半身〜Dパート〜

                                                 Written by史燕



――……もしもし、聞こえる?――

夢の中で、夕霧は自分を呼ぶ声に気が付いた。

(……また、なのね)

この声が聞こえ始めて、三ヶ月である。
シンジと夕食を取ったあの日以来、毎晩夢の中でこの声を聞いている。

「……私を呼んでいるの?」

――……ええ、そうあなたを呼んだの――

「……あなたは誰?」

――あなたは私、私はあなた、昔私だった者――

「……私はあなたじゃないわ。私は夕霧レイ、あなたの名前を教えて」

――……私は綾波レイ――

「……綾波レイ?」

――……そう、綾波レイ。15歳までのあなた――

「……15歳までの、私が記憶を失う前の私だっていうの?」

――……そうよ、そして碇君と共に在った――

「……碇君、って碇シンジさんのこと?」

――……その通りよ――
――……そして、あなたは再び碇君と出会ったわ。記憶を封印していてもなお……――

「……記憶を封印? どういうこと」

――……正確には私の力を封印したのだけど、一緒に記憶も封じてしまったわ――

「……力? いったい何のこと?」

――……それはこれからすべて、記憶と共に伝えるわ――
――……安心して、戻るのは記憶だけだし、たとえ記憶が戻ったとしても、あなたはあなた自身であることに変わりはないから――

「……あなたはどうなるの?」

――……私はあなたになるの。正確にはあなたの中に溶けてしまって、存在としては消えてしまうけど――

「……あなた、碇さんのことが好きなのでしょう?」

――……それはあなたも一緒でしょう? そして碇君は傷つきやすい、いえ、今も過去の傷を引きずっているわ――

「……えっ」

――……だから私はあなたの一部になれる。碇君が好きなあなただから――
――……あなたと一緒にいかりくんを支えたいから――
――……碇君を支えるには、どうしても私の記憶が必要よ――
――……あの時彼と共に在った人たちしか、彼の苦しみを理解することはできないから――

次の瞬間、夕霧は自身の頭がスパークしたようなイメージを受けた。
溢れ返るような情報の奔流、波、波、波……。

全て理解した後に、夕霧は綾波に訊ねた。

「……碇君はどうして今も笑っていられるのかしら」

――……彼が、とても優しいからよ――

そういって綾波レイは、夕霧レイの中へと溶け込んでいった。



その翌日である。
今日、夕霧は「和泉古書店」を訪れ、10冊近い本を購入していた。

「こんなにたくさんの本を運べるの?」
「……たぶん、大丈夫…だと、思う」
「碇君、持って行ってあげてください。今日はそれで帰っていいですから」
「えっ、いいんですか?」
「ええ、今日は配送も終わりましたし、この後所用があるので、これで店は閉めますから」

こうして以前も訪れた夕霧の部屋へと向かった。

「……ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ僕はこれで――」
「待って!!」

夕霧宅の前へ本を運び終え、シンジは帰ろうとするが、そこを夕霧に呼び止められた。

「? どうしたの?」
「……えっと、その」

夕霧自身、なぜ自分が声をかけてしまったのかわからず、戸惑っているようだった。

(……どうしよう)

「……あ、上がって? お、お礼もしたいし」

(……あ、どうしてだろう。いきなり「上がって」なんて、普通に考えたら迷惑。厚かましい女だと思われたかな)

「………」
「……うんと、その、迷惑…かしら……」
「いや、お邪魔させてもらうよ」
「……そうよね、普通に考えたら迷惑よね。うん、お邪魔させてもらうよ……って、いいの!?」
「う〜んと、むしろ僕の方こそいいのかなって思っちゃうんだけど」
「……いい、むしろお願いしたのは私。ささ、遠慮しないで」
「う、うん。ごめんくださ~い」

(夕霧、いつになくはしゃいでるな〜。こんな夕霧、初めて見たや。ただ部屋に上がるだけなのに……)

……乙女心がわかっていないシンジであった。

さて、かくしてシンジは夕霧宅に腰を下ろしたのである。

(しっかし、見事に何もないな〜)

そう、夕霧の部屋にはとにかく物がなかった。
もちろん1K の部屋にベッド、タンス、食器類といった生活に必要なものは揃っていたが、むしろそういった最低限のものしか置いてなかった。
唯一の例外を挙げるとすれば、部屋の片隅に研究に使うのであろうと思われる書籍と、1台のノートPCが鎮座していた。

(包帯なんかはないけど、綾波の部屋みたいだ)

「……ごめんなさい、人を迎えるような準備をしていなくて」

そんなシンジの目線に気付いたのかそうでないのか、夕霧も申し訳なく思ったようだった。

「いや、気にしないで。急な話だったしね」
「ところで、今日はどうして部屋に上げてくれたの?」
「……少し、話がしたくて」

(……夢の話、記憶の話、話したいことはたくさんある)
(……といっても、どこまで話すべき? そもそも、話していいの? もしかしたら……迷惑、かもしれない)

「……少し待っていて、今お茶を淹れるから」

そうして、夕霧がキッチンへと向かってしばらくの後

「キャッ」

と、夕霧の悲鳴が聞こえた。
それを聞いたシンジもキッチンへと向かった。

「どうしたの?」
「……大丈夫、ちょっと指が当たっただけだから」
「大丈夫じゃないよ、ほら、急いで冷やさないと」

そういってシンジは、夕霧の手をつかむと、急いで蛇口をひねり、夕霧の指を冷やした。

ふと、夕霧は、(そういえば、以前もこんなことがあったような気がする)という既視感を覚え、自身の記憶とその理由に思い当たった。

(……やっぱり、話してみよう)

これで踏ん切りがついたのか、思い切ってシンジに話してみることにした。

紅茶を淹れ終わり、二人は小さな机に座って向かい合った。

「……そういえば、以前もこうして失敗して、手を冷やしてもらったことがあったわね」
「以前? 僕が夕霧の部屋に上がるのは、初めてのはずだけど……」
「……『夕霧レイ』とはね。でも――」

「『綾波レイ』となら? エヴァンゲリオン初号機専属パイロット『碇シンジ』君?」

シンジは困惑していた。
彼自身、夕霧が『綾波レイ』とよく似た容姿をしていることは気になっていた。
この部屋も、『綾波レイ』の部屋に酷似している。

また、事実として、かつて――シンジが14歳のころ――『綾波レイ』の部屋で今回のようなヤケドの介抱をしたこともある。

「……まさか、君は『綾波』なのかい!?」
「……そうよ。紅茶を淹れるの、上手になったでしょう?『碇君』」

「……『碇君』、私が記憶を喪っていたことは、話したわね」
「うん」
「……実は、記憶が戻ったの」
「えっ、それって……」
「……そう、私は『綾波レイ』」

レイは、これまでの一部始終をすべてシンジに話した。
自分が記憶を喪ったこと。
養父に拾われたこと。
最近の夢。
夢の中での『綾波レイ』――かつての自分との邂逅。
記憶を喪っていた理由。

「――つまり、今の私は『夕霧レイ』でありながら『綾波レイ』でもある一人のヒトである、ということ」

「『綾波』……」
「……ど、どうしたの、『碇君』!!」

シンジは泣いていた。
この6年間で一番、心の底から泣いていた。

「ずっと……ずっと会いたかったんだ、『綾波』。会いたくて……謝りたくて……」
「……何より、お礼を言いたかったんだ……」
「……えっ、ちょっと碇君!?」

そしてシンジは、机の向こうに座っているレイを、しがみつくようにして抱きしめ、泣き続けた。
まるで、そうしないとどこかに行ってしまうように思っているかのようにしながら……。

「……ごめん、ありがとう。もう、大丈夫だから」
「……そう、気にしないで」

「ところで、君のことはどう呼べばいい? 『綾波』? 『夕霧』?」

このシンジの質問に、レイは少し考えた後、こう切り出した。

「……私は、私、綾波でも夕霧でも、同じ『私』には変わりないわ……」
「……ただ、二人だけの時は、以前のように『綾波』と呼んでほしいの、『碇君』」
「っつ、そうだね、『綾波』」
「……うん、『碇君』」



――かつて人間は神によって男と女に分かたれた――
――故に男女は双方とも、いまだに分かたれた己の半身を探し求めるのだという――
――かくして二人は、6年の時を経て、正しく己の半身と“再会”したのであった――




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