再び巡る時の中で

                   「知っている天井」

                                         Written by史燕






迫りくる使徒、高速で振るわれる触手、A.T.フィールドを貫いたそれは、さらに自身の腹部を貫く。
噴き出る鮮血、嫌な臭い、自分の体が焦がされていく。
そこへさらにもう一本の触手が同じ腹部を貫いてきた。
シンジは激痛に耐えられず、思わず絶叫した。

「うわあああああっ」

シンジは気が付くと、その目に映ったのは使徒の姿ではなく真っ白な天井だった。

「知ってる天井だ」

そう呟くと、思わず笑いが込み上げてきた。

(この病室で目覚めるのは、前も含めると何回目なんだろう)

「知らない天井だ」自分が初めてこの光景を見て呟いた言葉だ。
自分はどうしてここにいるのか、久しぶりに見るが、何度も見慣れた天井を見つめていると、ふとそう言った思いが込み上げてくる。
何より起きる前に見た夢は、一歩でも間違えば現実のものとなっていたのだ。

(それでも、僕は)

おそらく、エヴァに乗り続けるだろう。
それはあの紅い世界を未来で起こさないためであり、それが戻ってきた自分の使命だからだ。

(とりあえず、エヴァシリーズを止めて、サードインパクトを起こさなければいいよね)

シンジには、今の所それくらいしか対策が思いつかないのだった。

「うっ」

腹部に激痛が走る。
見れば、使徒に貫かれた腹部と、触手に掴まれた左足首には、丁寧に包帯が巻いてある。
どうやら自分は思った以上に重症らしい。
そう、現状を認識し終えたときだった。

――ウィーーン――




一方発令所では、作戦部と技術部の幹部である葛城ミサト・赤木リツコ・日向マコト・伊吹マヤにより、第4使徒シャムシエル戦の分析が行われていた。

「やっぱりすごいわね、まるでA.T.フィールドを自由に扱えるみたいだわ」
「そうですね。何が出来て何ができないのか、これからの訓練で確認してみたいですね」
「やっぱりシンジ君は特別なんでしょうか」
「レイも同じようにできるのなら、かなり作戦の幅が広がるんだけどね」

作戦部の二人は、戦力という観点からシンジの動きについて話し始めた。

「ところが、そう簡単な話じゃないみたいなの」
「どういうことですか、赤木博士」
「マヤ、例のデータを出してくれる」
「はい」

マヤがコンソールを操作して、いくつかのデータを画面に映した。

「これは、通常の設定であの戦いの時に受けたであろう搭乗者へのフィードバックと、実際のシンジ君へのフィードバックを比較したものです」
「先に言っておくけど、あの戦いで技術部は何も設定をいじってないわ」
「これは、酷い差ですね」

そのデータからわかるのは、シンジが本来よりもかなり大きな負荷を受けているということだった。

「リツコ、どうしてこんなにシンジ君に負荷がかかるのかわかる? あとそれが軽減できないかも」

はあ、と重い溜息をついたあと、リツコは答えを口にした。

「どちらもまったくわからないわ。口惜しいことにね」
「そう」

ミサトはそれ以上追及することをあきらめた。
この親友がわからないということは、世界中の誰に訊いても分からないということを知っているからだ。

「ただ――」
「ただ?」

全員がリツコの次の発言を待った。

「ただ、多少のムラがあるとはいえ、80%代後半から100%前後という理論値ギリギリのシンクロ率とタイムラグなど存在しないと思える動き、これがこの過剰なフィードバックと関係していると推測できる、としか言えないわ」
「そう」

三人とも、この言葉以上のことは何も言えなかった。

「ところで先輩、先程の話で一つ気になることがあったんですが……」
「あら、何かしら」

ここで、マヤが話を変えようと別の質問をした。

「はい、『タイムラグなど存在しないと思える動き』って、どういうことですか? 計器には何も現れませんでしたが」

そういえばどういう意味だろう、と残る二人もリツコに視線を向けた。

「ああ、それは簡単なことよ」

どう説明したらわかりやすいかしら、とリツコは少し逡巡する。

「ミサト、あなたはドライブが趣味よね」

かなり荒っぽい運転だけど、と心の中で付け加える。

「ええ、それがどうかした?」

いきなり話を振られ、きょとん、とした表情でミサトは答えた。

「それじゃあ、すべて準備を整えて、いざ出発しようとアクセルを踏んだ時、発進までほんのわずかなタイムラグも存在しないかしら」
「たしかに、少しだけ時間がかかるわね」

それに何か問題があるのか、とミサトは意図を掴めないようだ。

「つまりエヴァも車と同じなのよ」
「例えば『歩け』と思って歩く搭乗者がイメージをしても、実際に動き始めるにはコアを通して命令しなければならないわ」
「なるほど。しかし、シンジ君には本来存在するはずの、エヴァに命令してからエヴァが命令を行動に移すまでの誤差が見当たらない、というわけですね」

どうやら日向も得心が言ったようだった。

「残念ながら、もしシンクロ率が100%をこえたとしても必ずこのラグは存在するはず、でもシンジ君は使徒の動きを見てほぼ誤差なく回避に移っているわね」
「これがシンジ君の不思議の一つ、というわけね」

これは、シンジが直接初号機とシンクロしているから起こる現象なのだが、この場にいる誰もがその理由を知ることは無かった。



――ウィーーン――

シンジの病室へ、誰か来客したようだ。

「レイに案内してもらった、体調はどうだ?」

シンジは驚いていた。
なぜならゲンドウが自分の見舞いにいたからだ。
そっとその後ろからレイが近づいてきて、ベッドの周りを片付け始めた。

「なんだ、そんなにレイと一緒にいるのがおかしいか」

実はゲンドウはNERVからレイと共に来たのだが、スタッフから「まるで美女と野獣」「援交と間違われそう」など、散々陰口をたたかれたのだ。

「いや、別にそんなことは無いけど」

むしろゲンドウとレイの組み合わせは前回を知るシンジにとっては見慣れたものだ。
こちらではゲンドウがシンジと共に食事するため滅多にないが、前回はよくゲンドウはレイを連れて食事に行っていたのだ。
スタッフのうち、驚いていたのはミサトなど比較的新しくNERVにやってきたメンバーだ。
冬月等シンジが来る前のゲンドウを知っているものは「ああ、久しぶりだな」とぐらいにしか思っていない。
もっとも、現在はダミーシステムの研究も凍結しているため、本当にただ単にその機会がなかっただけなのだが。

「それで、父さんはどうしてここに?」

とりあえず話題を変えようと、シンジは思い浮かんだことを口にした。
片付けを終えたレイが、二人分の椅子を用意したので、ゲンドウも腰を下ろした。

「父親が息子の見舞いに来て何が悪い。お前は三日も眠っていたんだぞ」
「三日も、か」

シンジはそんなことよりもゲンドウが「司令として」ではなく「父親として」と言ってくれたことが、素直にうれしかった。
最近は二人で話すようにはなったとはいえ、自分の一方通行な感状ではないかと不安に思っていたのだ。

「レイにも礼は言っておけ。俺は如何せん忙しく、お前についてやることはできなかったからな」

言外に、「この三日間レイが世話してくれた」と教えたのだ。

「そうだったんだ、ありがとう、父さん、綾波」

シンジは素直に礼を言った。
ゲンドウは照れているのだろう、そっと目線を下に向けた。
これに対してレイは、ややはにかんだようにうつむいていた。

(こうしてみると、綾波も表情豊かになってきたなあ)

以前の無表情な彼女とは見違えるようである。
もっとも、そんな表情を見せるのが、ある一人の少年の前だけだとはだれも知らない。

(ほう、レイはシンジに気があるのか)

前言撤回、たった今、一人だけそれを知るものが現れたようだ。

「シンジ、傷の具合はどうだ」
「まだ少し痛むかな」
「そうか、無理はするなよ」

ゲンドウはそれだけ確認すると、チラリと時計を見やり、腰を上げた。

「シンジ、すまんがそろそろ会議の時間だ」
「レイ、後は頼んだぞ」
「はい」

(いずれ、レイもうちへ呼べるようにしよう)

父親の画策を、シンジは未だ察知せずにいた。

少し経って、一人で本部へと帰ってきたゲンドウを見て、冬月が訊ねた。

「碇、レイはどうしたんだ」
「ふっ、冬月。俺は最近孫の顔が見たくなってきてな」

冬月は、要領を得ないゲンドウの返事に、「全くいきなり何を言っているんだ」と呆れながらも、ゼーレの面々との会議に向かうゲンドウについて行くのだった。



さて、病室に残されたシンジはというと、主治医の診察が終わり、夕食の時間となった。
メニューは普通の和食である。
現在病室では、以下のような攻防が繰り広げられていた。

「……碇君、口を開けて」
「自分で食べられるからいいよ、綾波」
「……ダメ、碇君は怪我をしていて一人では食事ができないはず」
「いやいや、両手は無傷だからね、僕」

ご覧のとおり、看病として自分が食事をさせたいレイと、自分で夕食を食べたいシンジである。
結局のところ、この攻防は大人しくシンジが折れることで決着がついた。

夕食後、シンジはレイに訊ねた。

「綾波、どうしてここまでしてくれるの?」

自分で訊ねておきながら、(まあ、「命令だから」とか言うんだろうな)とも予測していた。

「……碇司令の命令だからよ」

ほらね、と予想通りの答えに安堵しつつも、シンジはチリリと胸の奥に痛みを感じた。
そして、

(当たり前のことなのに、勝手に期待して、落ち込んで、何をやっているんだろう)

と自嘲していた。

「……でも」

綾波の言葉にはまだ続きがあるようだった。

「でも、命令されて、うれしかったわ。碇君のところに公然と行けるから」
「……それに――」
「それに?」
「それに、たぶん、命令が無くても、私は同じことをしたと思うの」

「そう、なんだ」

シンジはとてもうれしかった。
こんな自分を、レイが大切な仲間だと思ってくれていることがわかったから。

レイがシンジに向けるのがただ単に大切な仲間だからなのか、それ以上に特別な感情からなのかを知るものはいない。




次へ

前へ

書斎に戻る

トップページに戻る