええ、だって『セカンド、碇君をいじめないで』って言ったんですよ。あのレイちゃんが」
「俺もびっくりしたよ、シンジ君の前に立ってこうバッと両腕を広げて」

「僕は、ヤシマ作戦の零号機を思い出したよ」
「あの初号機を守った時のでしょ」
「アスカちゃんは『ムッキ〜、人形とバカシンジのくせにぃ〜』って言った後」
「確か『私は人形じゃないし、そもそも碇君はバカじゃないわ』って言って」
「『そもそも自分のミスを他人(ひと)になすりつけようとしているのはみっともないわ、惣流さん』って返した後、『碇君行きましょ』っていって、
シンジ君の手を引いてさっさと帰っちゃったのよね〜」

「まぁ、一通りブリーフィング終わった後だから赤木博士も何も言わなかったじゃないか」
「マコト……そういうことじゃなくてだな」
「レイちゃんがあんなに感情をあらわにしたの、私初めて見たわ」
「俺もだよ、心なしかほっぺたが赤くなってたようにもみえたし」
「そういえば、葛城さんもうれしそうだったな」
「ねえ……早く平和にならないかしら」
「まったくもって、その通りだな」

「さて、僕たち結婚式に呼んでもらえるかな〜」
「何言っているのよ、呼ばれなくてもご祝儀もって押しかけるのよ」
「俺はゲリラライブやってやるよ……」
「おいおい二人とも……まずは、祝電からだろうに……」

「お客さん、これはサービスですよ」

そういって私は、一人の少女が前に踏み出した報せを持ってきた三人に、そっとミルフィーユを差し出すのでした。


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