再び巡る時の中で

                     「再会」

                                         Written by史燕




――ザザーン、ザザーン――

かつて、蒼天を讃えた空は、今はただただ暗闇を有するのみだ。 空には小鳥の姿すらなく、本来ならば常夏であり、騒々しいほどかき鳴らされるはずの蝉の音も、一つとして聞こえない。
……聞こえるのはただ、波の音だけである。

――ザザーン、ザザーン――

「どうしてこうなったんだろう」
砂浜に座る少年は、今日何度目なのかわからない問いを呟いた。
そして、少年が目を開けるとそこには、ただひたすら紅い海が広がっていた。

――紅い赤いあかいアカイアカイアカイアカイアカイアカアカアカアカアカアカアカ――

少年の目は、何も写していなかった。そもそもこの世界のどこに、少年が写すべき対象があるというのだろうか? 
よしんぼあったとしても、それが少年の心に届くことがあるのだろうか。

「きもちわるい」

最期にそういって、少年の家族であった少女は、再び紅い海へと還って行った。
彼がその目に移すべき対象はもうこの世界には存在しないのだ。……そう、この世界には・・・・・・
 

――ガタンゴトン、ガタンゴトン――

「……あれ、ここは?」
「僕はたしか、アスカの消えた後、LCLの海を見ていたはずじゃなかったっけ?」

――緊急警報、緊急警報をお知らせします。本日12時30分東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかにシェルターへ避難してください――

「えっ、シェルター? ということは、もしかして!!」

そう言って彼がモノレールの窓越しに見た空は、吸い込まれるように、蒼かった。

 ゴソゴソ、グシャ――彼は手に触れたソレをポケットから取り出してみた。
それは、「来い、ゲンドウ」と書かれただけの、一度破られた跡が見える手紙と「ここに注目」と胸元に書かれた、一人の女性が写っている写真だった。

「……本当に、還ってきたんだ」

蒼い空と、たった二枚の紙。普通の人間からすれば、ただそれだけのものだが、彼――碇シンジにとってはとても重要なものだった。

彼の乗車したモノレールは、第3新東京市駅に止まった。彼は、ホームに降り立つと、記憶と寸分変わらない情景に感慨を覚えながら、外へと歩き始めた。
そして、自身の現状を鑑みて、今第一にすべきこと――連絡を行っていた。

「やっぱり、電話は通じないや。おとなしくミサトさんの迎えを待とう」

そういった彼の視線の向こうに、碧い髪の少女の姿が、ゆらゆらと揺れる陽炎のように映った。

「綾波?」

彼が瞬きした瞬間、少女の姿は消えた。と同時に

――キキーーッ――

彼の目の前には青いルノーが現れ、運転席から写真と同じ女性が現れた。

「ごめんね〜、シンジ君。何しろ非常事態だったから」

そう言って現れたのは、かつて彼の上司であり、同時に同居人であった人物。

「……葛城、ミサト……さん」
「ミサト、でいいわよ。碇シンジ君」

葛城ミサトの姿だった。

「あれは使徒と呼ばれる生命体で、人類の敵よ」

(人類も、使徒なのだけどな)

彼は、車内でミサトの説明を聞き流しながら、頭の中で現状の把握に努めていた。

(本当に還ってきたのだ。でもどうしてだろう)
(また、怖い思いをしないといけないのかな、嫌だな)

NERV本部についたようだ。

(あれ、爆発は?)

彼がかつての世界でのN2地雷の爆発を思い起こしていた次の瞬間

――ドオオオーン――

大きな爆音が鳴り響いた。

「まったく、街中でN2地雷を使うなんて……。でも、これで決まりかしら」

(いや、まだ使徒は生きているはずだ、あの時もダメだったんだから)

しばらくして、二人は車から降り、ケージを目指して歩き始めた。……が、ミサトは(いつも通り)迷ってしまったらしい。

「え〜っと、確かこのあたりを」
「エレベーターはこっちですよ、ミサトさん」
「ゴミン、ゴミン。まだここに来て日が浅いから……」
「でも、シンジ君がどうして知っているの?」
「あ、えっと、その……あ、あそこに案内板があって、それを見たんですよ」
「へ〜」

そうこうしつつも、二人は無事ケージの入り口にたどり着いた。
そこでは、赤木リツコが二人を待っていた。

「あら、あなたにしては早かったじゃないミサト」
「ちょっと、リツコ〜私をなんだと思ってるのよ〜」
「日ごろの行いを思い出しながら、胸に手を当ててみることね」

(リツコさん、か……)

「それでこの子が」
「そう、サードチルドレン・碇シンジ君よ」
「はじめまして、シンジ君。E計画主任・赤木リツコよ。リツコでいいわ」
「あ、えっとよろしくお願いします」
「いらっしゃい、シンジ君。あなたに見せたいものがあるの」

そう言ってケージの中に向かうリツコの後を、二人は追った。

(え〜っと、この後はたしか……)

「暗いから気を付けて」

――カシャン――

ライトアップされたケージで、少年の目に飛び込んできたのは、かつて戦場を共にした紫色の鬼神――エヴァンゲリオン初号機だった。

「これは……」
「人の造りだした究極の汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン」
「我々人類最後の切り札、これはその初号機よ」

(また、これに乗るのか……。嫌だな、痛い思いをするのは)
(でも、乗らなければみんな傷つくんだよね……。あの紅い世界はもっと嫌だし)
(もしかしたら、僕がエヴァに乗らない方がいいのかもしれな)
(だけど、ひょっとしたら、僕ががんばれば、サードインパクトを避けられるのかもしれない)

(……まあ、とりあえず今は、話の流れに合わせておこう)

長い逡巡の末、シンジはそう結論付けた。
やらなくても同じならやった方がましだ、というやや消極的な結論でもあるが。

「シンジ君、シンジ君!!」
「あ、えっと、どうしましたか?」

彼はミサトに声を掛けられていたことに気付いた。
その様子を見るに何度も声をかけていたようだ。

「『どうしましたか』じゃないわよ、いきなり黙り込んじゃって」
「すみません、あまりにびっくりして、話の展開についていけなかったんです」

そう言って、自分が話を聞かずに思考の海へ沈んでいたことを誤魔化した。

「それはそうかもしれないわね〜」
「でも、お姉さん、チョッチ心配しちゃったわ」
「あははははは、リツコさん、これも父の仕事ですか?」

シンジの問いに答えたのは、リツコではなかった。

「そうだ」

二階から返事をしたのは、碇ゲンドウである。
NERV総司令であり、シンジの父でもある存在だ。

「久しぶりだな」
「うん、久しぶりだね、父さん」
「単刀直入に聞くけど、僕を呼んだのはこの――エヴァに載せることが目的なんでしょ?」
「その通りだ。シンジ、これにお前が乗るのだ」

「待ってください」

このやり取りを聞いていて、黙っていられなかったのは葛城ミサトである。
彼女は年端もいかない少年たちを――とくに、全く無関係だったシンジを――戦場に送り込むことに罪悪感を持っていた。

「レイでさえ、エヴァとシンクロするのに7ヶ月かかったのですよ」
「座っていればいい、それ以上は望まん」
「でもっ」
「葛城一尉!!」

リツコはミサトの言葉を、語気を荒くしてさえぎった。

「今は使徒撃退が最優先事項よ」

リツコは目の前に迫る現実を盾に言い募った。
ここで使徒を撃退しなければサードインパクトで人類滅亡なのだから、手段を選んでいる暇もないのが本音だ。

「そのためには誰であれエヴァとわずかでもシンクロ可能な人間を乗せるしか方法はないのよ」
「それとも、他にいい方法があるとでもいうの」

目は(あなただってわかっているでしょうに)そう語っていた。
ミサト自身頭では理解しており、自分の言葉は詭弁だと分かっていた。
ただ、それでも感情を抑えることができなかったのだ。
この間一言も話さないシンジを見て、ゲンドウは乗る気がないのだと勘違いしていた。

「冬月、予備が使えなくなった。レイを起こせ」
「使えるのかね」
「死んでいるわけではない、もう一度乗せる」

もしかしたら、心のどこかでは、無関係だったシンジを今回の一件に巻き込むことに、罪悪感を覚えたのかもしれない。

――ガラガラガラ――

ストレッチャーに乗せられて、蒼い髪の少女――綾波レイが運ばれてきた。

「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ」
「はい」
「……父さん」

今まで沈黙を保っていたシンジが、口を開いた。
その目には力強い意志がこもっていた。

「どうした、臆病者はここには不要だ」
「父さん、僕は別に乗らないと言ってないのだけど」

(不思議だな、さっきまであった恐怖や不安が、どうでもよく思えてきた)

「父さん、乗るよ。だから、みなさんこの子を早く治療してください」
「シンジ君、いいの?」

ミサトがそう尋ねてきたが、シンジの心は決まっていた。

「かまいませんよ」
「それにもし……」
「?」
「もし、僕じゃなくて彼女が乗って、彼女が傷ついたら、きっと僕は自分の大事なものを失ってしまうような気がするんです」
「何より、そうなったとききっと僕は」

――きっと僕は、自分自身が許せなくなると思うんです――

彼の声には、覚悟と決意と、力強い意志がこもっていた。



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