再び巡る時の中で

                   「学校」

                                         Written by史燕






レイが退院してから、更に一週間が経った。

「父さん、弁当ここに置いとくからね」
「ああ」
「父さん、味噌汁出来たからね」
「ああ」
「父さん、ご飯はこれくらいでいい」
「ああ」
「それじゃ僕も食べるよ」
「ああ」
「「いただきます」」

碇家の朝は、いつもこんな感じである。
最初は(なんでも一人で勝手にするだろう)と思っていたゲンドウだったが、あれよあれよという間に、よほど忙しくなければ朝晩は親子そろってゲンドウの部屋で、昼は必ずシンジお手製の弁当を食べるのが、日課となっていた。

「シンジ、すまんが今日は会議だ。遅くなる」
「それじゃ、夕飯は冷蔵庫に入れておくからね」
「ああ、問題ない」

という風に、すっかり日常となっている。

(まさか、外食が常だった俺が弁当を持参するようになるとはな)

その弁当を白髪の副司令から死守するのも、NERVでは見慣れた風景となっている。

「シンジ、そういえば今日から学校だったな」
「うん、そうだけど」
「チルドレンといえど、成績で無様な真似は許さん。といっても平均並みで構わん」
「もう、わかってるよ」
「もし、いじめられるようならいつでも言え。校長に直々に説教してやる」
「大丈夫だって」

どうやら父は親バカだったらしいと、最近気づきつつあるシンジだった。

「それじゃあ気を付けてね」
「ああ、シンジもな」

ゲンドウはNERVの公用車で、シンジは徒歩でそれぞれ出発した。
後でシンジが聞いたところによると、その日一日ゲンドウは気もそぞろで心配そうにそわそわしていたそうだ。

(母さんの言う、かわいいところってこういうことか)

とシンジは気付くこととなった。



学校へ着くと、担任の根府川先生(本名ではなくあだ名)に案内され、当然だが2-A の教室に入室した。
この時期にはまだ疎開も進んでおらず、記憶より空席も少なかった。

(奥でケンスケは写真を撮ってるし、トウジはジャージで寝てる。二人とも元気そうで何よりだよ)

変わらぬかつての友人と足を失っていないかつての友人の姿からやはり自分は帰ってきたのだと痛感する。
一番手前の席は記憶通り洞木ヒカリの席だ。

(綾波は、っと)

レイは記憶の通り一番窓際の中央の列だ。
周りの喧騒に我関せずという風に窓の外を見ている。

「碇君、自己紹介を」

教室を観察していると、担任に促された。
あまり時間もないようだ。

「第2東京から父の仕事の都合で転校してきました、碇シンジです」
「趣味は音楽を聴くことと料理です」
「みなさん、よろしくお願いします」

教室中からの拍手が止まると、担任が席の指定をする流れだ。

「碇君は、そうですねー」

空席がいくつもあるため担任も迷っているようだ。

(前はたしか中央の席だったよな)

そんなことを思い浮かべていると、担任が席を決めたようだった。

「碇君、綾波さんの隣の席でお願いします。あの碧い髪の子ですよ」
「はい」

(前回と違う気がするけど、まあいいか)

そうして席に着くと、未だに外を眺めているレイに声をかけた。

「綾波、隣の席だね、よろしく」
「……そう、好きにすればいい、って、碇君!?」

「好きにすればいいわ」というのが今までの決まり文句だったのだろう。
しかし、隣に来たのがシンジだと知り、心底驚いていた。

「それじゃあ、『好き』なように仲良くさせてもらうからよろしくね」

言葉尻を捕え、さらに言い募ってきたシンジのセリフにレイは真っ赤になった。

(……碇君だと気付いていたらあんなこと言わなかったのに。「好きに」ってどういう風になのかしら)

むしろレイの反応に、教室は騒然となった。

「綾波さんが真っ赤に!?」
「綾波ってあんな表情するんだ」
「売れる、売れるぞ〜」

担任である根府川はというと

「若いっていいですね」

と事態を放置しHRを終了した。
この喧騒は根府川の退出後、我慢の限界を超えた委員長によって鎮圧されるまで続いたという。



三時限目まで終わり授業自体に慣れ、依然と内容が変わらないことが確認できた。
四時限目の途中、シンジのPCに一通の着信が入った。

『碇君があのロボットのパイロットってホント? Y/N』

周囲を見回してみると、どうやらクラス限定のオープンチャットモードになっているのだろう、多くのものがPCに食い入るように見つめている。

シンジは迷わずNを押した。
守秘義務に抵触する質問であるし、何より自分がチルドレンだとばらす気もなかった。
周りは興味を失ったように内職をするもの、漫画を読むもの、カメラを握るものなど、みな思い思いのことを始めた。
レイの方を見たところ、一瞬目が合ったあとは窓の外へと視線を向けた。
うまくかわしたと思ったが、シンジの受難はまだ終わっていないようで、次の着信が来た。

『碇君と綾波さんってどういう関係?』

これにはシンジも頭を抱えた。
チルドレンと大人しく言うわけにもいかない。
気が付けばさっきよりも多い人間がPCを除いていた。
シンジはどうにか誤魔化そうと必死に頭を回転させる。

『友人だよ。少し前に病院で会って。割と親しい方ではあるかな』

前世とNERVのことを伏せると、この位しか言えない。
これで誤魔化されて欲しいと願う中、さらなる着信が届く。

『それじゃあ碇君が綾波さんと付き合ってたりとかはしないんだ』

シンジにとっては予想の斜め上を行く返しである。
思わずレイを見るが、窓の外を眺めていて気付いた様子はない。
シンジは慌てて文面を考えると、一気に打ち込んだ。

『ないない、そもそも僕はこっちに来たばかりだし』

これにはすぐに返事が届いた。

『なるほど。ありがとう。親しげだからそうなのかと思っただけ』

この返事にシンジもホッと肩の力を抜いた。

『いやわかってくれたらいいよ。それじゃあ』

そこまで打ち込んで、チャット機能を切った。
周りも興味を失ったのか、再び自分の世界へと戻っていった。
どうやら朝のHRや休み時間の会話から、周囲に誤解を与えていたようだ。

次の昼休みのことである。

「よっしゃーメシやー」

と騒ぐジャージ男や思い思いにグループを作るクラスメートを気にした風もなく、レイはいつも通りサプリメントだけの昼食を取ろうとしていた。

「綾波、待って」
「?」

いきなりシンジに声をかけられ、訝しんでいると、はい、と小さな箱を渡された。

「……何、これ?」
「『何』って、お弁当だよ。綾波、たぶんまた錠剤で済ませるだろうって思って」
「……何故? 十分必要な栄養は補給できるわ」
「それじゃだめだよ。ちゃんと食べないと吸収に悪いし、何よりおいしくないでしょ」
「それとも、迷惑だった?」

――フルフル――

シンジは不安そうに訊ねたが、レイは首を振り、了承の旨を伝えた。

「それじゃあ、一緒に食べようか」
「……ええ、かまわないわ」

シンジはレイの所へ机を繋げると、自分の弁当も取り出した。

「いただきます」
「……いただきます」

レイはシンジの真似をして手を合わせると、弁当のふたを開いた。
中には自分の嫌いな肉は入っておらず、いつ好みを教えたのか記憶にないため不思議に思った。

シンジの弁当箱を見ると、そちらには生姜焼きが入っており、自分のものが別にわざわざ作られたものだと分かる。
とりあえず一口食べてみようと思い、手前の卵焼きを一切れ口に運んだ。

――パクリ――

「どうかな、綾波?」

やや不安そうに、シンジはレイに訊ねた。

「……おいしい、今まで食べた中で一番かもしれない」

シンジはレイの返事に安堵したようだった。
自分も味見はしたとはいえ、口に合うかはまた別だ。
レイは次々と箸を進めていき、気が付くと完食していた。

「……碇君、おいしかったわ」
「どういたしまして」

シンジも食べ終わると、二人そろって「ごちそうさま」といい、弁当箱を片付けた。
そこでレイは、疑問に思ったことをシンジに訊いてみることにした。

「……碇君、お肉のことだけど」
「どうしたの」
「……私のお弁当には入ってなくて、碇君のお弁当には入っていたから」
「あ、うん、綾波は肉が嫌いだって言ってたから」
「……そうだけど、いつ教えたかしら」

(まずい)

実はシンジは、逆行してくる前の感覚のまま「綾波は肉が嫌いだったよな」というだけで肉を抜いたのだった。

「と、父さんが教えてくれたんだ」

苦し紛れにゲンドウの名前を出しておく。
実際に二人で食事に行ったりもしていたようだし、シンジは意外と悪くない判断だと思った。

「……たしかに司令なら知っているわね」

この件についての追求は止んだようだった。
しかし、一難去ってまた一難、シンジにはさらなる爆弾が投下された。

「……ところで、みんなが話していた『付き合う』ってどういう意味?」
「えっ!!」

(どう答えればいいんだろう、チャットのことだよね)

シンジは観念して、洗いざらい話すことにした。

「ここでいう『付き合う』っていうのは、彼氏と彼女の関係、つまり恋人同士であることを意味してるんだ」

(女の子を前にこの説明するとか、どんな羞恥プレイやらされてるんだろう)

「……それじゃあさっきは、私と碇君が恋人同士か訊いていたのね」
「そういうこと」

――キーンコーンカーンコーン――

「あ、次の授業が始まるみたいだね」

こうしてこの場はお開きとなった。
だが、レイはもう一つ思っていたことがあった。

("恋人同士"。碇君と私は、そう見えたのかしら)

そう思った瞬間、どうしてそう思ったのかもわからず困惑したのだが……。
この疑問を抱いた理由を彼女が自覚するのは、まだまだ先のことである。

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