あなたを思えば

                     第十八話

                                         Written by史燕




フィフスチルドレン、渚カヲルが殲滅されて三日。
私はシンクロテストのためにエントリープラグの中に居た。
零号機はなくなっても初号機とシンクロが可能である以上、予備のパイロットとしての役目を果たさなければならない。
「今日もシンジ君は来ませんね」
伊吹二尉が言った。
あの日以来、碇君は一度も顔を出していない。
「そっとしておいてあげた方がいいのはわかるんですけど」
「このままじゃ緊急時に出撃できるかも覚束ない、か。そうは言っても無理矢理引っ張ってきて上手くいく話ではないしね」
「幸いファーストチルドレンと初号機は起動可能な数値でシンクロしています」
「じゃあひとまず様子見を続けてみましょう。折を見て話をしてみるわ」
「また乗ってくれるでしょうか?」
「それは、本人次第としか言えないわね。レイ、上がっていいわよ」
こうして今日もテストは終わった。
帰ろうとして更衣室を出ると、葛城三佐に呼び止められた。
「碇君へ、ですか?」
「ええ、食事を取ろうにもNERVの食堂か売店くらいしかないし、持っていってあげてほしいの。昔やったでしょう?」
第五使徒と戦った時の話だ。
「でも、あの時は病院でしたし」 「似たような物よ。食べなさいなんて言って食べるかはわからないけど、せめてシンジくんがどうしてるのか見てきてほしいのよ。本当は自分で行きたいけど、こうも仕事が減らないんじゃどうしようもなくて。加持もリツコもいなくなっちゃったし」
「わかりました」
とにかく碇君の部屋へ食事を持っていくということになった。
NERVの売店で葛城三佐が買ったお弁当だけど、それでも何も食べないよりはいいということだった。
護衛である保安諜報部の報告によれば、今日も一歩も部屋から出ていないらしい。
材料があれば料理も選択肢に入るが、私にはそんなスキルはないため、お弁当くらいしか選択肢がなかった。

****

歩きながら考える。
自分がどうしたいのかを。
自分がなにをしたいのかを。
まだ答えはわからない。
だけど私の足は止まることはなかった。

****

コンフォート17の玄関、インターホンを鳴らしてみる。
予想通り全く反応がない。
「葛城三佐の言う通りだった」
当初は固辞したものの「必要になるから持って行きなさい」と押しつけられた合鍵を使用し、ドアのロックを開けた。
「碇君、上がるわよ?」
家主であり上官である葛城三佐の命令という大義名分を得ているけれど、それでもやっぱり他人の部屋に上がるのは勇気が要る。
そろりそろり、と一歩一歩足を置き直すようにして中へと進む。
今までも何度か訪れたことのある部屋なのに、ドキドキと緊張が全身を覆った。
リビングを通り「シンちゃんのお部屋」と書かれたドアの前に立つ。
自分の心境とは裏腹に気の抜けた葛城三佐の文字が滑稽でもあった。
鍵自体は存在しないのだけど、一応礼儀としてコンコン、とドアをノックした。
「碇君、綾波ですけど」
「あやなみ?」
小さく力の無い声が聞こえた。
もぞもぞと起き上がる音がして、天岩戸が開いた。
「どうしてここに?」
「ご飯、食べてないって聞いたから」
葛城三佐に頼まれたというのが一番の理由なはずなのに、口を突いたのは別の言葉だった。
いえ、たぶんこちらが私の本心。
私は碇君が心配だったのだ。本人を目の前にするまで気がつかないフリをしていただけで。
「お弁当、買ってきてくれたの?」
「お金は葛城三佐に貰っているから気にしないで。三佐も心配していたわ」
「ミサトさんも」
少し前まで泣いていたのか、碇君の目元が赤くなっていた。
「お弁当、好みがわからなかったから口に合うかしら」
「大丈夫、特に嫌いなものはないから」
日の丸ご飯に卵焼き、焼き魚、コロッケ、きんぴらゴボウという定番のお弁当。
私もこれならばどれも食べられる。
私自身食事なんてどうでもいいと思ってきたけれど、げっそりとやつれた碇君が箸を進めているのを見るとたしかに安心できるのだと思った。
食事の間は無言。何を話していいかわからないから。
今のうちに会話の中身を準備するべきなのだけど、何も浮かんでこなかった。
こういうときに、セカンドならきっと悩むことなく言葉が出てくるのだろうけれど。
食事を終えても沈黙が場を支配した。
普段は何もしゃべらなくても気にならないのに、机の向こうで俯いたままの碇君に何か声を掛けないとと思ってしまう。
「あの、紅茶を淹れてもいい?」
「紅茶?」
「ええ、飲みたくなったから」
碇君のために、何かしてあげたいと思ったの。
ごめんなさい、二人目の私。
だけど今の私も、あなたと同じ私だから。
あなたの想いも私の中で息づいているから。
だから碇君を慰めるのに、あなたの思い出を私の思い出と一緒にさせて。
ポットでお湯を沸かしながら、私自身の気持ちについても考え続けた。
気がつけば、私の中の大切なものが変わっていたから。
前は、前は碇司令が一番だった。
でも今は碇君が一番大切。

碇司令に大切にされたこと、生きていてくれて嬉しいと言われたことは忘れない。
だけど心の中のほとんどに、碇君がいる。
碇君に笑っていてほしい。
碇君に悲しんでほしくない。
フィフスが傷つけたなら、私が傷つけてしまったのなら。
好きとか、愛してるとか、恋人とか、結婚とか。
それは本の中の話。
私には関係ない話。
だけど、碇君に笑っていてほしい。
これだけは間違いなく、一番大切なことだから。

紅茶缶を見る。あの時二人目のために碇君が淹れてくれたのと同じEarl Grey。
淹れ方を体が覚えている。きっと二人目が碇君にしてあげたかったこと。
だけど許して。二人目の分も、あなたの分も、私が碇君のために淹れるから。
「紅茶、練習したの。今度は苦くないわ」
カップに入れた真紅の液体。
視認できるほどはっきりと湯気を立てる、私の瞳と同じ深い紅。
碇君は香りを嗅いで少しだけ気持ちが落ち着いたようで、ひと口カップを傾けた。
「うん、でも変わらずあたたかいね」
ようやく、私がこの部屋に来て初めて、碇君が笑みを浮かべた。
「ねえ碇君。聞いてほしいことがあるの」
「何? 綾波」
「私も、あの人と同じなの」
「あの人ってカヲル君と?」
「ええ、リリスの魂を持って、一人目、二人目、そして三人目の私と移り変わってきたの」
「私は人間じゃないの」
せっかく気持ちが上向いてきた彼に酷なことだと思う。
だけど私にももう時間は残されていない。
今を逃しては、結局話せないままで終わってしまうかも知れない。
それは、より彼を傷つけることになりそうで嫌だった。
それこそ、鈴原君の時のように。
どのみち、地下の私達を見たのだから、この際全て話してしまう方がむしろすっきりするはずだもの。

碇君は私の話を聞き終えると、すっかり湯気の収まった紅茶をひと息に呷ると、口を開いた。
「綾波は、綾波なんだね」と。
「でも、私は三人目。二人目じゃないわ。たしかに同じ魂を持つけれど」
「違わないよ。君の中に、前の綾波も生きてる。二人目とか三人目とか関係ない」
「綾波は綾波レイは二人目も三人目もなく、きみ一人だよ」
「じゃないと、どうして紅茶のこと知ってたの」
「どうしてこんなに、震えているの」
碇君に指摘されて、自分が先歩からずっと震えていることに気づいた。
「震えてる。私、怖いの?」
「そう、碇君に拒絶されるのが」
「私は人間じゃないから」
「綾波は人間だよ」
私は人間じゃないという言葉にかぶせるように、碇君が言った。
強く強く私の言葉を打ち消すために。
「少し変わった生まれ方をしたけど、それだけだ」
「僕は君を失いたくない。それだけは間違いないんだ」
碇君と話をして、心の中にあったどこか報われないような空虚感、喪失感が氷解していった。
碇君が好き、碇君と一緒に居たい。
それを望んでいいように思えてきたから。
だけどそれは全てが終わってから。
私は内心を全て伝える代わりに、もう一度紅茶を淹れることにした。




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