斜陽の眺望

                 Written by史燕



午前9時。図書館の開館と同時に、私とレイちゃんは入館した。
まったく表情は変わらないレイちゃんだけれど、こういう所は下手なおしゃべりさんよりもわかりやすいと思うの。

「あの本、もう読んじゃったの」
「ええ」

図書館に行くのは本を借りに行くため。
そのためには手元の本を読み終えなければならない。
別にそう決まっているわけではないのだけれど、昨日のあの後片時も本を手放さず、夕食時ですらギリギリまで活字を追っていたのを知っている身としては、いじらしいこといじらしいこと。
それもこれも、すべては彼ともう一度会うため。
意味不明なくらい頑固な石頭の臆病者の目さえなければ、こんな回りくどいことをせずとも、私がすぐに彼の元に連れて行ってあげるのに。
そう思いながらも、一方では「こうしてどんな障害があってもやがては再び巡り会うなんて、ロマンティックなことだわ」なんて年甲斐もなく思う自分もいた。

本を読んで待つ、というつもりなのでしょうけれど、ページをめくる回数よりも玄関の方に視線を向ける回数の方が多い。
さっと通知を確認すれば、「今出た」と、向こうからの連絡が。
有給申請、今のうちに出しておこうかしら。

しばらくしていると、息せき切って入館する彼の姿が。

「待っていてくれたんだね」
「約束、だもの」

なんでもないように言うレイちゃんだけれど、昨日の夕方からどれくらい楽しみにしていたかは、彼には秘密ね。

「中庭のベンチ、気持ちよさそうね」

それきり黙りこくってしまった二人に、思わず助け船を。

「一応のアリバイ作りを」と本の貸し出しに行く彼を背に、ひとまず場所取りのために先にレイちゃんと中庭に向かった。

「よかったわね、彼と時間が取れて」
「それは」
「いいのよ、レイちゃん。好きなだけお話して。正直にね」

一番手前のベンチに彼女を座らせ、私は離れたベンチへ。
二人の会話を聞く必要は無いから。正確には報告義務はあるのだけれど、そんな馬に蹴られそうなことをする気にはなれなかった。
今は有給、上級権力者さまご一行のご意向で、午後一杯までまとめておやすみよ。
だから、私はただのお節介なおばさん。
そもそも本業は監視じゃなくて護衛なのだもの。護衛対象のプライベートに口を挟むなんてまっぴらごめんよ。

隣り合って座る二人を包む陽射しはやわらかく。
吹き渡る風は穏やかで、あたたかい。

世間がなによ、権力者がなによ。
今、ここにいる二人を引き裂くような真似が、どうして許されるのかしら。

時間は正午をとっくに過ぎ、午後3時にさしかかろうとしていた。

「昼飯、まだだろ」

二人に気取られないよう、遠巻きに眺めながら近づいてきた03リーダーが、サンドイッチを手渡しながら話しかけてきた。

「あの子たちを眺めていたら、そんなこと忘れていたわ」
「まあ、俺たち今休暇中だしな。好きなときに食べなよ」

彼の持ってきた袋は四人分。
あちらの二人と私たち二人。

「難儀なもんだよな」
「なんのことよ?」
「あの二人、すごく絵になると思わないか」

脈絡のない言葉の羅列。
これで察しろというの? 頭がおかしいのじゃないかしら。

「悪い。言い方が悪かったな」

反応を返さない私にばつが悪くなったのか、そう言って訂正した後に「あー」とか「うう」とか頭を抱えながら、必死に言葉を探していた。
その様子が不思議と面白かったので、この男と一緒に仕事をしていて初めて笑いがこぼれてきた。

「何も笑うこたぁ、ないじゃないか」
「ごめんごめん。でも、なんだかおかしくて」

「けっ、やってらんねえ」と言いながらも、頭から手を放さないのは、まだ必死に言葉を探しているからみたい。

「ああ、そうだ。あの二人を引き離して、籠の中に放り込んで、それで『満足満足』って、ふざけていると思わないか?」
「それは、そうね」
「でもって、俺たちはそれを思いながらも宮仕えの悲しさから行動を制限する立場にいる。難儀なことだと思わないか? あの二人も、俺たちも」

「それはたしかにそうね」とうなずきつつ、二人の様子に視線を戻す。
このろくでもない世界の中で、せめて二人だけは。
そう願うのは私のエゴかも知れないけれど、少なくとも隣の意外と面白味のあった男はその想いを共有している。

声に出して伝えられないけれど、あなたたちの敵ばかりじゃないのよ、この世界は。
だから、その温もりを大切に。

彼の腕の中の彼女に、心の中でこっそりとエールを送りながら、流れゆく雲を彩る斜陽を見上げた。



前へ

書斎に戻る

トップページに戻る