あなたを思えば
第四話
Written by史燕
第五使徒の放った加粒子砲は初号機を数秒照射しただけだった。
にもかかわらず、エントリープラグ内のL.C.Lは熱湯のように煮えたぎり、中にいた碇君は重態になった。
幸いにして、使徒によるジオフロントに向けての穿孔は深夜までかかる見込みのようだけど。
「もし、あと少し遅かったら……」
それでも、私は零号機に乗らなければならない。
碇君が目を覚まさなかったら私が生徒を殲滅しなければならない。
「綾波は怖くないの?」
恐怖という感情がよくわからないけれど、今感じている不安や落ち着かない気持ちがそうだとしたら、たぶんそうなのだと思う。
「信じられないの? あなたのお父さんの仕事が」
そう言ったのは自分だ。
「何より私が死んでも」
どうせ三人目に移行するだけなのだ。
だったら、もし碇君が乗らないのであればそれでいいのだと思う。
無事使徒を殲滅できるかはわからないけれど。
それでも、碇君だけを前に出して、じっと待機しているよりは余程いいと思うから。
発令所で聞こえた、碇君の悲鳴。
喉の奥から響く、言葉とも言えない悲痛な叫び。
第四使徒の時もそうだった。
エヴァを動かす、使徒を倒す、それ自体に私自身は問題ない。
だけど、ここに来たばかりの碇君には酷なこと。
「叩いたりして、ごめんなさい」
今考えるとあれは、いくらなんでもやり過ぎだった。
零号機の操縦自体は問題ない。ただ、まだ動きにぎこちなさが残るのは否めない。
「代わりがいるもの」
先ほど伝えられたスケジュールを思い出しながら集中治療室へと向かう。
治療自体は無事に終わり、後は本人が目を覚ますのを待つばかりだと聞かされた。
もちろんそれは、実戦に耐えうる状態である、というだけでしかないことは、自分自身の境遇から理解していた。
碇君が目を覚ましたら食べさせるようにと渡された食事を乗せたワゴンを押しながら、彼がこのまま明日まで目を覚まさないとどうなるのだろうと思う。
その場合、作戦は破綻し、おそらくNERV自体が使徒によって壊滅する。
サードインパクトがどのような形になるのかはわからないが、いずれ無に還ることを目的として考えれば、別に問題が無いように思えた。
でも、それは、そのまま碇君が死んでしまうことを意味していた。
眠ったまま死んでしまうのであれば彼はそのことに気がつかないのかもしれない。
それでも、碇君に死んで欲しいとは思わなかった。
「あの人の息子だから?」
それで説明できるような気もするし、そうではないような気もする。
『あんな父親なんて』
そう言った彼に反発を覚えないわけではない。
『怖い』と言う彼がもうエヴァに乗らないと言い出す可能性も否定できない。
だけど、それとは別に、碇君に苦しい思いをして欲しくないとも思う自分がいた。
病室に入って数分、静かに息をする彼の顔を眺めていた。
このまま寝かせておいてあげたいように思える。
起きなかったのであれば仕方が無いと、作戦が変更になるかもしれない。
そう思っているのに、そうであってもよかったのに。
次の瞬間、目の前の少年は目を覚ました。
「あれ? 綾波」
起きた。起きてしまった。
そうであれば、命令の通り、これからのことを伝えなければならない。
エヴァンゲリオン零号機操縦者=綾波レイとして。
「明日、午前0時より発動される、ヤシマ作戦のスケジュールを伝えます」
「碇・綾波の両パイロットは、本日1730、ケイジに集合」
「1800、初号機および零号機起動。
「1805)、発進。
「同30、二子山仮設基地到着。
「以降は別命あるまで待機」
「明朝、日付変更と同時に作戦行動開始」
敢えて無機質に、端的に情報を伝えた。
寝起きで混乱する頭ではうまく飲み込めていないようだけど、メモ自体も用意している。
「これ、食事。目が覚めたら食べるようにって」
「何も食べたくないのだけど」
「少しでもいいから、食べた方がいいわ。60分後に出発だから」
「やっぱり、乗らなきゃいけないんだ」
「じゃあ、寝てたら?」
彼にそう答えるのが適切かはわからなかったけれど、どこかそうしてほしい自分もいた。
それとは逆に、一緒に戦ってほしいという自分もいた。
ファーストチルドレンとしての立場を考えれば後者は自然なことだけれど、それだけではないような気がして、だけどそれを説明することができなかった。
「寝てたら、って……」
「初号機には私が乗ればいい。赤木博士が初号機のパーソナルデータの書き換えの用意しているわ」
「そんな、でも」
逡巡する彼に、これ以上かける言葉が見つからない。
その代わり口から出たのは別の言葉だった。
「寝ぼけて、その格好で来ないでね」
裸のまま寝ていたのに気づかないのか、下半身も見えるようなくらい布団をはたげている彼に言った。
慌てる様子を尻目に「じゃ、葛城一尉と赤木博士がケイジで待っているから」とその場を離れる。
朝から自分も同じように裸を見られているし、そこまで慌てるようなことなのかとも思うけれど、そういうものなのかもしれない。
ドアを出る際に彼の方を振り向いた。
「さよなら」
別れの挨拶を告げる。
だけど、彼がケイジに来てくれるかはわからないけれど、来てほしいと思う自分が、先ほどよりも少し大きくなっていた。
碇君は来た。
葛城一尉は「パイロット到着。それじゃ、早速移動しましょう」となんでもないように言った。
作戦実施場所は近郊の二子山。
ここに、作戦の要となるポジトロンライフルが設置されている。
葛城一尉の「精密機械だからそっとね」という無茶な命令で零号機の手で戦略自衛隊の研究施設から運び出したものだ。
おかげで、少しは歩行や物の上げ下ろし動作に習熟することはできた。
他に運搬手段を用意できない。そのくらい、ギリギリな中での作戦準備だった。
****
設営準備が終わり、ブリーフィングの時間を迎えた。
ヤシマ作戦と名付けられたそれ自体は単純明快で日本全国の電力を集めた最大出力のポジトロンライフルで使徒のコアをA.T.フィールドごと貫通するというものだった。
「初号機で砲手を担当。零号機は防御を担当」
そういう形に分けられた。
赤木博士は碇君にいろいろと説明をしていたけれど、私がやることは単純明快。
「私は、初号機を守ればいいのね」
碇君を、と言おうとして、葛城一尉に合わせて、初号機を、と言い換えた。
零号機が持つのはスペースシャトルの底板を改修した急造の盾だ。
これで使徒の加粒子砲を防ぐのが任務になる。
盾で防げる時間は17秒、ポジトロンライフルの再装填には20秒が必要だという説明を受けた。
****
夜空の下、碇君と二人きりで作戦開始時刻を待っていた。
「僕たち、死ぬかもしれないね」
あの加粒子砲を受けたのだから、そんな言葉が出るのはわかる。
だけど、だからこそ、碇君が死なないようにしたいと思った。
それが任務だというのもあるけれど……。
「綾波は、どうしてエヴァに乗るの?」
この質問には、最初から答えが決まっていた。
「絆、だから」
これに対して、さらに碇君から質問が返された。
「父さんとの?」
「みんなとの」
「強いんだね、綾波は」
違う、そんなことはないの。
ただ、ただこれは「私には他に何もないもの」
そう、エヴァに乗る、そして計画のため。
私にはそれだけしかないから。
「時間よ、行きましょ」
私は立ち上がり、零号機へと歩き始めた。
「あなたは死なないわ。私が守るもの」
だから、それ以外のあるあなたを、私が守るの。
碇司令以外の赤木博士や葛城一尉、冬月副司令、そういったみんなの中に、碇君もいる。
何もない私だから。
代わりのいる私だから。
「さようなら」
本当に、『私』があなたに会うのは最後になるかもしれない。
****
午前0時。作戦開始の合図に合わせて、急造された変電設備がうなり声を上げ始めた。
日本中からの電力が、初号機の持つポジトロンライフルへと集められる。
「最終案全装置解除」
「撃鉄起こせ」
作戦部の合図に合わせて、初号機によって撃鉄が起こされ、MAGIによる照準が合わせられる。
碇君は初めての任務にもかかわらず、落ち着いて作業を進めているみたい。
「発射まであと10秒」
カウントダウンが始まった次の瞬間、伊吹二尉の焦った声が通信から聞こえてきた。
「目標に高エネルギー反応?」
それに構わず発令された葛城一尉の「撃て」という合図に合わせて発射された陽電子砲と使徒の加粒子砲が交錯した。
「第二射急いで」
「ヒューズ交換」
「再充填開始」
怒声のような指示が飛び交う様子が、通信機越しにエントリープラグでも聞こえる。
(私の任務は)
まだ滑らかとは言いがたいものの、自分の意志のとおりに動く零号機を、初号機の前へと進めた。
「目標に再び高エネルギー反応」
「まずい」
指揮所からは、予想どおり使徒が加粒子砲を準備していることが伝えられた。
(大丈夫、初号機への射線に入れたわ)
まばゆい閃光が私に向けて一直線に向かってきた。
すさまじい衝撃を、盾を通じて感じた。
そのままの勢いで押し倒されそうなほどだ。
(後ろには、碇君がいる)
両足を踏ん張り、後退しないように姿勢を保つ。
それでも、みるみるうちに盾が融解していく。
5秒、10秒と経つうちに、盾はもはや原型を留めなくなってしまった。
(赤木博士も、計算ミスをするのね)
盾が用を為さなくなっても、その場に止まる。
この後ろには、碇君がいるから。
(碇君、あなたは死なないわ)
星空の下で、碇君へと言った言葉を改めて反芻する。
私は碇君に死んでほしくない。
代わりのいる私とは違って、碇君は碇君しかいないのだから。
(だから、いきて)
そう考えている内に、意識を失った。
直前に、右横を一条の光が真っ直ぐに突き進んで行く様子が見えたような気がした。
****
「綾波っ」
「綾波っ」
誰? 私の名前を呼ぶのは。
身体を揺すられ、重い目蓋をなんとか開いた。
「良かった。生きてて、良かった」
生きてる。私、生きているの?
「自分には、自分にはほかに何も無いなんて、そんなこと言わないでよ」
「別れ際にさよならなんて、悲しいこと言わないでよ」
碇君が、泣いてる。
「碇君、どうして泣いているの?」
「何がそんなに悲しいの?」
私の質問に、碇君は目尻を拭いながら言った。
「違うよ。綾波が生きてて、それがうれしいから泣いているんだ」
私が生きてて、碇君はうれしいの?
「うれしいときも、涙が出るのね」
「ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすればいいのか分からないの……」
私が困っていると、碇君が口角を上げながら言った。
月明かりの下で、泣きはらした顔なのに、碇君の笑顔は綺麗だった。
「笑えばいいと思うよ」
それを言われて、私はちゃんと笑えていたかしら。
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