あなたを思えば
第三話
Written by史燕
私は自室で、レンズの割れた眼鏡を手にしながら、碇司令との会話を反芻していた。
「明日はいよいよ零号機の再起動実験だな」
「はい」
「恐いか?」
「大丈夫です」
やっと碇司令の役に立てる。
そう思うと、心が温かくなるような気がした。
ただ、どことなく司令の目が、私ではなく、その後ろにある何かを見ているような気がした。
「それでもいいの」
そう、それでもいいの。
碇司令だけが私を見てくれるから。
碇司令だけが、命がけで私を助けてくれたから。
他のスタッフはみんな、私を代えの効く存在としか思っていないから。
たとえそれが、碇司令の目的のために利用されているだけだとしても。
ようやく以前失敗した零号機の起動実験が行われる準備が整った。
二度にわたる使徒戦やほぼ完全な状態で残された第四使徒の解析作業と並行しての作業だったけど、なんとか次の使徒と戦うまでにはということでなんとか形になったらしい。
「シャワーを浴びないと」
私はチェストに眼鏡を置いて、浴室へと向かった。
****
シャワーを浴び終え、バスタオルを首に掛けて浴室を出た。
すると、室内に人影が見えた。
(誰か、いる)
窓際の、チェストの前だ。
その人物が、こちらを振り向いた。
途端に、ガタガタと言い訳めいたことを口にし始めた。
私もその人物の正体はすぐにわかった。
碇シンジだ。
彼がなぜここに居るのか、そんなことはどうでも良かった。
ただ、なぜかはわからないが彼が碇司令の眼鏡をかけていた。
そのことの方が余程問題だった。
(それは私の、私を唯一大切に思ってくれた人の物)
彼からそれを取り戻すために、強引にレンズの部分を引っ張る。
すると、必然的にもみ合う形になり、体勢が崩れた。
結果として彼に押し倒されたその果てには。
(どうなっているの?)
裸のまま仰向けになった自分と、それに覆い被さる碇君。
白い何かが宙を舞った。
落ちてきた白いものは、自分の下着。
どうやらチェストの引き出しが倒れてひっくり返ってしまったようだ。
彼の左手は、自分の右胸に乗せられている。
身体が少々重いのはそのためか。
漆黒の瞳と視線が合った。
ひとまずこの状況を脱しなければならない。
しっかりと胸をわしづかみにされている現状では、自力で抜け出すことはできないだろう。
「どいてくれる」
とにかく要望だけを口にする。端的に話した台詞に予想外に怒気が籠もってしまった。
「ご、ごめん。わざとじゃないんだ」
慌てて飛び退く碇君に、そこまで急がなくてもいいのにとは思う。
本来、こういう状況に陥った場合は、どういう風に声を掛けるのが正解だったのだろうか。
赤木博士に聞いた話にも、今まで読んできた本にも、そんな答えは載っていなかった。
散らばった下着はどれも同じ物。
そのため、手近な物を拾って順番に身に付ける。
ベッドに置いたままのワイシャツのボタンを締め、スカートを履く。
後ろで何か言っているようだけど、どもりがちで正直よく聞こえない。
回収した眼鏡は、しっかりとケースに入れた。
そろそろ時間だ。NERVに向かわなければならない。
まだ何か言っているようだったけれど、聞いてあげる時間も余裕もなかった。
NERVへの道中、尾いてきているようだったけど、どうでもよかった。
大通りを渡り、モノレールに乗って、ジオフロントに向かう入り口へとやってきた。
いつもならすんなりと通過できるゲートでエラー音が鳴る。
その後ろから正規の承認が出来たことを示す音が鳴った。
「これ、綾波の新しいやつ。リツコさんに頼まれて」
私の名前が書かれたセキュリティカードを差し出しながら、彼が言った。
このために彼がわざわざ尾いてきたのだとわかった。
そのままの流れで、一緒に歩きながら本部へと向かう。
お互いに相手のペースを見ながらのため、心なしか歩速が緩んだ。
「さっきは、ごめん」
「何が?」
碇司令の眼鏡は回収したし、それ以上はどうでもいい。
そのまま彼は言葉を返しあぐねているようだった。
「あの、これから零号機の再起動実験だよね?」
それに対しては小さく頷いて肯定する。
「綾波は、怖くないの? エヴァに乗ることが」
「あなたは怖いの?」
「うん、怖いんだ。また、あんな痛くて苦しい思いをしなければならないのかって思うと」
たしかに、過去2回の戦いで、初号機は大きくダメージを受けていた。
シンクロによるフィードバックを考えると、乗りたくないと思うのもわからなくはない。
乗りたくないのであれば、先日そうしようとしたように、降りてしまってもいいと思う。
「それに、心配なんだ。零号機は前に、大きな事故を起こしたって聞いたから」
「信じられないの? あなたのお父さんの仕事が」
「信じられるわけないよ。あんな父親なんて」
その言葉だけは、看過できなかった。
気がつくと、右手で彼の頬を叩いていた。
自分を唯一助けてくれたあの人を貶されたからだ。
そのまま彼を置いて、私は足早に零号機のケイジに向かった。
****
零号機の起動実験は、順調に工程をクリアした。
発令所で伊吹一尉が最終段階のカウントダウンを始める。
「0.2、0.1突破。ボーダーラインクリア。零号機、起動しました」
(これでようやく、私も役に立てる)
そう思った瞬間、発令所が違う要因で慌ただしくなった。
「テスト中断。総員第一種戦闘配備」
第五使徒が確認されたのだ。
まだ初めて起動したばかりということで、零号機ではなく初号機が出撃することになった。
結果は、初号機大破。パイロットは意識不明の重体というものだった。
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