ふたりで、寄り添って

                     「加持さんと葛城さん」

                                         Written by史燕




 翌朝、僕は綾波を連れて早々に自宅へと向かった。
綾波の分の切符も、幸い自由席なら開いていたこともあって、二人並んで車窓の景色を眺めながら帰ることができた。
本来であれば警察に届けるべきなのかもしれないと思ったが、何もわからないという彼女が、唯一警察官やパトカーの姿を認めるとギュッと僕の服を掴みながら背中に隠れるのを見ていると、とてもそうしようと思えなかった。
それに、どうにも、この子を警察に突き出したからといって、事態が好転するとは思えなかった。
少なくとも、彼女にとっては喜ばしくないことであることはたしかなようだ。
どこかおびえた様子のその姿から、この問題は自分自身の力の手に負えないかもしれないけど、できる限りは彼女の嫌がらない方向で話を進めていきたいと思ったのだ。

帰宅してすぐに思い至ったことは、彼女の分の衣服、布団、食器といった日用品が足りないということだ。
八畳一間の和室にお風呂とトイレ、台所があるだけの僕のアパートには、何もかもが足りなかった。
今更引っ越すのは難しいし、もう一部屋借りるのは現実的ではない。
そもそも彼女を同居させるには何が必要なのか、それすらも満足に思い浮かばない。

途方に暮れた僕は、いざというときにあてになる、自分の兄貴分に連絡を入れることにした。

「よっ、シンジ君。入学式の日以来だね」
「加持さん、ありがとうございます」
「シンちゃん、あたしもいるわよ」
「葛城さんも、ありがとうございます」
「もうっ、ミサトでいいっていつも言ってるのに」
「あははははは」
「葛城、そのくらいにしてやれよ」
「もう、加持ったら、少しぐらいいいでしょう?」
「あのなあ、シンジ君が困ってるじゃないか」

いつもの調子で、僕に話しかける二人。
この二人は、元々は父さんの仕事の関係者で、古くから付き合いがある僕にとっての兄貴分・姉貴分に当たる人たちだ。
あまりいい思い出のない中学時代までの僕にとって、年に数回、おばさんたちに黙ってこの二人に会う時間は、いつも特別なものだった。
僕が上京を決意したのも、この二人の後押しがあったからだ。

「それが、シンジ君のやりたいことなら、俺たちは反対しないよ」
「シンちゃん、心配しないで。こういう“お話”は、私たち大人の領分よ」

そう言って、主に金銭的な関係から渋る叔父叔母夫婦を説得し、さらに僕が一人暮らしできるだけの準備を手伝ってくれた。
いつもは誰かに頼りたくない、甘えっぱなしはよくないと思うんだけど、この人たちには、ついつい甘えてしまう。

ただ一点不満があるとすれば、もうお互いにいい歳で、好きあっているのは僕にもわかるのに、未だに結婚のそぶりも見せないことくらいか。
いや、加持さんも葛城さんもその気はあるみたいだけど、なぜかそういった話になるとまるで進展しようとしないんだよね。
僕が頑なに葛城さんを「ミサトさん」と呼ばないのも、実は加持さんがいまだに名字で呼んでいるからこそ、そのあたりの兼ね合いが好ましくないないからであって……。
そんな二人に、今回はいつもより更にご迷惑をおかけすることになるんだけど、やはり僕の力には限界があることを痛感した。

「ふむ、行方がわからないのはともかく、これまでのことが自分でもわからない、と」
「ちょっと加持。レイちゃんって制服以外に服をもっていないっていうのが問題でしょ」
「いやまあ、それも問題なんだが」
「シンちゃん、行くわよ」
「葛城さん、行くってどこへ?」
「買い物よ、か・い・も・の」
「あー、じゃあ俺は車回してくるから」
「えっ、加持さん」
「シンジ君、こうなったら、男は黙って仰せに従うのが一番なんだよ」
「さーて、レイちゃんはどんな服が好き? どのブランドがいい?」
「……わからない」
「じゃっ、全部試してみましょう」

包み隠さず、二人に事情を話したところ、あれよあれよという間に、綾波の衣服その他(葛城さんは特に服装が我慢ならないらしい)を購入するために出かけることが決まった。
必要だということはわかっていたけど、僕はおろか綾波本人までそっちのけで葛城さんが盛り上がっている。
加持さんは、仕方ないな、という風にやや諦めた、どこかすっきりした面持ちで、出発の準備を始めた。

あっという間に車に乗り込み、後部座席ではずっとミサトさんは綾波に話しかけて反応を楽しんでいる。
不愛想というか無表情というか、あまり反応が大きくない綾波だけど、葛城さんの質問に応答だけはしているようで
「好きな色は?」「……特には」「嫌いな食べ物は?」「……お肉」
「じゃじゃあ、ラーメンは?」「……ニンニクラーメン、チャーシュー抜き」
「ああ、もう、可愛いんだから」 と、先ほどから会話が途切れることはない。

女の子は女の子同士で話が進んでいるので、助手席の僕は、運転手の加持さんに話を向ける。

「でも、いいんですか? いきなりお呼びしたのに」
「いいさいいさ、葛城が楽しそうだし」
「それに、シンジ君は、もっとわがままになっていいんじゃないかな」

加持さんはそう言いながら、車のアクセルを踏みしめた。

僕はそんな様子に、ただ一言「ありがとうございます」と答えることしかできなかった。

30分少々でたどり着いたのは、たくさんの店舗が入った百貨店だ。
それぞれに特化した専門店をめぐるより、僕たちにはこちらの方が身の丈に合っているだろうという判断からだ。

到着してすぐに、葛城さんは綾波を拉致して、もとい引っ張って店の奥へと突き進んでいった。

「こんなったら、俺たちは蚊帳の外だよ、シンジ君」

缶コーヒーを口にしながら、ベンチで二人を待つ僕らは、いったいどういう風に見えたんだろうか。

加持さんに至っては、「シンジ君には悪いが、長丁場のお供はこいつがいないと寂しくてね」と言って、タバコに火を点ける。
加持さんと時間をつぶすときにはいつもの事なので、最初から二人そろって喫煙スペースに陣取っているので、いいも悪いもないのだけれど。

それから、加持さんのたばこの本数が4本目を数えたところで、加持さんの携帯に着信が入った。

「どうやらお呼び出しのようだ」

そう言って肩をすくめた加持さんは、葛城さんに現在いるフロアを聞き出し、僕たちは揃って立ち上がった。

僕たちが二人を迎えに行くと、待ち構えていたのはうずたかく積まれていた段ボールの山だった。
パッと見ただけでも、20を超える個店の名前が読み取れた。

「おいおい、ある程度予想していたとはいえ、こりゃまたどうして」
「安心しなさい。今すぐ必要な最低限度のもの以外は全部宅配で送ってもらうことにしたから」

絶句する加持さんに、葛城さんはきちんと対処したのだと説明する。
加持さんにしてみれば、そこは問題じゃない、と葛城さんに反論したいところなのだが、とてもそんな気力は浮かばないようだった。

一方の僕自身はというと、これはまた別の理由で言葉を失っていた。
オレンジのシャツのうえにピンク色のカーディガンを羽織り、グリーンのロングスカートはくるぶしまで隠しながら野暮ったい印象を抱かせない。
足元はシックな茶色のパンプスで、不慣れな彼女を思ってかかとは低めの物が選んであった。
そして何より目を引くのは、うっすらと塗られたファンデーションによって際立たされた白い肌と、綺麗な赤色の口紅で彩られた唇は、みずみずしく光って見えた。


「……碇君、どうしたの?」

コクリ、と首をかしげながら、こちらに不思議そうな視線を送る彼女は、言いようのないほどかわいらしくて……。

「きれいだ」

思わずそう、漏らしてしまった。
言ってしまってから、なんて恥ずかしく気持ち悪いことを口にしてしまったんだろうと思うが、時計の針を巻き戻すことはできない。
彼女の方は気にした風ではないのが幸いだ。

しかしながら、隣で葛城さんが口元を抑えながら「グフッ、フフッ」と笑いをこらえきれない様子を隠しきれていない時点でお察しだ。

「さて、それじゃあその『今すぐ必要な最低限度のもの』とやらを運んでしまおうじゃないか」

加持さんが「まさに今、目的を思い出した」という風に空気を変え、助け舟を出してくれた。
ありがとう加持さん。

結局、配達は明日になるということで、着替えも含めた衣類一式と布団、洗面用具などを車に積み込み、僕らは店を後にした。

部屋について荷ほどきを終えると、もう18:00を過ぎようとしていた。

「シンちゃん、晩御飯はどうするの?」
「せっかくですし、二人も食べていってくれませんか」
「それはいい。シンジ君の料理は葛城と違って絶品だからな」
「加持、それ、どういう意味」
「いや、言葉の綾だよ、言葉の綾」
「葛城さん、文句を言うのは筋違いだと思いますよ。僕、知ってるんですよ、今でも毎日加持さんに弁当を作ってもらってるの」
「うっ、それは、その……」
「だけどシンジ君。四人分の材料なんて、あるのか」
「そこが問題なんですよね」

冷蔵庫の中を見てみると、昨日まで留守にしていたこともあり、案の定中身は空っぽに近かった。

「それじゃ、また俺が車を出そう」
「それじゃあ、アタシはレイちゃんと一緒にシンちゃんのお部屋をチェーック」
「チェックも何も、たった一部屋しかないのに何を確認するんですか」
「うーん、お決まりはベッドの下なんだけど、シンちゃんたら完全な布団派だし」
「ほんとに、何を探したいんですか」

この人は一体どうしてくれよう。

「まあまあ、葛城は、レイちゃんに服の選び方や化粧の仕方を、もっとじっくり教えてあげたらどうだ」
「そうですね。僕たちにはそのあたりまったく役に立たないので」

加持さんの助け舟に、ここぞとばかりに乗っかる。
今日は助けられてばっかりだ。

「それじゃ、ガールズトークとしゃれこみますか」
「……がーるずとおく?」

それまで黙って趨勢を見守っていた綾波が、とうとう何のことかわからないという風に聞き直した。

「あのね、レイちゃん。女の子同士でいっぱいおしゃべりしましょってこと」
「……女の子」
「でも、葛城はビールなんだろ」
「うっさいわね。女の子はいつまで経っても女の子なの」

変な空気になりそうなところを、加持さんが茶化して誤魔化す。
葛城さんもすべて承知の上で、僕たちが出ていきやすいよう、わざと荒っぽい言葉を投げかける。

「それじゃ、行ってきまーす」

僕と加持さんは、少し離れたスーパーまで足を運ぶことにした。

「それで、一体何を買うんだ」
「うーん、そうですね……」

僕は野菜コーナーを眺めながら、四人分の食事をどうやって作ったものか、真剣に頭を悩ませた。

「……決まりました」
「おっ、早いね」
「白菜、マイタケ、シメジ、それから昆布とお豆腐を買います」
「なるほど、鍋か。たしかにいい季節になってきたな」
「ええ、実は、ちょっと大きめの土鍋があるんですよ」
「カセットコンロまで完備してるのかい?」
「ええ、最近、僕の部屋でどうしても観賞会を開くって言ってきかなかった友人がいて」

ミリタリー趣味に付き合わせられて丸一日ムダにした時は恨んだけど、その時の準備品がまた日の目を見ることになるとは。
今回だけは感謝しておくよ、ケンスケ。

「メインは、肉と魚のどっちにするんだい?」
「綾波が、肉は嫌いだって言ってましたから、魚の切り身を探しましょう」
「そういうことなら、割と淡白なタイやヒラメの方がいいかな」

普段から料理をよくする二人だけあって、類稀なる主夫力を発揮する僕と加持さん。
あれよあれよという間に、必要な物は揃ってしまった。

「いやあ、つまみコーナーを覗かなくていいのは楽でいい」
「葛城さん、相変わらずですね」
「ま、それがアイツのいいとこでもあるさ」

なんだかんだで、加持さんはやっぱり大切にしてるんだなあと、この瞬間も理解できた。

帰りの車内で、たわいのない雑談を繰り返した後、不意に、真剣な声で加持さんは言った。

「シンジ君。俺の方の伝手でレイちゃんのことを探ってみるけど、たぶん望みは薄い。これは完全な勘なんだが、なかなか厄介そうだ」
「シンジ君、君はレイちゃんとどうしていきたい?」

突然のことで、今まであまり考えないようにしていたことを、突き付けられた。
綾波とどうしていきたい、か。

「……加持さん」

しばらく考えた後、僕は意を決して加持さんの問いに答えた。

「とても変な話なんですけど、僕は綾波と一緒に居ると、どこか懐かしい感じがするんです」
「落ち着くというか、かけたものが埋まったような気がするというか」
「これからどうしていくのかは、綾波自身の希望もあると思います」
「もしかしたら、加持さんの言う通り面倒なこともあるかもしれない」
「それでも、僕が、これからも一緒にいたいという、この気持ちは紛れもない本当の事ですから」

そこまで言って、自分でも何を言ってるんだろうと思った。
成り行きで一緒に住むことになったけど、そもそも僕は彼女と出会って数日しかない。
それなのに、これからもずっと一緒にいたいだなんて。
それでも、不思議と口にした言葉を撤回する気には、全くならなかった。

「参ったな」

加持さんは、運転中でなければ両手を挙げて白旗でも振り出しそうな声で言った。

「15歳の君が、そこまでの覚悟を持っているなんて、俺も葛城も思っちゃいなかった」
「単なる成り行きと一過性のままごとみたいなもので、『そのうちどこか良さそうな施設を紹介しなきゃいけないか』なんて、勝手に考えてもいたんだ」
「ただ、シンジ君がそこまで言うなら、ここからは男同士の約束だ」
「はい!!」

僕は加持さんの声に、同じように真剣な声で応えた。

「必ず幸せになるんだ」
「レイちゃんを、幸せにするだけじゃない。君も一緒に幸せになるんだ」
「……わかりました」

僕が応じると、ふっと笑って、それまでの真剣な面持ちを捨てて、優しく、まさしく年の離れた弟に諭すような口調で、やや自嘲気味に加持さんは僕に言った。
「もう、8年も葛城を待たせている俺が言えたことじゃないんだけどな」
「でも、シンジ君とレイちゃんなら、不思議とうまくいく気もするな」
「俺も、シンジ君みたいに、きちんと覚悟を持たないとな」

そこからの車内は、終始無言だったが、男同士の間では確かに共有された思いがあった。

自宅に帰り、昆布でだしを取りながら、一口大に具材を切りそろえていく。
加持さんは、部屋の中央のテーブルにカセットコンロを用意しながら、葛城さんの手伝いという名の乱入を防ぐために、少し早めにえびちゅを差し出し、葛城さん相手をしてくれていた。

「もう、レイちゃんってばこーんなにかわいいのよ」
「はいはい、さあ、葛城。グラスが開いてるぞ」
「あら、悪いわねん」

失敬。すでに相当出来上がっているようだった。

鍋自体は、きちんと準備さえできれば、後は待つだけの状態となる。
ぐつぐつと煮立ちはじめた土鍋を前に、四人そろってかたずをのんで見守る。

「そろそろよさそうですね」

僕の合図を聞くと、「待ってました」とばかりに葛城さんが具材を手にする。

「はい、今度はレイちゃんね」

綾波は、まるで鍋料理自体を始めて目にしたかのように、渡されたおたまをどうしていいかわからない様子だ。

「葛城さんみたいに、お皿に鍋の中身を移してから食べるんだよ」

そう言う僕の隣では、葛城さんがもう何杯目かわからないえびちゅと一緒に、鍋の中身をほおばっていた。

「こら、葛城。レイちゃんが真似するだろ」
「へへーんだ。これが大人の楽しみ方。ああ、人の視線やあとの空気を気にせずに飲めるってサイコーね」
「残念ながら、おかげで俺はいつもハンドルキーパーだがな」
「こんな美人を捕まえて、何を言ってるのかしら」
「はいはい、有難き幸せですよ。お姫様」

いつもの掛け合いなんだけど、どうしてこの二人はこんなにしっくりくるのか。

「ふぅふぅ」と、湯気を立てる具材を冷ましながら、僕も一口ほおばる。
みんなで鍋を食べるときって、一人で食べるときとはまた違ったおいしさがあるのは、なんでだろうね。

最終的に、シメとなるうどんまで食べ終えて、二人は帰っていった。
いざ、玄関から出ようという段になって、僕は葛城さんから手招きを受けた。
そっと、二人にしか聞こえないくらい小さな声で僕にささやく。

「うれしかったわ。頼ってくれて」

その声色は、いつもよりもまた一段と優しかった。


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