再び巡る時の中で

                「直接シンクロ」

                                         Written by史燕





(急げ!!)

――紫の巨人が駆けていた。
――田園を、ビルを、山々を越えて、駆けていた。

(急げ!! 急げ!!)


――青い巨人が、赤い巨人が、同じく砂塵を巻き上げながら、駆けていた。

「ダメッ、アタシじゃ間に合わない」
「……こっちもダメ、0,7秒間に合わないわ」

――赤と青の巨人の駆り手が、紫の巨人に告げた。

「わかった、こっちでなんとかする」

「シンジ君!! お願い」

――作戦部長の悲痛な叫びが、戦場に木霊した。

(急げっ!! 急げっ!! 急げっ!!!!)

――紫の巨人が、駆り手の意思を汲みさらにスピードを増す。

「「ウオオオオーッ」」

――紫の巨人がその駆り手と共に咆哮した。
……自らの敵たる、神の使いと対峙するために……



「はあ? 手で受け止めるう〜?」

セカンドチルドレン=惣流・アスカ・ラングレーの声がブリーフィングルームに響いた。

「他に方法は無いのよ、残念ながらね」

そう告げたのは、作戦の発案者たる葛城ミサト作戦部長ではなく、赤木リツコ技術部長だった。

「……MAGIによる計算の結果ですか」

ファーストチルドレン=綾波レイが冷静に反応を返した。

「その通りよ、レイ。私だってこんな無茶苦茶な作戦に同意したくなんかないわ」
「でも、使徒は待ってはくれない、と」

サードチルドレン=碇シンジは、覚悟を決めたように、静かに言った。

「はあ、まるで奇跡を起こすしかないじゃないの」

アスカがおどけながら嘆息した。

「奇跡は起こしてこそ価値があるのよ」

ミサトはそう告げる。
自信満々に断言したのとは裏腹に、彼女は内心歯噛みしていた。
いや、彼女だけではない。
リツコも、作戦部のマコトたちも、技術部のマヤたちも、シゲルたち事務方のスタッフも、保安部・諜報部の面々も、ただただ自分たちの無力感に苛まれ、歯噛みしていた。

「ふふっ、仕方ないわね」

アスカが笑いながら、了承の旨を告げた。
無茶するしかない? そんなこと、使徒との戦いでは今までもあったことだ。

「ミサト」
「何かしら」
「この戦いが終わったら、なんか奢りなさいよね」
「ええ」

“この戦いが終わったら”それは、彼女が暗に告げる、勝利宣言。

「いいですね、僕たちもお願いしますよ」
「もちろんよ」

アスカの提案に、シンジが自分とレイを便乗させる。
彼も分かっているのだ、これが、必ず帰ってくるという意思表示なのだと。
そして安心してほしい、なんとかして見せる、という決意表明でもあった。

「……葛城三佐」
「なにかしら?」
「お肉、以外でお願いしますね」
「へっ」
「……食べられないんです、お肉」

ミサトがレイの要望を訝しむと、彼女は少し恥ずかしそうに言った。

「ミサト、迂闊だったかもしれないわよ」
「? どうしてよリツコ?」

からかうように告げる旧友に、ミサトは疑問を呈した。

「だって、レイはシンジ君の料理を食べなれているのよ。私が保証するけど、シンジ君の腕前はプロ級。さて、レイを満足させるようなお店ってどんなお店があるかしらねえ」
「うっ、だ、大丈夫よ。三ツ星レストランでも何でもドンとこいだわ」

ハハハハハハ、ミサトの高笑いは、どこかしら哀愁が漂っていた。
遺書を書くという規約は、「ミサトに奢ってもらうんだからいらないわ」というアスカの一声で、なかったことになった。



今回の使徒サハクィエルは、衛生軌道上から落下してくる。
単純な質量による攻撃は、事実、かなり有効だった。

「N2航空爆雷、効果ありません」

これはすなわち、人類の現在保有する航空戦力では、全く歯が立たないことを意味するからだ。
故に、エヴァが直接受け止める。
この、一見すると無謀にしか思えない作戦が、実行されることとなったのだ。



「「ウオオオオーっ」」

紫の巨人=初号機が咆哮すると、周囲に小規模なクレーターが形成された。
それは、“絶対受け止める”という鋼の意思の顕現。
最高出力のA.T.フィールドが発生したからだ。
その次の瞬間には、使徒が初号機のもとへと、舞い降りていた。
舞い降りる、などという生易しい表現は適さないかもしれない。
重力による自由落下に、A.T.フィールドを応用した推進力を加え、初号機には当初の予想を遙かに超える圧力がかかっているからだ。

「負けるかあああっ」

シンジの叫びと共に、初号機の力は増大した。
少しだけ、そう少しだけだが使徒を押し返すことに成功したのだ。

(せめて、二人が駆け付けるまでは)

シンジは、その一念で使徒の重圧に耐えていた。
だが――

「使徒、初号機正面のA.T.フィールド、弱まります」
「中和したの?」
「いえ、その分のエネルギーは、使徒の推進力に転用されています」
「やられたわ」
「どういうこと、リツコ」

状況を把握して、思わず天を仰いだリツコに、ミサトは説明を求めた。

「考えて見なさいよミサト。初号機は抑えるのに手いっぱい、零号機と弐号機はまだ間に合わないわ」
「つまり、防御を捨てても攻撃される余地は無く、むしろ初号機を先に潰してしまった方が早い」
「そういうことよ」

状況を理解して、ミサトも青ざめる。
が、そうしてもいられない。

「アスカ、レイ、急いで」
「わかってるわ」
「……了解しました」

ミサトの言うことは、二人とも端から承知している。
ただ、その通信を聞くことで、シンジは勇気づけられた。

「くっ、この位でえええっ」

シンジ自身限界が近いことはわかっていた。
それでも無理を承知で、必死に使徒に対抗し続けた。

「初号機、右腕裂傷」
「左肩の負荷も大きいです、長くは持ちません」

発令所では、初号機の惨状が次々と報告される。

「ぐうっ」

とうとう質量に耐えかね、初号機が片膝をついた。
それでもなお、シンジは決して使徒を受け止めるのを辞めようとはしない。

「両腕の装甲が、もう持ちません」

マヤが告げるように、初号機も悲鳴を上げていた。
両腕だけではない、足も、腰も、背中も、胸も、全身のありとあらゆる部分が悲鳴を上げていた。
まるでそれを誤魔化すかのように、再び咆哮をあげた。

「ウオオオーーン」

「アスカ、早く!!」

初号機に接近した弐号機だが、なぜか近づけずにいた。

「ダメッ、A.T.フィールドが中和できない」

シンジが発生させたA.T.フィールドが強力なことと、使徒が推進力に使っているA.T.フィールドが周囲にも影響を及ぼしていること。 この二点が原因で、アスカは使徒と初号機に接近できずにいた。
ここで初号機がA.T.フィールドを弱めると、アスカが助けに行く前に押しつぶされてしまう。

「……碇君、ごめんなさい」

そのとき、突然零号機から通信が入った。
と同時に、使徒から初号機にかかる圧力が増した。

「何やってるのよ、レイ」

アスカの怒声が鳴り響く。
ミサトたちが見ると、なんと零号機が装甲ビルから使徒の背中に飛び乗ったのだ。
右手には、プログレッシブナイフを装備している。

「ぐっ、ううっ」

シンジの唸り声が聞こえてくる。
無理もない。使徒だけでなく、零号機の重量も加わったのだ。
もう限界が近いのだろう。

「ごめんなさい、碇君」

レイは沈痛な面持ちでシンジに謝罪する。

「あ、綾波っ、構わないから、やっちゃって」

シンジは、苦痛に耐えながらも、レイに声をかける。
それこそが、最善の手段だとわかったのだろう。

「シンジ、ごめん」

アスカもまた、レイと同じようにビルを経由して使徒に飛び乗った。
サハクィエルのA.T.フィールドはあくまで推進力として自身とその周りにしか影響を与えていない。
また、推進力として用いている部分には強度はなく中和しやすい。
それを利用して、防御の弱い背中からコアを破壊しようというのだ。
……その分、初号機には更にエヴァ二機の重圧を耐えなければならないが。

「……合わせて、アスカ」
「行くわよ、レイ」

「「せーの」」

――パリーーン――

二本のナイフが、見事にコアを破壊した。



「ごめん、また病院送りだよ」

そう苦笑しながら告げたシンジは、その言葉とは裏腹に、満身創痍だった。
直接シンクロのおかげで、一機でサハクィエルの質量を凌ぎきったが、その分初号機からのフィードバックも非常に大きい。

「それじゃ、アンタの退院祝いもかねて、ミサトに奢らせましょう」
「……シンジ君、早く良くなって」

心配する二人に見送られ、シンジは集中治療室で面会謝絶の身となった。



診察が終わり、少し落ち着いた時だった。

「失礼するわよ」

そう言って、リツコが入室してきた。
医師免許を持ち、カルテを見て容態を把握しているリツコは、NERV幹部で唯一面会可能なのだ。
一つには、エヴァによる影響も考えなければならないチルドレンの治療には、彼女の意見も参考にしなければならない、という事情もある。

「シンジ君、もしかしての話なのだけど……」

そう言って、リツコから直接シンクロの可能性を示唆されたとき、不思議と納得してしまった。

「ああ、なるほど」と。
なにせ、初号機にユイはいないのだ。
また、前回と比べてはるかに動かしやすい、初号機。
そして前回や零号機や弐号機と比べて明らかに大きなフィードバック。
これだけ証拠が揃っていれば、肯かざるを得ない。
もっとも、口が裂けても他の人間には言えないが。
リツコにも、「そうかもしれない」と納得して見せたものの、これらの事情は伏せたままだ。
だが、シンジのシンクロが直接シンクロであることは、リツコの中で確定事項となっているようだった。

「私が言うのはおかしいかもしれないけれど、無茶はしないで」
「いえ、お気持ちだけで十分ですよ」
そう、シンジの身を案じてくれるリツコには申し訳ないが、多分この後も自分は無茶をするしかないとシンジは思っていた。

「リツコとシンジ以外の人間には絶対に漏らさない」

このことをシンジはリツコと約束をした。
シンジとしては、他の人間に気遣われると動きにくいから。
リツコとしては、このことが漏れるとシンジがどう扱われるかわからないから。

――よって二人の利害は一致した。

(結局、初号機は真の意味でサードチルドレン専用機になってしまったわけね)

シンジ以外の人間が乗ることはできない、その事実をどう受けとめるべきか、リツコは頭を悩ませたのだった。



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