再び巡る時の中で
「誰がためにエヴァは啼く」
Written by史燕
参号機起動実験当日、シンジは予定通り松代支部の実験場にいた。
当日になっても全く異変が検出されなかったが、これは前回と同じである。
何がトリガーになるのかは全く分からない、それでもこの日“何かある”というのはシンジには確信があった。
シンジに唯一出来たことと言えば「暴走するかもしれないので」という理由で、スタッフを通常よりも離してから実験を行うように変更できたことくらいである。
そして、起動実験が始まる。
通常通り進む起動シークエンス。
何も不審な点は見当たらない。
それでも、いやだからこそ、ソレは正しく目を覚ました。
一瞬の閃光とともに鳴り響く轟音。
「何っ!! 何が起こったの!?」
「ちょっとリツコ、どうなってるの??」
「わからないわ」
松代の支部は一瞬で機能不全に陥った。
幸いにして人的被害はないものの、各種機器や通信手段の一切が喪われてしまっている。
理由は不明である。
しかし原因は明白だ。
「っ!! シンジ君が」
エヴァンゲリオン参号機、黒い巨人が災厄を齎したのだ。
シンジはエントリープラグの中で待っていた。
進んでいくシークエンスの間も、来るべき時に備えて。
そして、一瞬の閃光とともに意識が別の空間へと誘われた。
曇りのない真っ赤な球体。
これはシンジも見たことがある。
コアだ。エヴァと使徒に共通して存在するコアだ。
手を伸ばせばすぐに届きそうなほど目の前にあるそれに対して、何度手を伸ばしても届かない。
触れそうで触れない。
それを、粘着質なナニカが包み込んでいく。
(あと、少しなのに……)
「グルワァァァーーー」
参号機が、叫んだ。
鈍く光る瞳に暗い光を灯して、一歩、また一歩と前に進んでいく。
「なんてことなの」
ミサトは目の前で広がる明らかに以上と言える事態に何もできないでいた。
そしてリツコは。
「シンジ君の様子はどうしてもわからない。本部への通信も通じない。まずいわ、もし直接シンクロをしている状態で暴走しているのだとしたら……」
様々な可能性を模索している中で残酷な知らせが彼女たちに届けられる。
「反応、パターン青!! 使徒です!!」
「……なんてことなの」
彼女たちは、天を仰いだ。
一方のNERV本部では零号機と弐号機の発進準備が行われていた。
参号機の暴走はすでに戦略自衛隊を通して伝えられており、幸いにして本部に到着するまでに人々の避難は間に合いそうだ。
「まったく、アイツは何をやってるのよ」
(まさかエヴァが使徒に乗っ取られるなんて、いえそれよりも今できることよ)
アスカはもう一人の少女の方へモニター越しに目を向けた。
「……碇君」
(やっぱり心配よね。はぁ、バカシンジ、帰ってきたら覚えておきなさいよ)
アスカはいろいろな意味での心配を抱えながら、発進に備えた。
「エヴァンゲリオン零号機・弐号機、発進」
赤と青の巨人が、黒い巨人と相対する。
シンジはエントリープラグの中で目を覚ました。
視界に広がるのは斜陽のかかる田園風景。
第三新東京市の郊外であることが分かる。
手元や足元に、赤い粘着質な物体が見える。
これは、エントリープラグのそこらじゅうを覆っていた。
参号機はシンジの意思と関係なく足を進めている。
決して早いわけではないが、一歩一歩確実に。
「さっきの光景は……」
「シンクロはつながってる気がするけど、指一本動かせないや」
「トウジも、こんな感じだったのかなあ」
前回を思い出しながら、シンジはつぶやく。
こうなる可能性はわかっていた。
それでもなおテストに参加したのだから、自業自得と言える。
「綾波とアスカ、容赦なくやって来るんだろうなあ」
今後の自分の未来を想像して、なんだかおかしく思えてきた。
「結局、何も変えられなかったのか」
あの紅い世界が嫌で嫌で仕方なかった。
だから、この世界に来れて本当に良かった。
戻ってこれたんだと、変えることができるんだと思った。
しかし、どうやら前回よりもまずい状況になってしまっている。
「ははっ、僕がここで死んだら、この後どうなるのかな」
シンジの顔に、暗い笑みが浮かぶ。
そして、彼の目の前に赤と青の巨人が姿を現す。
自分の命を狩る死神。
それでもいいと、シンジは思った。
「射出信号、反応ありません」
「現時刻を以てエヴァ参号機を破棄、目標を第十三使徒と認定する」
マヤの声と、ゲンドウの指示が聞こえる。
「使徒ですって、ジョーダンじゃない」
アスカは手にしたソニックグレイブを強く握りしめながら毒吐いた。
(四肢を切り取れば動けなくなる。そのあとに何とかすればあのバカも助け出せる)
アスカの考えは間違っていない。
しかしそれは、“可能であれば”の話でしかなかったが。
「きゃあっ」
突然弐号機を衝撃が襲う。
まだ接敵する距離ではないはずなのに。
衝撃が収まると今度は、右手と首を強く掴まれる。
「ぐうっ、くる…し……」
何とか目を開けてみると、参号機の腕に掴まれていることはわかった。
メキッ、メキッと嫌な音がする。
零号機がライフルを撃ってもまるで意に介していない。
「……アスカを放して、碇君」
零号機は銃を捨てて弐号機を参号機から解放しようとするが、うまくいかない。
「……碇君、ごめんなさい」
レイはプログレッシブナイフを取り出し、参号機の腕に斬りつける。
「ギャアァッ」
参号機は悲鳴を上げて、弐号機を解放する。
次の瞬間には、零号機は宙を舞っていた。
参号機は腕と同じく足を延ばし、零号機を蹴り飛ばしたんだ。
シンジは痛みを感じていた。
参号機からフィードバックされてくる痛みではない。
それも痛いには痛いが、それよりも何よりも、自分が彼女たちを傷つけているということの方がつらかった。
「くそっ、自爆さえできないなんて」
自爆プログラムそのものは起動しても、それは途中で止められてしまった。
どうやら使徒の方が一枚上手だったらしい。
参号機そのものを掌握しているのだから、シンジにはどうしようもないのだ。
シンジはただ、目の前で繰り広げられる惨劇を見ているしかなかった。
それはもはや戦闘ですらなく、ただの蹂躙であった。
「…やめてくれ」
二対一になってもなお有り余る俊敏さと膂力を以て、二体を攻め、殴り、倒した。
「もう、やめてくれよ」
弐号機は片腕を失い、零号機は右足と左手首が通常ではありえない方向に曲がっている。
「やめろってば」
今、参号機の手によって弐号機の左足がちぎり取られた。
弐号機も零号機も、もはや動く気配さえない。
にもかかわらず、黒い巨人はその手を緩めようとしない。
「やめろって言ってるだろ」
それでもなお、参号機はその手を零号機に向ける。
両手を首にかけ、これに力を籠めれば首と胴を別れさせることもたやすい。
そしてこの巨人は、何のためらいもなくそれを行うであろうことは、今までの所業が如実に示していた。
「やめろおおおっ」
シンジの絶叫が、参号機のエントリープラグに響き渡った。
再び、シンジはあの謎の空間にいた。
真っ赤なコアと、それを取り巻く粘着質の物体。
シンジはそれを――殴った。
ただひたすら――殴った。
力の限り――殴った。
錯乱しているからかもしれない。
或いは八つ当たりかもしれない。
どうしようも、どうすることもできない。
そんな感情を、衝動を抱えながら、殴った。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
少しだけ、粘液質が取れた。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
また少し、粘液質が減った。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
粘液質が赤い輝きに包まれていた。
それでもなお、殴った。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
手が痛む、もう腕を振り上げる力すら怪しい。
それでも、シンジは殴るのをやめなかった。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
赤い輝きが弱まり、さらに粘液質が減った。
参号機が悲鳴を上げる。
苦しむように胸を押さえだしたが、シンジはそれを知るすべはない。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
とうとう粘液質はシンジが殴っている面からはなくなった。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
シンジの手は、とうとうコアに達した。
それでも、それでもなお殴るのをやめない。
――殴った。
――殴った。
――殴った。
シンジの手は、とうとうコアの中心に達した。
その瞬間、シンジの意識は暗転した。
「参号機から、エントリープラグが射出されます」
「なにっ」
冬月から問われても、マヤ自身何が起こっているのか説明することができなかった。
「参号機、自爆プログラムが作動します」
マヤが報告してほどなくして、参号機は自爆した。跡形もなく。
「救護班急げ」
硬直する司令部に、ゲンドウの怒鳴り声が響いた。
「早くシンジを、チルドレンたちを回収するんだ」
ほどなくして三人のチルドレンは無事回収されることとなる。
アスカとレイはフィードバックの痛みだけで問題はなかったため、簡単な検査だけで済んだが、シンジは使徒に取り込まれたエヴァの中にいたということで、数日をかけての検査となった。
その後は無事解放されたが、わかったことは、エヴァについても、使徒についても、そして人類自身についても、何一つわからないという事実だけだった。
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