半身〜Bパート〜
Written by史燕
シンジが「和泉古書店」に勤め始めて半年が経った。
これまでは、たまに訪れる客を和泉と共に相手しながら、ネットで配送する書籍を包装したり、本棚に圧迫されている店内スペースの掃除をしたりして、業務をこなしていた。
ちなみに、営業時間もあまり一定しておらず、シンジが出勤する時間は午前9時ごろだが、それより早く開いているときもあれば、シンジがやってきたのに気付いて開店する日もある。
また、閉店はもっと適当で、和泉が「今日はこれでおしまいです」といえば、例えまだ日が高い時間であっても店に「本日は終了しました」の看板をかける。
なお、この半年で訪れた客はわずか6人で、内訳は、会社帰りのサラリーマンが一人、買い物帰りの主婦が一人、近所の老夫婦が二人で訪れ、最後の一人は先日『国史大辞典』を買った学生が、他の書籍を探す友人と連れ立ってやってきた、というものである。
しかも、そのすべてが和泉の知り合いであるので、ネット通販があるとはいえ、とっくの昔に潰れていてもおかしくないような内情である。
――もっともシンジは毎日のようにネット通販で注文された商品を発送しているのであるが――
そんなある日のことである。
「よーし、これでおしまいかな」
シンジは、もはや仕事ではなく日課となりつつある店内の掃除を終えたところだ。
「とりあえずひと段落ついたし、休憩しよう」
仕事はさほど忙しくなく、客は少ないとはいえ、一月を過ごす分には十分な給料が支払われる。
シンジは、この生活に特に不満はなかったし、なにより和泉と、この店で流れる時間が気に入っていた。
そうして、シンジは店の奥に戻ることにした。
今日も今日とて、そんな穏やかな時間が、いつものように流れている。
「……あの、すみません」
否、つい今しがたまでは、いつも通りの時間が流れていた。
が、突如聞こえてきた若い女性の声によって、「和泉古書店」に流れる時間は、日常から非日常へと移り変わった。
「はい、いらっしゃいま…せ……」
シンジは驚いていた。
ほとんど客が来ない店に、若い女性がやってきたこと自体もそうだが、その相手に見覚えがあったからである。
吸い込まれるような紅い瞳に、一度見たら忘れられない碧い髪――。
「……綾波」
ぼそり、と呟いた。
そう、彼女はかつての戦友であり、淡い慕情の対象であった綾波レイがそのまま大人になったような容姿をしていたからである。
「……どうかなさいましたか?」
「いえ、昔の知り合いとあまりにも似ていましたので」
(別人……だよな。綾波はもういないんだし)
消えてしまった少女に対して、シンジは思いを馳せた。
「……そうですか」
「あの、お名前をうかがってもいいですか?」
「……夕霧、レイです。……あなたは?」
「あっ、失礼しました。僕は碇シンジです」
「……あの、中を見せていただいてもいいですか?」
「申し訳ありません。こちらからどうぞ」
「……すみません、碇さん。一つお願いしてもいいですか?」
「? なんでしょう?」
「……敬語をやめていただけませんか? 同じくらいの年なのに、敬語なんて息苦しくて」
「わかり…わかったよ。これでいいかな?」
夕霧の要望に応えたシンジだが、彼自身も肩の力が抜けたようだった。
(なんだか落ち着くんだよなあ。この子)
そう思った後
(まるで二人目みたいだ)
という感想を持った自分に、自分でも驚いた。
(……やっぱり、重ねているんだろうか。いや、それは夕霧さんに失礼か)
「どんな本を探しているの?」
「……ウェーバーや丸山真男」
「政治学か……。どうしてそんな難しそうなものを?」
「……講義の、課題で必要なの」
「講義? ひょっとして第二の?」
「……ええ、法学部の3年生」
「頭いいんだね」
「それほどでもないわ」
シンジは謙遜かと思ったが、どうやら本気でそう言っているようだった。
(偏差値80超えているのにな〜)
「政治関係はこの辺かな」
「……え〜と、『支配の諸類型』『権力と支配』『日本政治思想史研究』」
「……すごい。ひょっとしたら大学の図書館よりすごいかもしれない」
彼女はその品ぞろえに目を瞠っていた。
「おやおや、かわいらしいお嬢さんとは珍しい」
「あ、ソウイチロウさん」
和泉が店の奥からやってきたのだった。
「夕霧さん、こちら店主の和泉ソウイチロウさん。ソウイチロウさん、こちら夕霧レイさんです」
「はじめまして、和泉です」
「夕霧です」
「いや〜シンジ君にこんな可愛い彼女がいたなんて」
「かっ、彼女///」
「そっ、ソウイチロウさん、誤解ですよ///」
シンジは必死に反駁し、夕霧に至っては真っ赤である。
「若いですね〜。冗談はこれくらいにして、シンジ君夕霧さんを奥にお通ししてください」
「はい」
その後三人でひとしきり談笑した後、閉店時間を迎えた。
「……今日は楽しい時間をありがとうございました」
「ぜひまたいらしてください」
「……ありがとうございます」
「……それではこれで失礼します」
「夕霧さん、また会いましょう」
「……碇さんも、また」
こうして彼と彼女は出会い、また物語が始まった。
今日の非日常は、明日の日常へと変わっていく。
彼らの手でどのような物語が紡がれていくのか、それを知るものは、ただ神のみである。
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