ふたりで、寄り添って

                     「冬月先生」

                                         Written by史燕





葛城さんたちが帰った翌日、僕は綾波と同居するにあたって、必ず許可を取らなければならない人物のもとを訪れていた。


コン、コン、コン
規則正しく3回、僕は扉をノックする。

――どうぞ、入りなさい。

部屋の主から返事があった。
いつも僕は、ここを訪れるときに緊張をする。

明城学院大学生物学部。
僕たちが訪れたのはその中の一室だ。

「お久しぶりです。冬月先生」

この部屋の主の名を冬月コウゾウ教授という。
父さんと母さんの恩師に当たる人物であり、東京で一人暮らしをする後見人となって、反対する叔父叔母を最後に黙らせる一役を担った人物だ。
そのことに関しては、この上なく感謝している、大恩のある人物なんだけど……。

「やあ、シンジ君か。また、一段と大人びて、ユイ君に似てきたね。しかし、目元などは、碇のやつにずいぶんと思い出させるが」

事あるごとに、僕を通じて父さんと母さんの面影を思い起こすのは、正直に言ってやめてほしい。

「なに、遠慮することはない。二人の写真なら、いつでも見に来ていいんだよ」

とはいえ、叔父叔母が処分してしまった父さんたちの写真を、小さいころからよく見せてくれた人物であり、「まるで孫のようだ」と、若いころに奥さんを亡くして以降生涯独身の道を選んだ学者先生としては、なんともありがたいことをおっしゃってくれるのだ。

僕の、感謝と困惑、という相反する気持ちをいつも想起させる人物だけに、滅多なことでは近寄らないようにしていたんだけど。

「それに、家賃なら、気にしなくていいんだ。どうせ放っておいても荒れるだけなんだから」

何を隠そう、我が家の大家さんでもあるのだ。

元々は、大学の学生向けに安くアパートを貸していたそうだ。 そこにたまたま僕が上京するタイミングで空室が発生したので、特別にタダで入居させてくれているのだ。

「ところで、そちらのかわいらしいお嬢さんは、紹介してくれないのかな」

そう、普段とは違う本題があるだけに、今日はわざわざここまで足を運んだのだ。

「……綾波、レイです」

ペコリ、と綾波が頭を下げた。

「うんうん、礼儀正しい。好感の持てる子じゃないか」
「さて、制服はこっちのものじゃなさそうだが、どこで捕まえてきたんだい?」

御歳60を数えながら、あいさつもそこそこにすぐさま知らないことを知りたがる。
好奇心旺盛なのは学者の性か。
ほんと、いきなり痛いところを突いてくれるよ。
実際、連れてきたのはいいが、どう説明するかはノープランだ。
どう答えようかと考えあぐねていると。

「……あの、実は私、孤児なんです」
「そして、義務教育を終えて孤児院を出たのは良かったのですが、セクハラを嫌ったところ、会社と寮を追い出されてしまいました」
「そして、これからどうしようかと途方に暮れていたところを、碇君が助けてくれて……」

「それは、デリケートな部分に立ち入ってしまったようだね。申し訳ない」

後になって聞いたところによると、葛城さんと二人でカバーストーリーをでっちあげていたらしい。


「だが、その話をシンジ君も驚いて聞いているのはいただけないな」

「せめて合わせる嘘は共有しておかないと、私みたいな年寄りには一発でわかるぞ」と、冬月先生はからかうように言った。
「おそらく聞かれたくない話なのだろう。そこに立ち入るのも無粋か」

冬月先生は、想像以上に柔軟に対応してくれるようだ。
ここで僕は、思い切って洗いざらい白状することにした。

「ふうむ、あの遺跡からこの娘がねえ」 「にわかには信じられないが、さりとて、今度は君たちが嘘をついている様子はまるで見えない」
そう、事実は事実だ。どんなに奇異に思われようと、ここはもう居直ってしまおう。
僕たちの事情を聞くと、なお一層冬月先生の眉間のしわが深まり、すっかり考え込んでしまった。

「いずれにせよ肝心な部分は、だ。シンジ君は借主として、大家である私に、故あって彼女を引き取って一緒に住むことになった件について了承を得たい、と。今日の話はそう言うことでいいのだね?」

口調は疑問形だが、本人の中では確定事項となっている。

他にもファクターがないわけではないが、要件はさして変わらないので、ここは黙ってうなずいておく。

「ううむ、教育者として言わせてもらえば、一つ屋根の下に年頃の男女が住むというのは、いかがなものかと言わざるを得ないが……」

そう言って、冬月先生はうーんう−んと首をひねりながら黙り込んでしまった。
当人の中でも、この問題を咀嚼して、判断を決めかねているのだと思う。

「……とはいえ、事情が事情であるし、な」

どうやら結論が出たようだ。

「そのような状況下で、女の子を一人路端に放り出す方が人としてどうかと思う」
「残念ながら、もうアパートは満室だ。彼女のためにもう一部屋という訳にはいかない」
「つまるところは、だが」

今度は厳しい視線で、僕の瞳をまっすぐに見つめながら、冬月先生は言った。

「なにがあっても、シンジ君が責任を持つ。そういうことにしよう」
「何より、この件については先生と生徒ではなく貸主と借主だ」
「何かあったとしても、きちんと責任を取ってもらうならば、本来であればあまり推奨しないことだがいいだろう」

そう言うと、それまでの厳しい視線から打って変わって、相好を崩しながら言った。

「さすがに、子供は早いと思うが、彼女も同居に乗り気とは、まんざらではなさそうじゃないか」
「……な、なにを言うのよ」

綾波、口調口調。敬語が崩れてる。
それに冬月先生も、冗談を言うにしても言葉を選んでいただきたい。

「いやあ、碇とユイ君に自慢できる話ができた」

そう言うと、この上もなく可笑しいという風に、それまで見たことのないような、部屋中に響き渡るような大声で笑い転げ始めた。

「もし何か困ったことがあったら、何でも言いなさい」
「レイ君も、シンジ君の事でも、それ以外の事でも、何かあったらいつでも言いなさい」
「君は、もう、私の身内のようなものなのだから」

もしかして僕は、これまで冬月先生のことを誤解していたのかもしれない。

「実は、昔から娘というものに憧れがあってね」

なんて言い出すのを見ると、これまで隔意を持っていたのが、なんてばからしいことか。

今までで一番、冬月先生を身近に感じることができた。
そう思わせるような一日だった。


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