再び巡る時の中で

                         「トラウマ」

                                         Written by史燕





碇シンジは目を覚ました。

「また、この天井か」

前回を含めて何度見たか数えることも億劫なほどこの天井を目にしてきた。
しいて言えば、自分以外の二人がこの天井を見上げる機会を減らすことができているのは明確な今回の成果かもしれない。

左腕を見る。
――繋がっている。
右脇を抑える。
――どうやら穴は開いていないようだ。

「ふう、大したことなかったみたいだ」

そう、一人ごちる。
まるで、自分が戦闘で傷ついたことなど忘れたかのように。
いや、覚えてはいるのだ。
脇腹への焼けるような痛みも、左腕が斬り飛ばされる衝撃も。
ただ、特に大きな意味を感じないだけで。

当人がどう考えていようと、身体的にも精神的にも大きな負担となったのは事実であるため、医者に言われるがまま、シンジは数日病室でおとなしく横になっていた。
通常ならばこの程度のことでじっとしていられないのがシンジなのだが、なにぶん今回は勝手が違った。
……お目付け役がいるのだ。

「………」
「あの、綾波?」
「……なに?」

我らが綾波レイである。

「いや、もう少し離れてくれるとありがたいかなあ、と」
「……そう」

それでもレイはシンジの傍にピタリとくっつき、離れようとはしない。
このやりとり自体も実に10回を優に超えた。
彼女はあの後シンジの病室に向かうと、面会謝絶など知った風でなく、そのまま病室でシンジが目覚めるのを待ち続けた。
あわてて追いかけてきたものの、レイのあまりの剣幕に気圧され、病室から連れ戻そうという意思をあっさり放棄し、「じゃあ、あとはごゆっくり」と言い残して帰って(逃げて)いったミサトのセリフも相まって、そのまま連日病室に居座っている。
事情が事情であること、NERVのトップであるゲンドウの許諾も得ていることから、以来誰にはばかることもなくシンジと四六時中一緒にいるのだ。
シンジの方も最初は「綾波に悪いよ」とやんわりと断りを入れていたのだが三日を過ぎるころには諦めていた。
なによりここのところ入院してばかりであり、一人で過ごすことには飽き飽きしていたから、これで退屈が紛れるというものだった。
そう思うほどにレイに対して根負けしたとも言える。

何はともあれ、こうしてシンジは少々窮屈な一月近くの入院生活を過ごしたのだった。

彼の優雅(?)な入院生活を終わらせたのは、医者の許可ではなく無粋な神様の使者だった。

「……使徒」
「行かなきゃ、ね」

二人そろって、発令所へと向かう。
シンジはまだ左腕に他称のぎこちなさは残るが、日常生活に支障はない。
なにより、ここでおとなしくベッドで寝ているなどできるはずもなかった。



十五番目の使者は、前回と同じく衛星軌道上の高高度を保ったまま、地上へ近づこうというそぶりも見せない。
航空爆雷をはじめとした兵器も効果がなく、どう対処するかNERVでも決めかねていた。

「ひとまず、エヴァを出してみましょう」
「ええ、もしかしたら何か反応があるかもしれないわね」

ミサトとリツコがそう判断し、エヴァが全機地上へと出撃する。
しかし、このようなNERVの期待に反し、使徒の方は全くアクションを起こす気配がない。

「あちゃー、反応なしか」
「どうする?」
「どうするもこうするも、こっちからつついて見るしかないじゃないの」

つついてみる、というのはスナイパーライフルで攻撃してみるということだ。
射程距離外なのは承知の上である。

「僕がやります」
「あら、無敵のシンジ様がやってくれるの?」
「問題がなければ、誰がやったっていいだろ」

発令所の声にシンジが反応した。
それをアスカが茶化すが、珍しくシンジがその声をバッサリと切り捨てる。

「ふんっ、勝手にしなさい」

アスカは途端に不機嫌になるが、シンジとしては内心それどころではなかった。

(間違っても、アスカにだけはやらせちゃいけない)

前回の記憶から、様々な要因があったとはいえ最終的にアスカを精神崩壊に追い込んだ原因である第15使徒。
これの相手をアスカにやらせればまたアレの繰り返しになる。
だからこそシンジはいつになく強い口調で自らを危険な役目に推す。

(少し、危なっかしいな)

発令所の隅から状況を見守っていた加持は、そんな感想を抱いた。

「いいわ、シンジ君。ただし、何か反応があったらすぐに行動を起こせるよう、警戒だけは怠らないで」
「はい」

ミサトの指示に、シンジは了解の旨を伝える。

(目標をセンターに入れて……)

シンジが照準を合わせた、その時だった。

「うわっ」

シンジの記憶と寸分もたがわず、あの特殊な光が初号機に降り注いだ。

「くっ、ううっ」
「……碇君!!」
「ちょっと、シンジ君。どうしたの、返事をして」
「バカシンジ、いったいどうしたってのよ」

回線越しに聞こえるシンジの呻き声。
それに対して他の者は何が起こっているのか把握することすらできなかった。
ただ不思議な光が当たっているだけで、初号機には外傷らしい外傷など一つもないのだ。
なぜシンジが苦しんでいるのか理解することができない。

「ああっ、トウジ。カヲル君。違う、僕はそんなつもりじゃ……」

呻き声は変わり、シンジは支離滅裂なことをつぶやき始めた。

「何なの、あの光」
「解析できました!!」
「可視波長のエネルギー波です」
「詳細は?」
「A.T.フィールドに近いものですが詳しくは不明です」

異様な状況が進む中、日向や青葉たちオペレーターの必死の解析が進む。
情報をもとにリツコは考察を進めようとするが、材料が足りない。

「シンジ君は!?」
「精神汚染、Yに突入しました」



慌ただしい周囲に様子に反し、シンジのココロは一枚、また一枚とそのベールを無理やり剥ぎ取られていた。

――鈴原トウジを乗せたまま、エントリープラグを握りつぶした。
――惣流・アスカ・ラングレーは行方不明になったのち、変わり果てた姿で発見された。
――渚カヲルを、自分自身の手で絞め殺した。
――綾波レイは、自分の知らない別人のようになってしまった。
――水槽の中に浮かぶたくさんの綾波レイが、溶けていった。
――紅い紅い世界で、一人ぼっちになっていた。

「ああああああぁぁぁ」

初号機の中で、シンジは絶叫した。

(父さんは僕を捨てたんだ)
(母さんは僕を置いて行ってしまった)
(どうして僕をいじめるの)
(やり直したってなにも変わらないんだ)
(みんないなくなっちゃうんだから)
(他人なんかいらないんだ、どうせ僕を傷つけるから)
(誰か僕を助けてよ)
(誰も僕のことを分かってくれないんだ)

(アスカ、ミサトさん、加持さん、トウジ、ケンスケ、カオル君)

「あや、なみ…………」

いつ終わるとも知れない無限の自己嫌悪と他者への不信の狭間で、それでもシンジは他人を信じようとした。
それでも、誰も還ってこなかったのだ。
LCLの中で溶け合ったまま。
使徒のせいなのか、シンジ自身が抱えていた闇なのか。
あるいはその両方か。
シンジは深い深い闇の中で、前回の記憶と、過去の自分自身に責められ続けていた。



「レイ」

ミサトたちが何ら打開策を出せない中、発令所の最上段から零号機に声がかけられた。

「……はい」
「槍を使え」

ゲンドウとレイの間では、それで話は済んだ。
前回と異なり実験自体は行っていないものの、地下のセントラルドグマへロンギヌスの槍を搬入したのは、レイの零号機からだ。

「碇、いいのか!?」
「委員会が黙っていませんよ?」

冬月と加持がゲンドウに慌てて尋ねるが……。

「煩い!!」

ゲンドウが珍しく激昂し、大きく机を叩いた。
あまりのことに発令所中はおろかレイとアスカや回線が繋がっている全員の注目がゲンドウに向く。

「シンジが危険なんだぞ。何をためらうことがある」
「委員会には使徒殲滅を優先したとでも言っておけ」
「いいか、ジジイどもの戯言に付き合ってやる義理はないんだ」

激情の赴くままに、ともすれば今後の対応を何一つ考えていない衝動的な指示。

「わかりました。セントラルドグマへの直通ルート、開放します」
「聞こえたわね。レイ、急いで」
「……了解です」

それまで何もできずに呆然としていたのが嘘のように、テキパキと発令所、いやNERV全体が動き始めた。

「正直、驚きました」
「ふっ、軽蔑するかね。加持一尉?」
「とんでもない、ご立派な判断ですよ」

「この戦闘の間、レコーダーは不調だったみたいですね」

加持はそれだけ言うと、細工をするために発令所を後にした。

「碇」
「どうしたんだ冬月?」
「お前も、人の親だったんだな」

なぜか冬月はこの場で涙を流していた。



そうこうしているうちに、レイはロンギヌスの槍を手に地上へと戻ってきた。

(レイ、シンジを頼む)
「……碇君は、私が助ける」

零号機は完璧ともいえるフォームで、虚空へ向けて槍を投げる。
闇を切り裂き、光を遮り、遥か空の向こうへと届かせるために。

狙いは過たず、第15使徒アラエルを、そのA.T.フィールドごと引き裂いた。



シンジは使徒が消滅すると、プツリと糸が切れたように気を失い、エントリープラグ内で倒れ伏した。



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