連作SS:ミルフィーユ外伝2

                     「Moonlight Cocktail」

                                         Written by史燕






―カランカラン―
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
「……こんばんは」
「今日もお二人ですね。カウンターへどうぞ」

今日もまた、綾波さんと碇さんがご来店されました。
あれからもう6年が経ちました。

実は私の喫茶店、夜はお酒も出すようになりました。
と言いますのも、あの一連の事件の後、葛城さんという綾波さんたちの上司に当たる方がご来店されたのですが、メニューを一瞥された後に「紅茶にブランデーは入らないんですか?」と、
至極残念そうにおっしゃられたので、夜限定でお酒を出すようにしたのです。
それがあれよあれよという間に、軽食メニューにおつまみがプラスされ、お酒も何種類も置くようになり、気が付けば昼は純粋な喫茶店、夜は大人向けにお酒も出るカフェバーとして営業しています。
ここだけの話、甘いものが苦手な方もバーとしてお酒をたしなまれるので、お客様の裾野が大変広がり、喫茶店だけだったころの売り上げの倍以上の収益を上げるようになりました。
もっとも、お客さん自体がそんなにどんどんいらっしゃるわけではありませんので、細々と営業を続けていくうえで、お出しするメニューを少しずつ増やしているというのが現状です。

綾波さんたちも、数年前からお酒も飲めるようになりましたので、夜にいらっしゃるときには、そちらをお出しすることもあります。
基本はお二人でいらっしゃるのですが、たまにご友人や同僚の方といらっしゃることもありますし、葛城さんといった少し年の離れた方ともいらっしゃることがあります。

「今日は、なにかご希望はありますか?」
「……いつも通り」
「僕も、同じように」

「いつも通り」というのは、私にお任せでおすすめをということです。
お二人は、ビールが、ウイスキーが、といった感じではなく、お酒の好みは軽めのカクテルを好まれます。前後不覚になるほど泥酔されず、軽いほろ酔い気分で楽しまれるのです。
というのも、「泥酔する大人の介抱って大変なんですよね」「……お酒を飲みながら話すのが好き」とそれぞれ複雑な理由があるようでして、私のほうも、その日のカクテルについてエピソードを語りながら、
店内に流すBGMについて感想をいただいたりと、三人で会話を楽しませていただいております。

「それじゃあ、今日はムーンライト・カクテルを試していただきましょうか」
「……ムーンライトカクテル?」
「ええ、ムーンライト・カクテルです」
「それって、確かジャズの」
「よくご存じですね。とても古い曲なんですが、私はちょうど直撃世代でして」

ちょうど、レコードもありますから、こちらも聞いていただきましょう。
奥のレコードプレイヤーに、棚の中のレコードを1枚取り出し、セットします。
すると、ゆっくりとレコードが回転して、店内を陽気な音楽が満たしていきます。

【ムーンライト・クーラー】
“Couple of jiggers of moonlight and add a stars”
(二組のジガーに月の光と星を入れます)

私もレコードに合わせて、歌詞を口ずさみます。
もう何万回と聞いた曲ですが、やはり大好きな曲ですから。

“Pour in the blue of a June night and one guitar”
(6月の青い夜空と、ギターを注ぎます)

二つのジガーにアップルブランデーとレモンジュースと砂糖を入れます。
一つはお二人の分、もう一つは私自身が楽しむ分です。

“Mix in a couple of dreamers and there you are”
(夢見る二人に混ぜ合わせ、はいどうぞ)

ジガーをシェイクして、氷の入ったグラスに注ぎます。

“Lovers hail the Moonlight Cocktail”
(恋人たちはムーンライト・カクテルを喜びます)

最後にソーダを注いで、さあどうぞ。

私は完成したカクテルをお二人に渡します。

「さあ、まずは一口どうぞ」

「……いただきます」
「いただきます」

「いかがですか?」
「とても飲みやすいですね」
「……甘くて、おいしい」

「気に入っていただけて良かった」
「実は、曲名通りのムーンライトカクテルという名前のカクテルはありません。むしろ、今日は店内に流したい曲から今日のお酒を考えていて、ムーンライトにちなんだお酒をご紹介します」

お二人には秘密ですが、ムーンライトカクテルは、お二人にぴったりの曲だと思います。
恋の駆け引きや、大切な部分を、歌詞に載せてご紹介したものですから。

「最初は軽く、ロングカクテルから。こちらは、ムーンライト・クーラーというカクテルです」
「……ほんとに飲みやすいわ」
「ええ、こちらは、有名ではありませんが女性の方にもファンが多いんですよ」
「最初は、ということは、ほかにもあるんですね」
「もちろん、次からは強いカクテルですから、ほんとに少しずつお出ししますが」

私の分の代金は実費、お二人も二杯で一杯分です。
少しずつお楽しみいただきたいので。
お二人は酒豪というわけではありませんから。

さて、グラスが空にならないうちに、次のお酒をお出ししましょう。

【キス・イン・ザ・ムーン・ライト】
“Now add a couple of flowers, a drop of dew”
(二輪の花を加え、露をひとしずく)
クレームドフランボワーズとクレームドカシス、オレンジジュースをジガーに入れます。

“Stir for a couple of hours ’til dreams come true”
(二時間くらいステアしましょう、夢がかなうまで)
グレナデンシロップを忘れず入れて、ジガーをシェイクします。

“Adds to the number of kisses, it’s up to you”
(キスの数を加えましょう、お好みの数だけ)
シャンパングラスにジガーの中身を注ぎます。

“Moonlight Cocktail, need a few”
(ムーンライトカクテルに必要ですから)
最後にソーダを注いだら、これで完成、お味はいかが?

「こちらはキス・イン・ザ・ムーンライトです。さあどうぞ」
「……いただきます」
「いただきます」

二人がそろってこくり、とシャンパングラスに口をつけます。

「あっ、甘い」
「……さっきのよりもずっと甘いわ」

二人とも、先ほどよりも強い甘みに驚かれています。

「ふふふ、なにせそのカクテルには、恋人たちのキスが必要とされていますから」

直訳すると“月の下でのキス”。それはもう、あまいあまーいお酒なわけです。

「……それにしても、びっくりするほど甘いわ」
「マスター、お水ください」
「やっぱり、少し甘みが強すぎましたか」

私は水と一緒に、チーズの盛り合わせも運びます。

「このカクテルは、少し癖の強いチーズなんかとよく合うんですよ」
「……なるほど」

「ふう、ちょっと強烈でした」

碇さんが、ごくごくと水を飲んで言います。

「チェイサーを先にお渡しするべきでしたね」

そういって、私は彼のグラスに二杯目の水を注ぎます。
そして、切り分けておいたハムを皿にのせて、二人の前にお出しします。

「こちらもどうぞ。少しずつつまむとちょうどいいですよ」
「ありがとうございます」
「それでは、私は次の準備をしましょう。」

【ムーンライト・キス】
“Cool it in the summer breeze”
(夏のそよ風で冷やして)
ゴブレットにクラッシュドアイスを詰めて冷やします。

“Serve it in the starlight underneath the trees”
(星の輝く木々の下で出しましょう)
バイオレットフィズ、ホワイトキュラソー、パイナップルジュース、レモンジュースを混ぜてシェイク。レモンジュースは少なめに。

“You’ll discover tricks like these”
(こんな魔法が見つかるはずです)
ゴブレットに注ぎ、ソーダで満たして軽くステア。

“Are sure to make your Moonlight Cocktail please”
(ムーンライトカクテルが完成していますから)
レモンスライスを飾ってどうぞ。

「はい、できましたよ」
「……今度はどんな味かしら」
「きっとまた驚かれると思いますよ」

二人そろってグラスに口をつけます。
碇さんは先ほどのがよほどきつかったのか、恐る恐るといった感じですが。
逆に綾波さんは、グイっとためらいなくグラスを傾けます。

「あれ、これって」
「……どう表現していいのかしら」

お二人とも、二度、三度とグラスを傾けます。
香りと味を確かめるように口の中で転がしながら。

「不思議なお味でしょう」
「ええ、甘いというかすっぱいというか」
「……ほんとに、不思議」

「ムーンライト・キスという名前のカクテルです」
「甘くて酸っぱい、初恋のようなカクテルです」

こちらは同じキスでも“月明かりのキス”。

「ファーストキスの味って、覚えてらっしゃいますか」

私がそう水を向けると、二人そろって顔を見合わせます。
さて、からかうのはこのくらいにして、次のカクテルへと進みましょうか。
そう思いつつも、口元がにやけるのを止められないので、たまらずムーンライト・キスを口に運びます。

【ムーンライト】
“Follow the simple direction and they will bring”
“こんな簡単な手順でもたらされるのは”
ドライ・ジンに白ワイン、グレープフルーツジュースを同じ量用意します。

“Life of another complexion where you’ll be king ”
(あなたを王様にする人生の新たな一面です)
これらとキルシュをジガーに入れ、よく混ざるようにシェイクします。

“You will awake in the morning and start to sing”
(あなたは朝目覚めると歌いだしてしまうでしょう)
大きめのカクテルグラスには、レモンピールをいくつか入れておきましょう。

“Moonlight Cocktail are the thing”
(ムーンライトカクテルはそんな不思議なものなのです)
シェイクが終わったジガーの中身をカクテルグラスに注ぎます。

「こちらが最後のカクテルですね」
「手に持っただけでさわやかな香りがわかりますね」
「……きれいな色」
「おや、今日はよくできたみたいですね」

そういいながら、私もグラスを持って香りを確かめます。
確かにいい香りです。きれいな白色は見ていて気持ちがいいくらいです。

「いただきます」
「……いただきます」

二人ともゆっくりと口をつけます。

「これも甘いけど、さわやかな酸味がしますね」
「……飲んでいてすっきりするわ」

「飲みやすいですからね。ちょっと強めのカクテルですから、気を付けないといけませんけど」

そんな私の注意も耳に入っていないのか、二人とも何度も繰り返しグラスを口に運びます。
追加で水を用意しましょう。

「うう、少し頭が痛くなってきました」
「はは、飲みすぎですよ」
「……碇君、お水」
「ありがとう、綾波」

酔った碇さんを、綾波さんがかいがいしく世話をします。
やっぱりお似合いなんですよね。

「もういい時間ですね。そろそろお開きにしましょう」
「ありがとうございました」
「……おいしかった。ごちそうさま」
「いえいえ」

律儀にお礼を言うお二人に今日の感想を尋ねてみます。

「お二人は、今日のどのお酒がお好みでしたか」
「ムーンライトですかね。とても飲みやすかった」
「……私は、ムーンライト・キス。とても不思議な感じがした」
「それはよかった」

私は窓の外を見ながら言葉を続けます。

「今日はいい月夜ですからね」
「ちなみに、『ムーンライトカクテルは恋人たちに喜ばれます』ってお話ですよ」

お二人が真っ赤になって顔をお見合わせになったのは、何もお酒のせいだけではなさそうです。


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