想い人〜Dパート〜

                                             Written by 史燕



金曜日の夕方、トウジ・ケンスケ・ヒカリの三人は、約束した相手の出迎えに来ていた。

「ハロー、ヒカリ。元気にしてた?」
「うん、相変わらずね」
「ところで、これからどうするんだい?」
「ん〜、とりあえず予定通りヒカリのうちに泊めてもらうから、荷物を運ぶわ。いいわね、ヒカリ?」
「ええ、構わないわ」
「アリガト……それから、明日ちょっと行きたいとこがあるのよね」
「どこや? そこ」
「それわね――」



土曜日、碇シンジの朝は早い。
現在は保護者が多忙なため一人暮らしをしているが、かつて葛城邸で培われた生活リズムは彼に怠惰をむさぼることを許さず、むしろ主夫レベルは上昇の一途をたどっている。
なにより彼自身家事が好きなのだ。というわけで彼は現在朝食の片づけを終え、一息ついたところである。

「今日はどうしようかな」

と、のんきに今日の予定を考えていた。――赤い悪魔の来襲を知らず

――ピンポーン――

(誰だろう? こんな朝早くから)

「はーい」

シンジがいぶかしみながらドアを開けると、そこにはかつての同居人にして戦友――惣流・アスカ・ラングレーが立っていた。

「全く、来るなら教えてくれたらよかったのに」

シンジは、注文したコーヒーを受け取りながら、やや不満そうに言った。
ここは、近所の喫茶店である。来る途中に目ざとく見つけていたアスカにせがまれていくことになったのだ。

「まあ、急な話だったからね〜」

一方のアスカは、少しも悪びれる様子もなく、さも当然かのように言い放った。
シンジはそんな彼女の変わらない様子がうれしくて、クスリと笑った。

「……でね〜、そいつったら出来もしない癖に人にケチ付けるばっかりで」
「うわ〜、大変だね。でも当然やり返してやったんでしょ?」
「とーぜん、実力と結果でぐうの音も出ないほど差をつけてやったわ」
「アスカらしいね」
「アンタねえ、私を誰だと思ってるのよ」
「はい、天才(天災)美少女研究者、惣流・アスカ・ラングレー様です」
「うん、わかってるじゃない」

シンジがそっと込めた皮肉に気付かず、ひとしきり愚痴を言い終えたアスカは満足したようだった。

「さて、それじゃ本題に移るわね」

……どうやら、そうは問屋がおろさなかったようだ。
そもそも、本人は気軽に言うが彼女はとても多忙なのである。
わざわざドイツから日本にきた以上、何か特別な目的があってしかるべきだ。
どんな話をされるのか、シンジが身構えたときだった。

「アンタ、もう少し素直になりなさい」
「へっ?」

シンジはそう言われてキョトンとしていた。
一体何のことを言われているのかわからないという風に、彼の表情は物語っていた。

「『へっ』じゃないわよ。このアスカ様にはぜーんぶ証拠は挙がってるんだからね」
「証拠?」

アスカはコーヒーでのどを潤し、一息入れた後にこう切り出した。

「アンタ、最近レイとうまくいってないんだって」
「うっ」
「ヒカリに聞いたわ、なんでもアンタが一方的に避けているそうじゃないの」

それは事実だ、シンジがレイを避けていることなど知らない者はいない。
シンジ自身もそれは自覚している。
だが、それと「素直になる」というのは何の関係があるのだろうか。

「別に僕がどうしようとアスカには関係ないだろう?」
「はあ〜、いつもぽけぽけっとしているとは思っていたけど、まさか自分の気持ちにまで鈍感とはねえ〜」
「今それは関係ないだろう」
「関係大有りよ。じゃあ聞くけど、なんでレイを避けているのよ?」
「それは、その……」
「なによ、歯切れ悪いわね」

シンジはゆっくりと息を吸った後、覚悟を決めたように話し出した。

「アスカ、これから話すことは誰にも言わないでね」
「わかったわ。私は・・誰にも話したりしないわ」

「それじゃ、どうして僕がこんなことをしているのか話すよ」

「綾波は、入学した当初からとても人気があったんだ」
「でも、なかなか僕たち、とくに僕以外に接するのが苦手みたいでね」
「それで?」
「しかも、アスカにも話せないけど、綾波には僕しか知らないコンプレックスがあってね」

ガチャリ、と後ろの席で音がしたが、シンジは気を取り直して話を続けた。

「それで、洞木さんに間を取り持ってもらいながら少しずつ友人を増やしてもらったんだ」
「で、それと並行してアンタは避けるようになったって聞いたけど?」
「うん、まずは周囲の目だね」
「『どうしてお前がそこにいるんだ』『お前は綾波さんにはふさわしくない』そんな声が聞こえてきてね」
「しかも、当時の綾波はなぜか僕のことしか念頭になかったみたいだから」

(今もよ)

ぼそり、と声が聞こえてきたような気がしたが、気を取り直して話を続けた。

「このままじゃだめだと思ったんだ。僕に依存したままじゃ、綾波のためにならないって」
「それでアンタはレイから離れていったと」
「うん、僕が彼女にふさわしくないのは事実だしね」
「バカバカしい、周りの人間なんて気にしなけりゃいいのに」
「そうはいかないよ。それに、僕はこれが間違いじゃなかったと思うんだ」
「なんでよ?」
「だって、今の綾波の周りには人が集まるんだもの」
「アホらしい」
「えっ」
「結局アンタは逃げてるだけじゃないのよ。レイの、アンタ自身の気持ちから」
「そんなことはないよ、最近の綾波は楽しそうなんだ」

そう言ったシンジは自分の考えが間違っているとはつゆとも思っていないようだった。

「そんなわけないでしょ」
「そんなわけあるよ、現に彼女は友達がたくさんいるんだから」
「いつまでも甘ったれてんじゃないわよ」

ひときわ大きなアスカの声が、店内に響いた。
今日は幸い人が少ないが、本来ならば叩き出されても文句言えないだろう。

「いつあの子がそんなこと頼んだのよ、それって結局アンタの独りよがりじゃない」
「独りよがりで何が悪いんだよ」
「あーあー、アンタはほんとなんにもわかってないわね。あの子が求めているのはそんなことじゃないのよ」
「じゃあアスカはどうしろっていうんだよ。実際僕が釣り合わないことは動かしようがない事実だろ」
「それに、綾波は僕がいなくてもうまくやってるじゃないか」

それはシンジの悲痛な叫びだった。

「そんなことはどうでもいいって言っているでしょ」

そこに、更にアスカは言葉を重ねた。

「大事なのはアンタ自身、それをどう思うかはレイ次第、それだけのことでしょう?」
「それとも何? アンタはレイのこと嫌いなの?」

後ろでビクンと反応する人物に心の中で(ごめん)と謝って、言葉をつづけた。

「なるほど、他に好きな子ができたんだ。へー、それであの子がうっとおしくなったってわけね」

あまりの言い草に、シンジもとうとう我慢の限界を迎えた。

「そんなわけないだろ。僕はレイのことが好きなんだ。昔も、今も」

ガタン、と後ろの席で音がした。

「やっと素直になったわね、まったく世話を焼かせるんだから。レイ、そういうことだから、アンタの心配は杞憂よ。ヒカリ、これからショッピングに行きましょ」

アスカは最後に言葉をかけ、店内を後にした。

シンジが後ろを向くと、今から退席しようとするヒカリと、呆然と立ち尽くした少女――綾波レイが見えた。

「え、と、綾波」
「……碇君」
「奇遇だね〜、あはははは。それじゃ、僕はこれで」
「……待って」

逃がさない、とばかりにレイはシンジの袖をつかんだ。
シンジとしては、ばつが悪いことこの上ないうえに、どうすればいいかわからない。

「……とりあえず、話をしましょう」
「うん、場所を変えようか」

二人が来たのは近所の公園である。
幸い休日の午後だというのに閑散としていて、これから話をするにはちょうど良かった。
その中のベンチに腰掛けるまで、レイはシンジの袖を話すことはなかった。

「……全部、聞いていたわ」
「うん」
「……あれ、全てほんとうなの?」

あれというのはアスカとの一連の会話と最後の「綾波が好き」だというくだりだろう。

「………」

いつもならば、「えっ、何言っているの」「嘘に決まっているだろ」「そもそも話しかけないでくれる」といった切り返しができるが、今日はなぜか舌が回らない。
その理由もシンジにはわかっている。隣に座る少女の、射すくめるような紅い瞳だ。
(嘘は通用しない、洗いざらい吐いてもらう)何よりもその瞳が、雄弁に物語っていた。

「全部本当だよ」

シンジは観念し、絞り出すようにそう言った。

「……全部?」

「ああ、そうだよ。綾波を避けていた理由もそうだし、僕が逃げていたのも事実だ」

もはや、やけっぱちになったかのようにシンジは吐き出した。
もうどうとでもなれ、そんな気分だった。

「――綾波が好きだっていうのも、事実だ」

とうとう言ってしまった。この気持ちは、ずっと心の奥底にしまっておくつもりだったのに。
なにより、いまさらどの口が“好き”などと言えるのだろうか。
自分がこれまでしてきたことに思い至り、これからのことについて思考を巡らせた。
嫌われてるのは確定事項として、引っ越しでもしようか、そうだ連絡先も全部変えて、誰にも知らせないようにしよう。
彼女と二度と関わらなくて済むように……。
そうシンジが思いを巡らしていた時だった。

「……良かった」
「えっ」

シンジは驚いていた。なにせ、レイが目の前で涙をこぼしていたのだから。
彼女が涙を流すところなど、シンジはおろか、赤木リツコさえも見たことがない光景だろう。

「どうしたの、何か気に障ること言ったかな」

シンジは情けないことにおろおろと慌てふためくばかりである。
普通なら抱きしめてあげるなりなんなりするべきなのだろうが、自分にその資格があるとは到底思えない。

「……うれしいの」

彼女の口から出た言葉は、シンジには到底予想できない言葉だった。

「……私、碇君に避けられるようになって」

彼女は、ポツリ、ポツリと語り始めた。

「……なんでなのか全然分からなくて」
「……髪の色のせいなのか、目が紅いからなのか」
「……なにか、気に障る事でもしたのかと思って」
「……私が、人間じゃないからなのかとも思った」

シンジは、自分がどれほどこの子を傷つけていたのかを知った。

「……何が気に入らないのか、聞くこともできなくて」
「……周りはみんな、碇君のこと悪く言うばかりで」
「……それで、どんどん碇君が遠くなっていって」

「……気が付いたら、好きだったの」

誰が、とは聞くまでもなくシンジにも分かった。

「……遠くなってから初めて気づいたの」
「……好きで好きで、堪らなくて、でも近づくこともできなくて」
「……他に好きな子がいるんじゃないかって不安になって」
「……そしたら、アスカたちが協力してくれて」

「……碇君、好きです、私も」

そう言って、レイはシンジに抱き着いた。

「好きだよ、綾波。もう、二度と離さない」
「……私も、二度と離れたりなんかしない。もしそうなっても、どこまでも追いかけていくわ」
「うん」
「……ねえ、もっとギュッとして、もう少し、このままでいたいから」
「うん、うん」

二人はそのまま、一日中ずっと一緒に過ごしたようだ。



週明けの月曜日のことである。

「いや〜、なんにせよよかったわ〜」
「ほんとそれだよ」
「ま、センセもこれからが大変なんやけどな〜」
「ある意味、向けられる敵意は今まで以上だからね」
「おっ、噂をすればきたみたいやな」
「全く、よりを戻した途端に見せつけてくれちゃって」

二人の視線の先には、仲良く登校してきたシンジとレイの姿があった。
たった二日で変わった二人の関係について知っているのはトウジたち三人だけである。
レイは女性陣から質問攻めにあい、シンジは男性陣から射殺さんばかりの嫉妬の視線を浴びている。

「ねえねえ、綾波さん。いきなりどうしちゃったの?」
「……好意を伝えて、付き合うことになっただけよ」
「えー、でも先週まであんなに仲が悪かったのに」
「……仲が悪かったわけではないわ。たまたますれ違っていただけ。それに――」
「「それに?」」
「――私はずっと碇君一筋だもの」

キャー、という黄色い声に包まれて、シンジは戸惑っているようだったが、レイはどこ吹く風といった風で、隣に立つシンジの左腕に大胆にも抱き着いた。

「ちょっ、ちょっと綾波。その、離してくれないかな」
「……い・や・よ。どうして離す必要があるの?」
「いや、その、当たっているんだけど」

そう、腕に抱き着いたことで彼女の立派な二つのふくらみが、シンジに対して自己主張しているのだ。

「……当てているの。そうしたらよそ見することはないでしょ」
「そんなことしなくてもよそ見なんかしないんだけど」
「……だめよ、今まで避けていた分たっぷり甘えさせてもらうわ」

「キャー、綾波さんったら大胆」
「もう見せつけちゃって」

「「くそう、碇のやつ〜」」

女子生徒は二人の様子を騒ぎ立て、男子は更に殺意を増している。

「あ、あのちょっと綾波。そろそろ身の危険が―んっ―」
「―んっ、くっ―はあはあ、ダメよ、私だけ見てくれないと。周りは気にしなくていいわ。……所詮負け犬の遠吠えだもの」
「わかったけど、どうして今キスしたのかな」

そう、シンジは公衆の面前で、自身の言葉を、唇によって止められたのだった。

「……不満? 私が誰のものか、わかりやすいと思うのだけれど?」

見れば、トウジたち以外の男性陣は、あまりにもショックだったのだろう、みな魂が抜けたような状態になっていた。

「むしろ、僕が綾波のもののような気がするけど」
「……いえ、あっているわよ」
「「だって――」」

――こんなに好きなんだもの――


〜Fin〜





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