あなたを思えば
第十七話
Written by史燕
私はもう、三人目。
果たして二人目はどんな気持ちで死んだのかしら。
死ぬ瞬間の記憶は無い。
記憶はあっても、それは映写されるモニター越しの記録のようなもので、自身に有ったこととしての実感やその時の感情を感じることはできない。
ただ、もう零号機はないということ。
チルドレンは碇シンジと自分しか健在ではないこと。
使徒は十六番目まで殲滅されたこと。
約束の時は近いこと。
これらのことは理解していた。
幸いにして、学校生活というような前の自分を模倣しなければならない時間は無く、NERV内部でも必要時以外は関係者、それも自分の秘密に関わる人物としか接しなくて良いので、幾分か気楽ではあった。
「ねえ、あなたはどんな気持ちだったの?」
目の前にある、ひびの入った眼鏡を見て何も感じない。
碇司令が私を救出したときに破損した物。
それがどうしたというのか。
「碇君、彼をどうして助けたの?」
先日初めて病院で会った少年。
二人目はとても心を開いていた少年。
そしてあの場でどう接していいかわからず、今の自分が初めて傷つけてしまった少年。
二人目の私には悪いけれど、どう接したらいいかわからなかったの。
「良かった、綾波が無事で」
「ありがとう、助けてくれて」
「何が?」
「何がって、零号機を捨ててまで助けてくれたんじゃないか、綾波が」
「そう、あなたを助けたの」
「うん……覚えてないの?」
「いいえ、知らないの」
「多分私は三人目だと思うから」
記憶が整理されていないからと言って、あんなことを言うべきではなかった。
せっかく自分を心配してくれたのに。「ありがとう」と言ってくれたのに。
私は彼を傷つけてしまった。
あの、絶望したような、突き放されたような表情。
いえ、ようなではなく事実突き放したのだ。他でもない、私自身が。
でも、でもね碇君。あなたを助けたのは私じゃなくて二人目なの。
あなたが感謝するべきなのは二人目なの。
「今の私には、何もない」
二人目が言っていた絆も、誰かを助けたいという想いも。
そう考えていると、なぜか心の奥から溢れ出てくるものがあった。
「これが涙?」
「初めて見たはずなのに、初めてじゃないような気がする」
「私、泣いてるの?」
「……なぜ、泣いてるの?」
理由はわからないけれど、溢れ出てくる涙は止まることはなかった。
****
定期検診、特に魂の移行直後だから念入りに行われた。
赤木博士と私だけの診察。
記憶のバックアップを最後に行ったのは第十六使徒との戦闘の前日。診察自体はそれ以降は形だけの生還を演出するために行われていたが、私の特殊な身体について本格的に実施するのは久しぶりだった。
また、赤木博士にはこの後すぐに所用があり、これが最後の診察だと言われた。
「バイタルには問題ないわ。ただ、ずっと動いていなかった筋肉ばかりだから激しい運動には気をつけて」
「わかりました」
診察自体は何事もなく終わった。
「それと、もう予備の体はないから、それだけは気をつけて」
突然、話が変わった。
地下の私の予備はない。つまり四人目へと移ることはないのだ。
「ダミーはもう、ないのね」
不思議とショックはなかった。
破壊されたその時になんとなくそれはわかった気がするから。
数日前に、突如知識ではなく感覚として感じた喪失感。
しかし、約束の時まであと少しということもあって、そこまで深刻なこととも思えなかった。
「シンジ君、どう思ったのかしら」
「碇君も知っているのですか?」
「ええ、あなたの秘密も、予備が壊れたのも。だってその場にいたのですから」
途端に空虚な、寒々とした感覚が襲った。
全身の肌が粟立つ。
瞳孔が開くのがわかる。
私が人間でないことを知られてしまった。
彼には知られたくなかったのに。
この瞬間、私は二人目と同様に関係を深められるのではないかと、漠然とした希望を抱いていた自分に気づいた。
むしろ二人目が騙し騙しやっていた無理が、ついに誤魔化せなくなっただけではあるけれど。
「あなた、そんな顔もするのね」
赤木博士の鬱憤が晴れたという口ぶりとは裏腹に、沈痛な表情は矛盾を感じさせたが、私にはその複雑な心境を読み取る余裕はなかった。
赤木博士を恨むべきなのかもしれない。
それよりも、碇君に決して受け入れてもらえないことがわかってしまい、何よりも辛かった。
こんなことなら、あの病院での邂逅で、もっと彼に歩み寄るべきだった。
****
診察後、どこをどうして歩いたのかわからないけれど、気がつけば本部のエントランスまで来ていた。
そこで見慣れない銀色の髪の少年を見つけた。
この状況で新しい子なら、間違いなくフィフスチルドレン。
「君がファーストチルドレンだね」
「綾波レイ。君は僕と同じだね」
「あなた誰?」
「僕かい? 僕は渚カヲル。選ばれた5番目のチルドレン。そして君と同じこの形に行き着いたもう一つの魂」
私と同じ、つまりアダムの魂。
たぶん使徒ね。
「私とあなたは違うわ」
「たしかにアダムとリリスは違う。それに、経験も意識も。ただ、選ぶのはシンジ君だ」
「碇君をどうするつもり」
「おや、そんな顔もするんだね。心配しないで、仲良くなっただけだよ。Friend、友達っていいね」
「碇君を傷つけたら、許さない」
「彼を害するつもりはないよ。ただ、彼はリリンだから」
「A.T.フィールド、ぜんか――」
「やめなよ。僕も対抗するだけで意味はない」
「あなた、どうするつもり?」
「委ねるのさ。運命に、彼の選択に」
その夜、非常警報が鳴り響いた。
彼が言った傷つけないなんていうのは、嘘だった。
害しないというのは、物理的なものに限定されていたのだから。
フィフスチルドレン。いえ、第十七使徒タブリスは初号機の手で殲滅された。
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