連作SS:ミルフィーユDIF

                 「あの碧い空に向けて」〜IF〜

                                              Written by史燕


「それじゃあ、私たちはこれで」
「疎開先でも、お元気で」
「マスターも、お体に気を付けて」
「次にお会いする時も、とっておきの茶葉を用意しておきますよ」

――かならずまたお会いしましょう――そう言って別れるのも、もう何軒目でしょうか。
この店の近所には、もうだれも住んでいません。
こちら側にまで被害はありませんでしたが、大きな爆発があったところに、あたらしい湖が出来ていました。
NERVからも広報部長が直々に、「危険なので、疎開してください」と勧めるほどです。
 ただし、あの爆発については、「使徒戦の影響で」との一点張りです。
……綾波さんは大丈夫なのでしょうか……。

――カランカラン――
「いらっしゃいませ」

綾波さんですが……いつもと雰囲気が違うような気がします。
右目と右腕に包帯を巻いているからでしょうか……。

「……綾波さん?」

「コノヒト、ダレ?」
「……知ってる、マスター、喫茶店のマスター」
「ココハ、ドコ?」
「喫茶店、よく来てた場所」
「ワタシハ、ダレ?」
「綾波、レイ……三人目の綾波、レイ」

「どうしたのですか? 綾波さん」
「いつもみたいにそこにお座りください。きょうは紅茶とコーヒーどっちがいいですか?」

「……いつもみたいに?」
「…………わからない」

「本当にどうなさったのですか? 綾波さん」

「……わからないの……」
「……たぶん、私は三人目だから……」

「三人目? どういう意味ですか?」

――これ以上は機密……でも、話したい――
――この人になら、話してもいいような気がする――
――不思議と、この人になら――

――スベテハナシテモイイキガスル――

「綾波さん……泣いてらっしゃるのですか」
「……これが……涙……不思議、初めてなのに、初めてじゃない気がする」
「さあ、何があったのか知りませんが、いつもみたいに話してごらんなさい」

――イツモミタイニ――

「……マス…ター、これから…話すことは…最上級の……機密、です」
「誰に…も話さないと……誓って…もらえますか……」
「他の……人に…話さな…ければ……」
「NERV…の…たとえ……碇司令であっても……」
「あなたに話した……という…事実は」
「けっして……わかりません」
「そして……あなた…に類が、及ぶことも……」

「はぁ……綾波さん、たとえこれからあなたが何をおっしゃろうとも、私は誰にももらしません」
「もっと言わせていただくなら、これまで綾波さんから聞いた話を、誰かに話したことは、一度たりともありませんよ」

「……でしたら、安心して……話しが…できます」

「その前に、これをどうぞ」

「……これ…は……」

「リラックスできるハーブティーです」
「ゆっくりと、飲み干してください」

――ゴクリ――ゴクリ――

「ふぅ」
「落ち着かれましたか」
「……ええ、なんとか」

「……それでは、話しをはじめますね」
「……マスター、そもそも私は、人間ではありません」
「!!」

 私は内心、想像の範疇を超えた話に、心臓が飛び上がりそうでした。
しかし逆に、毒も食らわば皿まで、と覚悟を決めることにしました。

「……続けてください」
「私は、エヴァ初号機に取り込まれた碇ユイ氏の遺伝子データを元に、碇ユイ氏のサルベージ時に、その形質をコピーして生まれた存在です」
「……いわば、造られた命…そして、エヴァから生まれた存在でもあります」

「一息入れましょう」

 そう言って私は、二つのカップにダージリンを淹れました。
そのカップの片方を綾波さんの前に置き、もう片方に、ゆっくりと口をつけました。
綾波さんも、少し口に入れたようです。

「どうぞ、続けてください」

「……ええ、それと同時に、私の魂は人類――リリンの母である、第二使徒リリスの魂でもあります」

「………」

「……そして私には、複数の…スペアとなる体があります」

「それであなたはいつも『代わりがいる』と……」

「……いえ、正確にはあった・・・というべきでしょうか」

「……というのは?」

「……先日、赤木博士の手によってすべて破棄されましたから」

「葛城三佐と……」

そういうと、彼女のカップを持つ手はガタガタと震えはじめました。

「いっ…碇君の……目の前で……」

彼女に何と声をかけるべきかわからなかったので、新しいカップにココアを入れた後、話の流れを変えることにしました。

「……いえ、正しくは、私ではなく二人目が……です」
「……先程も言ったように…私は三人目ですから」
「……といっても、一人目の綾波レイがどうなったのかは、私も……二人目も知らなかったようですが」

「……二人目が――おそらく一人目の時もそうですが――死んだあと、魂は新しい肉体に宿りました。」
「……それが…私、三人目の綾波レイです」
「………」

「魂が肉体を移り変わるとはにわかには信じがたいことですが、そういうものだとして理解いたしましょう」

「……ありがとうございます」
「……では、話を続けますね」

「……この魂の移り変わりには、いくつか問題点があります」

「……一つ目は、NERV本部地下のセントラルドグマでバックアップを取った時点までの記憶しか引き継ぐことができない、ということです」

「………」

「……たとえば私は、二人目がどうやって死んだのかわかりません」
「……記録によれば、使徒に侵蝕された零号機を自爆させたということですが……」

「自爆……ですか」

「……ええ、先日できた湖は、その時出来たクレーターによるものですから」

「……そしてもう一つ、私には記憶という情報はあっても、心が、無いのです」
「……つまり、その時何をしたかはわかっても、どう思ったかはわからないのです」

「要するに、以前ここで何を話したかは覚えていても、どう感じたかは思い出せないと……」

「……そして何より、リリスの魂を持つ私は、サードインパクトのキーでもあります」
「そう……ですか……」

「……以上が、私の秘密のすべてです」

「……勇気を出して話してくださり、ありがとうございました」
「正直に申し上げますと、話の情報量が多すぎて、まだ頭が追いつきません」
「おや、カップが空になっているようですね、少し待っていてください」

私は、アールグレイとミルフィーユを持ってきました。

「お待たせしました、これをどうぞ」

「……これ、は…あのときの……」

――お嬢さん、カウンター席へどうぞ――
――ただのさびれた喫茶店のマスターですよ、綾波レイさん――
――私は……人形じゃ……ない――
――ミルフィーユはうちの自慢なのです――
――碇君の……力になりたい――
――今あきらめたら、帰ってくるものも帰ってきませんよ――
―― ……“絆”……――


――あなたはこの世で唯一無二の存在である、綾波レイなのですから――


「あの時と――初めていらっしゃった時と、同じメニューですよ、お嬢さん」
「綾波…レイ……よ、マスター」
「そうですね、綾波さん」
「……結論から言いますと、綾波さん、私にとっては、二人目だろうと、三人目だろうと、綾波さんは綾波さんなのですよ。唯一無二の、ね」
「綾波さんが苦しんでいることも、あの頃と大してかわらないでしょう?」
「???」
「ずばり……碇さんでしょ?」
「えっ……」
「私にはすべてお見通しですよ、綾波さん」

そう言った途端、頬が赤く染まり、そのあと、哀しそうな表情になった。

「……でも、どうすればいいのかわからない」
「……碇君は、私が人間じゃないことを知っているの……」
「それがどうかしましたか?」
「……碇君に、嫌われているわ、きっと……」
「どうしてですか?」
「この間、目覚めたばかりの時、よく考えずに……冷たく…当たってしまったの……」
「それに……人間じゃ……ないから、碇君と仲が良かったのは、二人目だもの」
「どこがどう違うのでしょうか?」
「……どこが? 私は、使徒……」
「ですから、人類と使徒……というより人間と綾波さんの間で」
「人間にはこういうことはできないわ」

――キィーーン――

「いっ、いきなり壁が……何ですか、これは?」
「これは、A.T.フィールド。人間と使徒の違いであり、難攻不落の心の壁」

「……だとしたら、こんなものがどうしたっていうのですか?」
「??」
「この程度、ちょっぴり変わった超能力みたいなものでしょう?」
「心の壁という時点で、同じ心を持つ人間とそう変わらないということですよね」
「真っ直ぐな想いは、ときに、強固な心の壁を乗り越えることもあるのですよ?」
「こんな風に、ね……」
「嘘……」

――メキメキ、ピシッ――

「……なぜ? どうして?」
「……マスター、あなたは何者?……」
「ただの街角の喫茶店の……何の変哲もないマスターですよ、綾波さん」
「ただ、少しばかり年を取っていますがね……」
「いいですか、心の壁は、乗り越えるのは確かに難しいものですが、決して不可能ではないものです」
「そして何より――綾波さん、あなたと私の間に、心の壁はありますか?」

――ピシッ、ピシッ――

「……いいえ」

――パリィーーン――

「以前のあなたと、今のあなたと……何か大きな違いはあるんでしょうか?」
「ここで、私と話をして、一貫して同じ男の子について悩むあなたは、以前も今も全く変わりませんよ」
「いいですか、あなたは、誰が何と言おうと人です」
「もし、何か文句を言う人がいたら、ここに引きづって来てください」
「綾波さんの目の前で、完璧に論破してあげましょう」

「あなたの魂が使徒だというのなら、私の前世はアリかもしれませんし、ハエかもしれません」
「人殺しかもしれませんし、盗人かもしれません」
「それでも……私は私です」
「なぜなら、私の心は、『今』『ここに』存在している私のものだからです」
「ですから、たとえあなたがリリスの魂を持っているとしても、あなたには二人目も三人目もない、ましてやリリスなんかでもない……この世にただ一人の“綾波レイ”なんです」

「もし、碇さんに冷たくあたったのなら謝りましょう」
「秘密を知られてしまったのが問題なら、いっそのこと洗いざらい話してしまいなさいな」
「そうすれば、きっとうまくいくはずです」
「………」
「……たしかに、マスターの言う通り……かもしれない……」
「でしょう?」

「……最後に、一つだけ確認させてください」
「綾波さん……あなたは碇さんのことをどう思っていますか」

「……好き」
「?」
「……好き……です」

「大好きなのです」

「うっく……ひっく……で、でも……ひっく」
「でも?」
「私……好きになっても……いいの?」
「……碇君を……好きでも……いいの?」

それは、彼女のめいっぱいの、感情の発露でした……。

「大丈夫です、綾波さん……」
「私が保証してあげましょう……もし全世界の人々が、たとえ神様が否定したとしても……」
「私が、あなたに人を愛し、愛される権利があることを」
「私が必ず、保証しましょう」
「……うっく……ひっく……あり、が…とう」


「あ……でも、碇ユイさんと一緒だというなら結婚できないのでしょうか?」
「うっく、それは、問題ないわ」
「えっ、即答ですか……」
「……だって……ひっく……遺伝子情報の一致率は……うっく……一般の日本人同士より遠いもの……」
「……そうですか……」

 今の彼女は、まるで憑き物が落ちたように清々しい表情です。

「……もし……ひっく……ダメだったら……うっく……マスター……ひっく」
「えぇえぇ、私のおごりでいくらでも愚痴につきあいますよ」

――クスッ――

彼女は涙を流しながら、微かな笑みを残して、去っていきました。

――カランカラン――
「ありがとうございました」


          ≪その後のある日≫

――ねえ、碇君、今日は寄っていきたいお店があるの――
――綾波……別にかなわないけど、どうしたの? 急に――
――そこのマスターはとってもいい人で、とっておきのミルフィーユを出してくれるの――
――へぇ、楽しみだなあ――



――カランカラン――
「いらっしゃいませ」

今日の天気は、吸い込まれそうなほど高く、碧い碧い空ですね〜

〜Fin〜


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