Trick or Treat

                                         Written by史燕


                          
                                           
オレンジ色の大きなカボチャ
中身をくりぬきナイフで目鼻
お口を描いたら帽子をかぶせ
ともしびゆらゆら
Trick or Treat?

「はろうぃん?」
「うん、ヨーロッパの収穫祭だよ」
「かぼちゃを準備しているのは?」
「お祭り特有の飾りみたいなものかな」

彼女が指さすのは、スーパーの玄関に飾られたカボチャの置物。
このジャック・オ・ランタンはなんとオーナーのお手製らしい。
ハロウィンと呼ばれる収穫期にちなんだケルトの節会が、キリスト教圏を飛び越え遙かな日本でも大人気になっているのは素直に面白いと思う。
だけど、それだけだ。
そもそも騒がしいのは苦手だし、仮装パーティーなんてガラじゃない。
だから関係ない。
このスーパーでの出来事を記憶の端に追いやり、夕飯の片付けをしていた、たった今まで、そう思っていた。

「Trick or Treat?」

鍋の蓋を拭き終え、振り向いた瞬間、待ち構えていた綾波の口からそんな台詞が飛び出すまでは。

振り向いた先には碧い髪はそのままに、おでこに黒いバンダナを巻き、ベージュのシャツに真紅のズボン。
ここまではいい。そんな服持ってたんだね、なんて思いはしたけど別にいい。
問題は、肩から大きく広がった漆黒のマントである。
斬撃対策のため、ご丁寧に肩を覆うどころか大きくはみ出ているパッドまでしている。
そうだね、ロングソードの袈裟斬り怖いよね。
さらにハロウィン仕様なのか、ご丁寧に胸元にはオーブの代わりに小さなカボチャが微笑んでいる。
うん、かわいいね。結構似合ってるよ。

「って、違うそうじゃない」
「ん、どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃないよ。それはこっちの台詞だよ、綾波。君がどうにかしちゃってるからだよ」
「黄昏より昏き存在もの、血の流れより紅き……「ごめん、ちょっとやめようか」」

表情を変えずに恐ろしい――本当にいろいろな意味で恐ろしい――呪文を唱え始めた彼女を慌てて制止する。

「どうして?」
「『どうして?』じゃないよね。世界観が違うよね」
「世界観?」
「絶対わかってて言ってるよね。どうしてこんなことしちゃったんだよ」
「ハロウィンは、仮装をするものでしょう?」
「ああ、うん、そうだね。そういう向きもあるね。――続けて」
「だからやったの」
「仮装を?」
「ええ、魔道士の」
「あっ、ああ、なるほど。そっかそっか。うん、魔道士ね、たしかに魔道士だね」
「リナ・インバースはみんなが憧れた剣士にして魔道士。私も竜破斬ドラグ・スレイブなら暗記しているもの」
「そうだよね。きっとたぶんそうかなって思うよ。君が言うと説得力が違うね、ほんとに」
「さらに言えば、性格が違う私はみんなから『リナレイ』と呼ばれているし」
「あーそうだったね。うん、そんな綾波がいる世界もあるかもしれないって話だったね。綾波がとても元気がいい活発な子だったら、なんて可能性」
「アスカに霧島さんに、マリさん。碇くんは、あっちの私の性格の方が好み?」
「いやいや、そんなことはないよ。綾波は綾波のままが一番好きなんだ。もちろんあの性格の綾波も好きだけどね。僕にとっては目の前にいる君が一番だよ」

どうしてこんな恥ずかしいことを本人をッ前にして口にしないといけないのか。
そんな理不尽を覚えながら、なんとか彼女をなだめる。
思わず「ふぅ」とついたため息、それさえもこの状況ではよろしくないようで。

「碇くん。今、大平原の小さなむ「思ってない、全然思ってないからね」」
「むぅ、でも最新作では『胸の大きないい女』って「言ったけど、たしかに言ったけど、あれはジョークだから。そういうノリだから」」

ちくしょう。過去の自分が、平行世界の自分が、僕を殺しに来てる。
やめて、今の綾波ならほんとに竜破斬くらい撃てそうな迫力があるもの。

「Trick or Treat?」
「へっ?」
「お菓子をちょうだい。じゃないと、竜破斬を「わかった、わかった」」

何の因果か、昨日のうちに仕込んでおいたカボチャプリンなら冷蔵庫の中に。

「はい」
「ありがとう、ふたつも?」
「うん、元々作っておいたから、Treatなら僕の分もあげるよ」

こうなったからにはカボチャなんて見たくもないしね。

「えっ、そんな」

本当に二つも食べていいのか、それとも断るべきか、だけど食べたい。
そんな二律背反が綾波の中でせめぎ合っているのが見て取れた。
その様子を尻目に、綾波の肩パットとマントを外し、頭に巻いたバンダナをほどいて、洗濯機に入れる。
マントと肩パッド、ほんとにどこから調達したんだろう。

「……いただきます」

結局二つとも食べることにしたらしい。
いいよ、いいよ。
よそ様から怒られるくらいなら何個だってプリンなら作ってあげる。
次はカボチャ以外でだけど。

「碇くん」
「どうしたの? もう食べちゃったんだ」

綾波は、甘い物になると目の色を変えるから。
何の心構えもなく応えたその先には、先ほどよりもさらに近い位置に、もはやほぼ密着していると言っていいくらいの場所に、彼女が立っていた。
とっくに見慣れたはずなのに、気がつけば魅入られて視線が吸い込まれてしまう、紅い瞳。
その双眸が、僕の顔を映して放さなかった。

「Trick or Treat?」
「えっ」
「……だからTrick or Treat?」
「Treatなら、さっきあげたじゃないか」

まさか二つで足りないとは、予想が出来るわけ無いじゃないか。
そんな文句を言いたくても口に出来ないのは、紅い瞳が未だに僕を捉えたままだから。

「たしかに、碇くんからTreatはもらったわ」

綾波の口から、僕の内心と同義の台詞が飛び出す。
そうだろう、そうだろう。
心の中で深くうなずいているのに、現実の首元は微動だにできない。

「でも、私からのTreatはないの」
「え、と、そうなんだね」

よく、意味がわからない。
今日ハロウィンを知ったのだから、お菓子を用意していないのは無理もない。

「だから碇くん、Trickしかないの」

そう言って、目の前で済まなそうに首を振る彼女。
その真っ白な首筋がよく見え、特徴的な碧い髪が揺れた。

「お願い。いたずら、して?」

瞳を潤ませて、彼女は首を横に傾けた。

その後のことを僕は語るつもりはない。
強いて話すことがあるとすれば、収穫祭の翌朝の太陽は黄色かった。

「……もっとぎゅっ、して」

そう言いながら抱きつく彼女の温もりは、何物にも代えがたい。
僕たちの枕元には、彼女が身につけていたジャック・オ・ランタンが微笑んでいた。


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