驟雨の中で

                                          Written by史燕


「あれ〜おっかしいな」

 彼は学生鞄に手を入れ、しきりに何かを探しているようだ。
外はやや薄暗く、灰色の雲が上空を覆っていた。
これからひと雨きそうな空模様である。


――ポツン――
――ポツン、ポツン――
――ポツポツポツポツ――
――サーーーー――


……訂正しよう、今しがた本降りになったようである。

「まいったなあもう、傘、忘れちゃったみたいだ」

 彼はそれから周囲を見渡すと、傘を貸してくれそうな人物を探した。
だが、思い起こしてみると…

――お先にシンジ、早よ帰らなあかんのや――

 そういって、ジャージの少年はHRが終わるとすぐに教室を後にしたのだった。

――今日は新横須賀に新型艦が来るんだ――

 そう言い残し、カメラを抱えた少年は昼休みに学校を抜け出していった。

――バカシンジ、アタシ、今日はヒカリとショッピングにいくから――

 それだけ告げると、少女は親友と出かけてしまった。……その後ろには、何故か銀髪の
親友が「荷物持ち」という栄誉ある職に任じられていたが……。

「しかたがないや、帰ったらシャワーを浴びよう」


 彼は、どうやらあきらめて濡れネズミになる覚悟を決めたらしい。
靴を履き、鞄を頭にかぶせ、エントリー完了。発進まで3・2・1…

「……なにをしているの?」
「!!」

 彼の後ろには、一人の少女――綾波レイが立っていた。整った顔立ちに、印象的な碧い髪である。
何より特徴的な少女の紅い瞳は、彼――碇シンジを真っ直ぐに射抜いていた。

「あ……綾波!?」
「……なにをしているの?」
「え、え……と、その」
「かっ、傘忘れちゃって……その、これから走って帰ろうとしてたところなんだ」
「……そう……」
「……濡れるわよ?」
「かっ、帰ってすぐにシャワー浴びるつもりだよ」
「………」

(どどど、どうしよう…なにか気に障ることやっちゃったかな……)

――ガシッ――

「へ?」
「……行きましょう」
「いっ、行くってどこに? 」
「……帰るわ」
「うんわかったよ、でもどうして僕の袖をつかんでらっしゃるんですか、アヤナミサン」
「……そのまま帰ったら、濡れてしまうわ」
「だけど現に僕は傘がないわけでしてね…」
「…私の傘に入ればいいわ」
「いっ、一緒に?」
「……何か問題でも?」
「……あなたは傘がない、私は傘を持っている。そしてあなたに風邪をひかれると困るわ」
「そっ、それはそうだけど……」
「……行きましょう」

(綾波、きっと相合傘って知らないんだろうな……はあ)

 そう思いながら、彼は諦めて一緒に帰ることにした。 もっとも、少女の傘は二人で入るには小さすぎるようで、雨足自体はさほど強くないにもかかわらず、彼の左肩はしっかりと濡れていた。

(ど、ど、どうしよう。な、何か話さないと)

「あっ、綾波……その、最近調子はどう?」
「……問題ないわ。使徒ももう来ないもの」

 そうなのだ。サードインパクトのあと、彼が願ったように人類は再びA.T.フィールドを取戻し、紅い海から――全員ではないが――還ってきたのだ。
使徒も全て(?)倒された今、NERVも研究機関となり、これまで蓄積したテクノロジーの民間転用を目標としている。
故に、チルドレンたちも週に一二度程度しかNERVに顔を出す必要はなかったりする。

「………」
「………」

しばらく、二人の間を沈黙が支配する……。と、そのとき――

――ピカッ、ゴロゴロゴロ――
「キャッ」

 稲光が走り、大きな音が轟いた。それと同時に、かわいらしい悲鳴が聞こえ、彼の右腕が柔らかい感触に包まれた。

(な、何が起こってるんだ)

 ゆーっくりと、彼は視線を右に向けた。傘の柄が映り、次に白いYシャツに包まれた右肩、続いて碧い髪が目に飛び込んできた。

(ん? 碧い髪……)

 ゆっくりと視線を落とした先には、確かに碧い髪が見える。

――ガクガク、ブルブル――

小刻みに震えてはいるが、見間違いではない。

「あの〜、綾波?」

――ピカッ、ゴロゴロゴロゴロ――
「キャアッ」
――ガクガク、ブルブル――

「……綾波? 大丈夫?」
「…ガクガク…だ、大丈夫よ…ブルブル」

(いや、その〜、全然大丈夫そうに見えないんですけど)

「綾波……もしかして雷苦手? 」
「そ…ガクガク…そんなこと…ブルブル…な、ない『――ピカッ、ゴロゴロゴロゴロ――』」
「キャア〜〜〜ッ」

(ほんとにダメみたいだ……)

「綾波、ほら、もうすぐだから、ね」
「え…ガクガク…ええ…ブルブル」

 そう言って彼は、少女に腕を抱え込まれたまま、少女の住むマンションへと道を急いだ。



      ――――15分後――――



「ほら綾波、着いたよ」

 二人は「402号室」と書かれた部屋の前に立っていた。本来ならもっと早くついていて当然なのだが…

(綾波ってば、雷が鳴るたびにおびえて動かなくなるんだもん)

ということらしい。……彼のここまでの心労は、推して知るべきだろう。

(……でも、おびえる綾波って、新鮮でかわいかったなあ……)

 …………。とにもかくにも、こうして彼は綾波レイを自宅へと送り届けることに成功した。
彼には後でゆっくり休養してもらいたいところだ。

「それじゃ、綾波、僕はこれで」
「……まっ、待って」
「? 」

……どうやら、彼はまだお役御免とはいかないらしい。難儀なものである。

「……家に上がっていって」
「えっ……」

 彼は突然のことに頭が回っていないようだ。

「……ダメ?」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて…」

 ここで部屋に上がった少年を責めないでほしい。少女は、その瞳に涙を湛えていた
のだから……。

「おじゃましま〜す」
「…少し待っていて、今紅茶を入れるから」

 彼にとっては、これが三回目である。
打ちっぱなしの壁は以前と変わらないが、過去二回とは異なり、部屋は清潔に整えられており、以前よりも人が住んでいる香りが感じられた。

「……碇君、できたわ」

 彼が感慨にふけっている間に、少女は紅茶を淹れていたようだ。どうやら、アールグレイのリーフティーのようである。

「おいしいよ。綾波、紅茶淹れるの上手くなったね」
「……あ、ありがとう//////」

以前は、自分が手伝った(というよりシンジ自身が淹れた)ことを思い出すと、シンジには少女の変化が感じられた。

(もともとかわいいしね)

 彼の某メガネの友人によると、惣流・アスカ・ラングレーと並び、一番人気なのだそうだ。

「それじゃ、綾波…そろそろおいとま『――ピカッ――』」
「キャア〜〜」

――ギュッ――
――ゴロゴロゴロゴロ――

「!!!」
「……もう少し…ガクガク…もう少しだけでいいから…ブルブル…お、お願い…ガクガクブルブル」
「う、うん」

 こう言われると、断るに断れないのが碇シンジという人物である。
 そうして、雷がおさまるまで、彼は少女に右腕を貸し続けるのであった。


      ――――そして雨は上がる――――


「…碇君、今日はごめんなさい」
「いや、かまわないよ、誰にでも苦手なものはあるし…」
「……それで、お願いがあるのだけれど」

 少女は、不安そうに彼に尋ねた。

――クスッ――

「いいよ、誰にも言わないよ」
「……それもお願いするけど、そうじゃなくて…」
「???」

「……また、来てくれる?」
「へっ?」

―――また来てくれる?――

 その一言が、彼の脳内でリフレインし続けた。

「も、もちろんだよ」

彼がそう答えると、少女の表情はパアッと明るくなった。

「……ありがとう」

「うん、こちらこそ、おいしい紅茶をまた頼むよ」

そう言い置いて、彼は帰路についた。

――綾波、微笑(わら)ってたなあ――

一方、その頃少女は

――碇君、「おいしい紅茶を」って言ってくれた――
――そういえば、碇君の手、あたたかかった――
――今も、あたたかい――
――この気持ち……嫌じゃないわ……――

 今夜、二人が何を思ったかを知るのは、雲の切れ間からそっと顔をのぞかせる、美しい満月だけである。



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