朝駆けの瓢風

                 Written by史燕



少年が図書館を訪れた翌朝、俺は課長に呼び出されていた。
今はまだ夜明け。少年が動き出す前に、ということだ。
いかにも真面目に遊ばず一生懸命勤めてきましたといった人物で、毒にも薬にもならない、少々腰が重めの人物だ。
俺と一緒に減俸を食らわせてしまった負い目もあるが、そこに文句は言わずに好きにさせてくれるだけ、上司としてはマシな部類に入るだろう。
そんな人物からの急な呼び出し、ということは、もっと上からの影響なのは間違いない。

「突然呼び出して済まないね」
「いえ、構いません」

急な呼び出しをするくらいだからさぞや憔悴しているかと思いきや、思いのほか課長は落ち着いていた。

「実は、休暇の取り方についてなんだが」
「はあ、何か問題でも?」

話題は、わざわざ今話す必要があるのかというような、どうでもいいことだった。

「ああ、別に休みを取るな、なんて話じゃない。むしろ逆だ。私用だろうがリフレッシュだろうがどんどん取ってくれたまえ」
「時間給ではなく最低でも半日(4時間)単位で取ってほしいんだ」
「超過勤務縮減命令だよ。働き方改革というやつさ」
「君たち、最近ようやく有給を使ってくれるようになっただろう? だから目に付いてしまったのさ」
「それは、全員有休を取る代わりに追加人員の派遣はあるのですか?」
「残念ながら、それはないね」

くそったれ、心の中で上に文句を言う。
人は増やさず休暇を増やせというのは、要するに一人あたりの仕事量が増えるということだ。
とはいえ、目の前の温厚な課長に文句を垂れてもしょうがない。

「では、現在は2人一組で8時間の3交代で回していますが、1人になるケースも許容していただけると?」
「やむを得ないだろうな。結果、時間外の追加報酬が削減できるのであれば」

ここまで話をして、実はこれは奇貨とすべきではないかと思えてきた。
課長もその方向を是認しているように見える。

「であれば、護衛対象の少年少女の部屋に泊まり込み、というのは難しくなるのですが?」
「致し方あるまいな」
「料理や洗濯などの世話は?」
「5歳児でもあるまいし、自分でやってもらうほかあるまい。警戒の目を緩めるわけにはいかんからな」

課長、やっぱりわかってやがるな。
そう勘づいて顔を上げれば、目の前の上司もにやりと悪い顔をしていた。

「今の課長、結構好きですよ」
「奇遇だな。私も、以前より君のことが好きになったよ」

互いに握りこぶしを同時に突き出し、コツリ、と軽くぶつける。

要するに、コストカットなど、偉いさんに向けたただの方便だ。
張り付く人員を、理由をつけて減らすことで、少年への監視の目は相当に減るし、俺たちの負担もなくなる。
いや、一人あたりの負担が増えないこともないが、俺たちは護衛だ。それも、明確な仮想敵を持たない護衛だ、監視じゃない。ならば、少しくらい負担が増えても、その程度被ってやろうじゃないか。
何より、彼らに自由が齎される。
年頃の少年少女が本来持ち得るべきだった自由だ。
俺たち大人の身勝手で奪われていた自由だ。

「金銭面は?」
「彼ら自身に必要物は購入してもらうことになる。公費だから、豪遊は出来まいがね」
「多少の外食はあるでしょうけど、どこぞの賭け狂いよりは出費は少ないはずですよ」
「それはその通りだろうな。近頃は夜の蝶にマンションをプレゼントされるほどご執心の方もいらっしゃる」

お互いに知っていて明言できない醜聞をネタに冗談を交わす。
あの妖怪どもに比べたら、少年がどれほど豪遊してもかわいいものだろう。
あの少年がそんなことをするはずもないが。

「休暇申請は、電子決裁でも?」
「ああ、忙しい身でな。月末にまとめて承認しよう」

実質、規定時間さえこなせば俺たちの現場サイドの裁量でいじれる、と。
昼間は有給を増やすことになるから、明日から部下たちも寝ずの番が増えそうだな。
子供が寝ているときに起きているのが大人の仕事だ。諦めてくれるだろう。

「課長、今度一緒に飲みましょうよ」
「ああ、いい店を知っているよ」

手を振って送り出す課長の表情は、晴れ晴れとしていた。

少年の元へ向かい、今からさあ出かけますといった風体の少年と玄関先で落ち合う。

「出かけるんだな?」
「はい、そうですけど」

急にやってきた俺に面食らっている少年を傍らに、「お前たちは外していいぞ」と早速現場権限で休養許可をした部下を外して、図書館へと向かう。

朝の野暮用で少し遅くなってしまったが、時間は8時。
図書館に行くにはちょうどいい按配だ。

「今日は、護衛はあなただけなんですね」
「たまには、君も楽をしないか?」

そう言って、彼に見せるのは車のキー。

「いいんですか?」
「残念ながら公費は出ないから私物だがね。乗り心地は保証しよう」

愛車にエンジンを掛けて、いざ目的地へ。

「ちょっと駐車場が混んでそうだから、先に下りててくれ」
「あれ、いいんですか」
「館内は禁煙だろう? 少し吸わせてくれ」

そう言いながら紙煙草を見せると、それなり以上に説得力があったのか「わかりました」と素直に下りてくれた。
少年は気づいていないみたいだが、今日は平日。
平日の図書館が混んでいるはずがないのだが、そのあたりはまだまだ子供か。
いいさ、ゆっくり大人になってくれ。
おじさんは遠くで一服させてもらうから。


陽光が差す空の下で、瓢風が舞った。


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