日陰者の運用術

                 Written by史燕



その男は、もう1年近く、その少年の傍に控えていた。
監視役を兼ねた護衛、くだらないことだと思う。
たかが14・5の少年を、大の大人が寄ってたかって。
それもそんじょそこらの大人じゃない。
政財界の富と権力を握る、日本だけではなく世界中の大人たちが、躍起になって子供たちを責め立てているのだ。
首輪をつけていない猛獣と同衾する趣味はない?
馬鹿も休み休み言え。
鳳雛を籠に閉じ込めるような趣味なぞ、こちらこそ願い下げだ。
そんな不自由を彼らに強いていて、さらには勤め先を選べない宮仕えの身とはいえ、その片棒を担いでいることに忸怩たる想いがある。
いっそ自分も含め、咎人は揃って食い殺されてもいいのだ。
とはいえ、同じく嫌々ながら働き、彼のためになんとか便宜を図れないか探る部下たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。
自分だけなら、議事堂だろうが内閣官房だろうが身ひとつで飛び込んでひと暴れしてやってもいいのだが。
世界を滅ぼしかけた罪人だろうが、救世主のなり損ないだろうか知ったことか。
しかしながら、過度な接触はそれだけで内通を疑われる嫌な職場。
黙って木偶の坊を演じるのが常だ。
悪いな少年、これも君のためなんだ。

監査に引っかからない会話は、俺も含め、積極的に振っていく。
この牢獄の中で、せめて彼が少しでも羽根を広げられるように。

「なにが食べたい?」
「まずいカレーを」

さすがに不味いのは作れないが、せめて店売りじゃないものをと必死に鍋をかき混ぜる。

「辛口? 甘口?」
「甘口を」
「飲み物は?」
「べつに、なんでも」

こんな感じだ。
向こうももう諦めたのか、最初は出身地や住まいなどの話を振ってきて、「長崎」「二つ隣のアパート」なんて答えていたものだが、
もううんともすんとも言わなくなった。
彼にはつらい、世間が冷たい。
俺たちだけでもとも思うが、それで飛ばされてさらに厄介な連中が踏み込む方がよほど嫌だ。
なぜ世界はこうもこの子たちに冷たいのか。
必死に戦って、利用され、挙げ句の果てがこの始末。

「やってらんねえ」

いつしか煙草を喫みながらの俺たちの合い言葉になっていた。

「子供に悪影響があるから」

そう言って、わざと全員廊下に出て扉を閉めるのは、せめて彼が一人で落ち着ける時間を作るため。

「風呂に行ってくる」

そう言って出て行った背に聞こえる、罵詈雑言も承知の上だ。
いくらでも罵ればいい。
明確な敵意さえ持てなくなれば、人間はとうとう廃人になる。
料理も掃除も、自分でやりたそうにしているのを見ると、「真面目ないい子だ」そう思わずにはいられない。
そんな子がたかが包丁一つ、はさみ一つ持ったところでなにができる? なにもできまい。
その旨を書いた報告書を1月目に提出したら、減俸3ヶ月を食らった。

「まったく、やってられないぜ」

そんな俺たち日陰者。
他人のプライベートに土足で踏み入る、狒々爺どもの使いっぱしり。
日を見ることはないけれど、せめてこの子には、魑魅魍魎に勝手に恐怖されるただのかわいい男の子には、お天道様の下を歩かせてやりたいじゃないか。
同年代との接触を禁じる? 遊びたい盛りの年頃の子に?

「脳みそに蛆でも詰まってやがる」

そう零した部下には、缶ビールを1パック奢っておいた。

変化のない、ただ繰り返されていく日々。
単調な日常に、転機が訪れたのは、くだんの少年がいつもと異なる道を選んだから。

「おっ」と一同色めき立ったが、制止するような馬鹿はいない。
いきたいところにいけばいい。
規約上であれば許されないが、そんなことなんざ知ったことか。
これは、本来は彼が元から手にしていた権利。
鳳が自由に空を羽ばたくことに、何の制約などあろうか。

行き着いた先は少々大きめの図書館。
なにも問題は無い。
彼のような世代の子が好むような場所には思えなかったが、丸一日漫然と座って過ごすくらいなら、暇つぶしにはなるだろう。
俺自身は、その程度にしか思わなかった。
部下がそっと耳打ちするまでは。

「ここ、護衛対象01の行きつけですよ」
「連絡を取っている様子は無かったはずだが」
「偶然でしょう。03が確固とした足取りでここを目指したようには思えません」
「なるほど。俺は今から有給を取る。いいな」
「先方も1人有給を取ってもらいましょう」

ここで一計を案じた俺たちは、仮にそれで首が飛んでも構わない心持ちだった。
彼自身がまるで導かれるかのように手にした幸運のチケット。
それを紙切れにするくらいなら、それこそ死んだ方がマシだ。

「こちらチーム03リーダー。01リーダーに」
「はいはい、こちら01リーダ−。仕事じゃなくプライベート回線なんて穏やかじゃないわね」
「それくらい火急の案件だ。とっとと有給を取れ」

少女の護衛に付いている女性陣――さすがに異性の護衛は護衛側・被護衛側共に憚りがある――に繋ぎをつける。
用件は手短に、なぜなら機を逸すれば水泡に帰す。

「わかったわ。でも」
「なんだ」
「珍しく気が利くじゃない」
「寝言は寝て言え」

回線を一方的に切る。
あいつは公私を混同するきらいがあるから面倒だ。
そのくらいがちょうどいいのかもしれないが、あっちの首が挿げ替えられるのもそれはそれで困る。
「01リーダーも有給」そんな話が出たようだが、運用上遡って日付は昨日。
それは俺も一緒。
だからこれはオフィシャルじゃない。

***

一方的に切られた携帯をポケットに突っ込み、さも今気がついたという風に少女――綾波レイちゃんに話しかける。

「そういえば、その本の貸出期間今日までじゃなかった」
「そうだったかしら」
「間違いなく」

本当は明後日だ。
わかった上で、私はそんな話を振った。
だってそこには、彼がいるの。
口にはしないけれど、この機を逃すわけにはいかなかった。
堅物で融通の利かない面白味のないだけの男が、切羽詰まって電話で急かすのだ。
このチャンスは二度はない。

本人たちにはよく思われていないのはわかっている。
それでも四六時中行動を共にすれば、多少なりとも情は湧く。

だからこれは、ただの偶然、ただの怠慢。
護衛対象が不意に通常と異なるルートを取ったため、本人に注意を引かれて相互連絡ができなかった護衛のミス。

だから報告もしない。

「せめて、ただの民間人として」

それは、エゴを押し付け、鎖をつけた、大人たちの罪滅ぼし。

「暇つぶしに読書、実に健全、異常性は認められない」

報告書には、そう書いておくことにする。
あの男も同じ考えなのだとしたら、この世の中も案外捨てたものじゃないのかもしれない。

目的地に着けば、あの男が待ちかねたように声を掛けてきた。

「03と01をどうにか接触させたい」

この男、まさかここに来てノープラン?
これだから信じられないのよ。

そんな話をしている内に、彼女は「このシリーズの次の本がない」なんて言い出すし。
ちょっと、それどころじゃないわよ。気づいて。
しかしながら、運命の糸車というものは私たちの及びもつかないところで回転しているらしく、レイちゃんが探していた本はシンジ君が持っていたというのだから驚きよ。
問題は、その本が――実に当然の成り行きとはいえ――司書さんを通して渡されたことだけれど。

ああ、ああ、帰っちゃうわよ。レイちゃん、後ろ後ろ。

あのスカポンタン、少しは足止め位しなさいよ。
見直して損した。

しかし、シンジ君はスカポンタンと違って目端が利くのか、明らかにレイちゃんに気づいて足を止めた。
声を掛けようか逡巡していることが手に取るようにわかる。
こらえかねた私は、ついにはレイちゃんの袖を引いて指さしてしまう。

「あれ、同い年くらいじゃない」

我ながら、白々しい。隣にいる部下もあきれ顔だ。
やめて、そんな「あーあ、姐さんやっちゃった」みたいな視線を送らないで。

「碇君?」

「綾波?」

少年が答える。

功を奏した。このときほど安堵を覚えたことはないわ。
そこのウドの大木、やれやれなんて肩をすくめる資格、少なくともあんたにはないから。
レイちゃんが近づいていく。その躊躇いのなさ、私は好きよ。

「明日も、来る?」
「あ、うん。来るつもりだよ」
「明日、ゆっくり話をしましょう」

そう言ってチラリとこちらを一瞥した彼女に肯定の意を込めてうなずいておく。
偶然、2日続けて図書館に通うくらい、おかしくはない。
なんなら、1ヶ月通い詰めても、適当な小説家の名前を並べて「彼女は純文学にご執心」と一筆書けばそれで終わり。なにも問題は無い。
だからね、レイちゃん。
そんなに何度も図書館に視線を送らなくても、あなたはまた来ていいのよ。
それが彼に会うためだけだとしても。

***

無事少女との再会を終えた、少年の背をぼうっと見つめる。

「図書館、明日も来るから」

それに思わず「いいぞ」と言いそうになるのを、奥歯を噛みしめてぐっとこらえる。
いいか、ここで俺たちはなにも聞いちゃいない。よしんば聞いていたとしても、俺は休暇中。報告義務はない。
彼はなにも言葉にしなかった。
それがきっと、少年にとって一番都合がいいのだ。
こちらの気持ちは1ミリも伝わっていないと思うが、彼の表情がふっと柔らかくなり、今度は彼女の背中に向けて、言葉を発した。

「また明日、必ず来るよ」

その声は、今までで聞いてきた中で一番生気に溢れていた。


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