再び巡る時の中で

               「故人」

                                         Written by史燕





イロウル侵入後、前回行われた初号機とレイの連動実験は行えない。
これはリツコが下した見解だが、シンジもそれ自体を不審に思わなかった。
周囲に対しては、「正規のパイロット以外の人間が操縦した場合、戦闘に耐えうるとは思えない」と説明し、訝しむ上層部やミサトたちを黙らせた。

「使えないエヴァなんていらないでしょ?」

これが、稼働機体数を確保しておきたがった作戦部を黙らせた一言だった。
ゲンドウや冬月はもっと簡単で、「君が言うならそうなのだろう」と納得した。
一つには、ダミーシステムの開発を中止したため、データを取る意味がないという事情もあった。
これに伴い、シンジの零号機搭乗実験は行われなかった。



シンジは今、独りで佇んでいた。
場所は共同墓地の一角、関係者であっても目的の墓碑を見つけるのが難しい、まさしく故人が等しく扱われる墓地である。

“碇ユイ 1977−2004”

シンジが立つ前にある墓碑には、そう書かれている。
今日は彼女の命日なのだ。
こちらの世界では、もう初号機にユイはいない。
正しい意味で、もうこの世にはいないのだ。

(母さん、本当に死んじゃったんだよね)

そのとき、シンジのもとへ近づいてくる足音が聞こえてきた。
碇ユイのもう一人の遺族――碇ゲンドウだ。

「……父さん」
「3年ぶり、だな」
「うん、あのとき以来……来てないから……」

「気にするな」

ゲンドウは、仕事のため遅れてやってきたが、そもそも今日ここに来るのは、あらかじめ話し合っていたことだった。

「……お前だけではないさ」
「? どうしたの」
「いやなに、俺も父親らしいことは何もしてこなかった。ユイにとって、良き夫だったかどうかも、今となってはわからん」
「……父さん」
「人は忘れることで生きていける。だが、忘れてはならない大切なものもある

「……それは、ユイが教えてくれたはずだったのにな」

そう言って、シンジから目線をそらし、ゲンドウは自嘲した。

「シンジ」
「何?」
「正直に言え、ユイは……ユイはもう、居ないのだろう?」

それが、どこまでわかっての言葉なのか、シンジには判断がつかなかった。
よって、どう答えればよいかも、皆目見当がつかなかった。

――ふっ――

突如、ゲンドウが小さく笑った。

「俺が言うのもなんだが、子供らしくない。悪い意味でなく、“良くできた息子だ”それが、俺がこの数ヶ月でお前に対して思った感想だった」
「えっ」

突然、全く脈絡のないことを言いだす父に、シンジは困惑した。
その様子を見ながら、ゲンドウは言葉を続ける。

「だが、こうして改めて対峙してみると、まだまだ子供だな。まったく、俺とユイの子だというのがよくわかる」

シンジは、未だに状況が把握できていない。

「シンジ『沈黙は肯定』というのは、何も作り話ではない。先程の問いに、どうして答えられなかった? あるいは、ユイのことなど知らぬはずのお前が、なぜ疑問を返さず質問を理解した? そして、その表情だ」

シンジはそこまで言われ、初めて己の失策を知った。

「まあ、人間というのはそのくらいで丁度いいのかもしれんな」

そういって、ゲンドウはまた自嘲気味に嗤う。

「“直接シンクロ”」

その言葉には、シンジはいやがおうにも反応を示さざるを得なかった。

「シンジ、俺も今でこそ政治交渉ばかりやっているが、もとはと言えば学者なんだぞ? 高すぎるフィードバックとシンクロ率に、群を抜いた戦闘能力、気づかない方がおかしい」

(まあ、この機会に話してみろと言ったのは冬月なんだがな)

シンジとしては、ここまで見透かされると、逆にどうしたらいいかわからなかった。

「シンジ」

息子の様子を見かねて、父親が声色を変えた。
かつて、誰が聞いたことがあるのか、というほどに、穏やかな声色だった。

「シンジ、多くは聞かん。ただ、お前は“直接シンクロ”をしていて、ユイはもういないのだろう?」
「うん、そうっ、だよ……」

かろうじてシンジは声を絞り出すようにして答えた。

「シンジ、それならそれでいい。無理をするなとも、この現状では言わん。ユイのことも、何故そうなったのかは、誰にもわからん。いや、ユイは確かに11年前の今日、死んだのだろう。だが、不甲斐ない父親として、これだけは言わせてくれ」


――“幸せになれ”――


それだけ言うと、ゲンドウはそのまま墓地をあとにした。
迎えに来たV―TOLのエンジン音がする。

(これでいいよな、ユイ)

ゲンドウは、亡き妻が、自分に微笑んでいる姿を幻視した。


(“幸せになれ”か、父さん、僕は幸せになっていいのかな)


父親の言葉を、快く受け入れられないシンジは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


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