あなたを思えば

                     第七話

                                         Written by史燕




葛城一尉が三佐に昇進した。
その後、司令と副司令が南極へと向かうという話も同時に耳にした。
NERV上層部の動きは正直あまり興味が無い。
だけど、葛城三佐の昇進祝いに記憶のバックアップのせいで行けなかったのは少し残念に思った。
部屋で寝ていると、玄関からの物音で目が覚めた。
誰かがいるようで、ゴンゴンと扉を叩く音がする。
下着にワイシャツを身にまとっただけの格好だけど、たぶん問題ないだろう。
重い目蓋をこすりながらドアを開けると、碇君が立っていた。
学校のプリントを届けてくれたらしい。
「じゃ、ゆっくり休んで」と言う碇君に「少し上がっていけば?」と思わず言ってしまったのには、自分でも驚いた。
来客を想定した生活をしていないため、何をしていいかわからない。
幸い、先日包帯などを処分したので、部屋があまり散らかっていない。
碇君を唯一あったパイプ椅子に座らせて、台所に向かった。
通常、来客にはお茶を出すらしい。
そんな知識はあっても、お茶なんて淹れたことがなかった。
幸い紅茶の葉とティーセットは置いていたので、なんとかお茶出しは出来そう。
「紅茶の葉ってどのくらい入れたらいいのかしら?」と準備していると
「流石にそれは多過ぎだと思うよ」と碇君に言?われてしまった。
ヤカンが沸騰する音だけが室内に響いている。
そろそろ沸いたみたいだと思って手をヤカンに伸ばすと、誤って指先が金属部分に触れてしまった。
「大丈夫?」と訊ねる碇君に「少しやけどしただけ」と答える。
それだけなのに、碇君が血相を変えて水道へと私の右手を引っ張った。
やけどをしたらすぐに冷やさないといけないかららしい。
右手首を碇君に掴まれたまま、身体はぴったりと寄り添っている。
少し、気恥ずかしいような感じがする。
それは碇君も同じだったみたいで、「紅茶、僕が淹れるよ」と離れて行ってしまった。
もう少しくっついていてくれてもよかったのだけど。
「綾波はしばらくそうしてて」という言葉には素直に「ありがとう」と答えた。
(ありがとう、感謝の言葉。だけど、胸があたたかい)
ゆっくりと、二人だけの時間が流れていく。
「昨日、ミサトさんの昇進祝いをしたんだ」
「そう。ごめんなさい。ちょうどテストがあって」
「遅れてやってきたリツコさんから聞いたよ。『どうしても動かせない実験で、レイに負担が大きくなってしまった』って」
「ええ、とても疲れてしまって、ずっと寝ていたの」
本当は起動実験の後にしばらくセントラルドグマでL.C.Lに浮いていなければならなかったからだけど。 「綾波は、父さんとどんな話をするの?」
碇君からそんな話題が出た。
「どうして?」
まさか地下で碇司令も同席していたことは知らないはずだけど。
「もしあのパーティーに父さんがいたら、少しは話せたかなって思って」
予想は杞憂だった。でも話の難しさは変わらなかった。
長く離れて暮らしていたのは知っている。
碇司令が碇君と距離を空けているのも。
ただ、私も「体調はどうか?」くらいしか話は出ない。
それも約束の時まで“今の”私が保つかどうかという理由でしかないのだ。
でも、私を大切にしてくれているのもたしかで。
碇司令の役に立つことが存在を許されている理由なのはそれ以上にたしかだった。
零号機の起動実験に失敗したとき、たしかに司令は私を助けてくれた。
私を大切に思っているのは事実だ。
だけど、碇君に接するときより、私を見ていないような気がする。
私は碇司令に反抗することがないから。
私は碇司令を傷つけることがないから。
これは、あの二子山での夜に碇君と話をしたから、違いに気づいたことだけれど。
「父さんに、どんな話をしたらいいかわからないんだ」
「最初、ここに来たとき、父さんに会うのが怖かった。だけど会えたら嬉しかった。でも、いきなりエヴァに乗れなんて言われて。それ以来、ほとんど話せていないんだ」
「僕自身、わからないんだ。父さんを憎んでいて、でも憎みきれずにいて。僕を置いて行ったのは許せないけど、許せるようになりたい気もして」
「ごめん。一方的に、変な話をしちゃって。ただ、アスカみたいに贔屓されてるなんて思わないけど、綾波なら父さんとどんな話をしてるのか聞けたら、なにか話しをするヒントになるんじゃないかと思ったんだ」
大切な話だった。
重い重い話だった。
きっと私は、碇司令に対しても、他の誰に対しても、碇君が話をしてくれたほど関心を持って来なかった。
でも、碇君にどう言えばいいの?

『ごめんなさい。私もあまりちゃんと話はしていないの。体調はどうとか、学校はどうとか。これだけでも、碇君よりは話す機会は多いのかもしれないけど。あくまで、実験の延長でしかなくて』

ダメ、これはたぶん碇君が欲しい言葉じゃない。
でも、話はするべきだとは思う。
碇君が司令と話したいのだから、そのために何か。
そう考えていると、前回の使徒と戦う前に、自分がどう感じたのかを思い出した。
碇司令は、碇君との電話を完全に拒絶してはいなかった。
「そのままでいいと思う」
「えっ?」
「そのまま、碇君が感じたことや思ったことを碇司令に伝えたらいいと思う。それでうまくいくかは私もわからないけれど、そうしないと何も始まらないわ。私も碇司令とは体調や実験の話しかしないから」
「そうだね。できるかな、父さんと。正直、自信がないや」
「私も碇君も違うもの。私が考えているより、碇君は碇司令と話せないかもしれないし。話せるかもしれない。でも、話したいと思ったのでしょう、お父さんと」
「そうだね。今度、なんとかがんばってみるよ」
その話が終わったときに、「あ、蒸らし過ぎたかも」と慌てて碇君が紅茶をカップに注いでくれた。
碇君が淹れてくれた紅茶は、鮮やかな色合いで、柑橘類のすっきりした香りを漂わせていた。
「きれいな色。紅茶を淹れるの上手ね」
「やっぱり蒸らし過ぎて、少し苦くなっちゃったね」
苦笑する彼の言う通り、市販品よりも少しだけ飲みにくい苦味を感じた。
「でも、あたたかいわ」
あたたかいのは紅茶だけでなくて。
こんなにあたたかい碇君だもの、お父さんともうまく話せると思うの。




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