連作SS:ミルフィーユ外伝3

                     「コーヒー、紅茶、ミルフィーユ」

                                         Written by史燕






――カランカラン――
「ありがとうございました」

今、私たち以外の客が店を出ていきました。
私たち二人でこの店を独占している中、無言の室内を古いジャズ音楽がゆったりとした時間を流れていきます。

私、綾波レイと向かいに座る、赤木リツコ博士。
私の手元には深紅のアールグレイ。
赤木博士の手元には深い漆黒のモカブレンド。
サードインパクトが収まったあとで、二人でわざわざ「時間を取りたい」と言った博士をこの店に案内したのは、せめて緊迫した話であっても、私のテリトリーで話をしたい、という気持ちの表れです。

「レイが、こんな店を知っているなんてね」

ひと口、カップに口をつけて、赤木博士がポツリとつぶやきます。
味はお気に召したのか、そのあと二口、三口とカップを傾けます。

一方の私はというと、本題が何なのかという点が気になり、正直気が気ではありません。

マスターが「どうぞ、ごゆっくり」と言って、いつものミルフィーユを置いてカウンターへと戻ります。
待って、待って、もう少しこっちにいて。
そんな願いも空しく、こちらはテーブル席、あちらはカウンターの向こう。
たった10mの距離が、A.T.フィールドよろしく絶対の防壁となっています。

「次は『真珠の首飾り』もいいですね」

なんて、音楽に耳を傾ける始末。

そんなマスターを横に私はじっと赤木博士が口を開くのを待ちます。

「口、つけないの?」

そう言われてはじめて、自分がカップにもケーキにも一口も手を付けていないことに気が付きます。
慌ててカップに口をつけて、「あつっ」
まだかなり温かいのに、一息に傾けてしまったため、少し驚いてしまいます。

「あらあら、誰もそんなに急いで飲みなさいなんてつもりで言ったのではないのに」

先ほどの神妙な空気が、今は霧散しています。
意図したものではないとはいえ、少し肩が軽くなりました。

「そうね、どこから切り出すべきかしら」

私が落ち着くのを待って、赤木博士が改めて話し始めます。

「まずは、あなたに謝らないといけないわね」
「……謝る、ですか?」
「ええ、ごめんなさい」
「……どうして、ですか?」

「そうね、少し、長くなる話ね」
そう言って、赤木博士は煙草をくわえ、ライターで火をつけます。
「喫煙席を選んでくれて、ありがたいわ」
そう言いながら、彼女は煙草の煙をふう、と吐き出します。



  あなたを、綾波レイという存在を、私は認めたくなかったの。
  あの人の、碇司令の特別だったから。
  私はだから、あなたを人形だと思い込もうとしたの。
  人形だから、あの人に気に入られる。
  人形だから、何をしてもいい。
  だからこそ、ダミープラグの実験も良心の呵責はなかったわ。
  だって、人間じゃないから。

「そう、思い込もうとしていたのよね」
そう言って、赤木博士はカップに口をつけながら苦笑しました。


  でも、あなたは人形じゃなかった。
  何より大切な、ココロを持っていた。
  魂があなたに宿っていることは、理解していた。
  いえ、理解したつもりになっていた。_
  そのあなたが、どんどんと表情を変えるようになって、感情を表すようになって。


「三人目になっても、それは変わらなかった」
咥える煙草は、二本目になっていた。

  このお店だってそう。
  あなたは、私の知らないところで、立派に一人の少女になっていた。
  人形じゃない、乙女になっていた。
  それも、あの人の手を離れた、別の場所で。


「そのきっかけが、シンジ君なのよね」
二本目の煙草を置いて、赤木博士は話を終えた。

話を終えたタイミングで、二人そろって、ミルフィーユを取り崩し始めた。
お互いに、どう言葉を続けていいかわからなかったから。

二人でミルフィーユを食べ終え、カップも空になろうかというときに、ようやく決心して、私は口を開いた。

「……ありがとう、ございます」
「えっ?」
「ありがとうございます」

私の口から出たのは、「ありがとう」感謝の言葉だった。

「あら、私の話を聞いていなかったのかしら? 感謝されるようなことは、何もないはずだけ――」
「いえ、あります」

私は赤木博士の言葉を遮って、話を続けた。

  赤木博士、私は感謝しているのです。
  私がここに生まれて、生きていられるのは、赤木博士のおかげですから。
  確かに私は、特殊な生まれ方をしました。
  私には「代わりがいる」そういう存在だったことは事実です。
  それでも、エヴァに乗って、いろんな人と出会って、
  あのサードインパクトを越えて、
  それは、間違いなく「綾波レイ」が歩んできた道だから。
  ヒトとして歩いてきた道だから。

「それに、赤木博士のおかげで、解放されたのです」
そう言って、私は言葉を一度区切り、再び、話を始めた。

  二人目が、三人目になって、今の私が何人目なのか、わかりません。
  でも、間違いなく、唯一無二の「綾波レイ」なのです。
  あのセントラルドグマの、ほかの綾波レイがいなくなったから。
  赤木博士が、解き放ってくれたから。

「だから私は、胸を張って、ヒトを好きだといえるのです」
そう、言葉を締めくくった。

「本当に、大きくなったわね。レイ」
「……赤木博士に、育てていただきましたから」

感嘆する赤木博士に、私は、当然のことですと回答します。

「マスター、お代わりをいただけるかしら?」
「もうご用意していますよ。すぐにお持ちします」

赤木博士のオーダーに、グラスを磨いていたマスターがすぐに応える。
ちょうど、飲み頃となったモカとアールグレイが、それぞれの前に置かれる。
さらに、「これはサービスですよ」と、マスターがもう一皿、一口サイズのミルフィーユを置いていった。

「せっかくだから、交換してみない」
「……構いませんよ」

赤木博士の提案に、私は頷いた。

「それでは、あなたの成長に」
「赤木博士への、感謝に」

――乾杯――

初めて飲んだモカは大人の味だった。
慣れない私には少し飲みづらかったけど、不思議とミルフィーユと一緒なら、苦ではなかった。


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