屋内で揺れる黒と蒼
Written by史燕
「えっ、今日はお昼までなんですか」
玄関に貼り出された「本日は設備点検のため十二時までの開館とさせていただきます」という表示を見て、少年は言った。
いつも通り本を貸借する名分を用いての限られた逢瀬。
やむをえないとはいえ、声にははっきりと落胆の色が見えた。
しばらくして合流した少女の方も「早めに帰らないといけないですよね」と明らかにがっかりした様子だ。
どうにかしてやりたいが、施設側に無理を言うわけにも行かない。
そんなことを考えていると、01の方が口を開いた。
「ところで、シンジ君とレイちゃんに訊きたいんだけど。ドーナッツ、好き?」
「お前、いきなり何を言い出すんだ」
「アンタには訊いてないわ」
それはそうだが。
いや、何か考えがあるのか。なら大人しく話の流れに任せよう。
「僕は好きですよ。最近食べていませんけど」
「私も、あまり食べたことは無いけど」
二人とも、不自由をさせてしまって本当に申し訳ない気持ちになってくる。
「そう、じゃあ決まりね。いい場所を知っているのよ」
ヤツの提案で、次の行き先が決まった。
* * * *
四人で向かったのは、ありふれたドーナツのチェーン店だった。
俺はあまり縁がなかったが、手頃な価格で差し入れにも重宝する、そんな店だ。
まあ、昼食代わりにしてもおかしくはない。
そんな感じだ。
「学生時代、よく来たのよ」
そう言う彼女は、普段の仕事とは少し違う表情をしていた。
なんて、今も仕事中なんだがな。
各々コーヒーとドーナツを二つずつ確保して、二階席へと上がった。
「このお店、他のチェーンとは違って二階席ならいくらいても追い出されないから、本当に毎日のように通ってたわ。むしろ賑わっているように見えて店にも都合がいいらしいの」
言われてみれば、確かに周囲には学生が多い。
学校帰りなのか女子高生の四人組や塾までの時間潰しに見える参考書を積んだ男子生徒。
おまけにボックス席に並んで座る明らかなカップルなど、平日午後に二人を長居させても不自然にならなさそうだ。
「せっかく席が空いているのだし、広く使いたいわよね」
そんなことを顔色一つ変えずに言って、若い二人をボックス席に押し込み、俺たちはその二つ先の席に座った。目は届けども声は聞こえない、そういう按配だ。
「ここに居る店員も客も、道を行く人も、誰も二人を危険人物だなんて思いもしないのに」
天使のフレンチとかいうクリームたっぷりのドーナツを口に運びながら憂いを帯びた目で言う目の前の女に、思わず声を失った。
この二人のことをどうにかしてやりたいのは、俺だって一緒だからだ。
「ままならないな」
オールドファッションを口に押し込みながら言った。
「真ん中に穴が空いたドーナツよりも、頭の中が空っぽなのかもな」
ただの仲の良い恋人同士。
それがありもしない世界滅亡への恐怖で引き裂かれている。
老人達のエゴ。それが権力というものなのだろう。
「ちょっと、それはドーナツに失礼よ」
「それはたしかにそうだな」
一つ先の席では、二人でお揃いのドーナツを頬張っている。
俺の若い頃にはなんとからいおんとか言って、マスコットキャラがCMに出ていたお菓子だ。
そんなささやかな楽しみを味わうために、これだけ面倒な彼是を掻い潜って立ち回らなければならないとは、まさに不条理の極みと言える。
「権力なんざクソ食らえさ」
「ちょっと、ここ飲食店よ」
「ああ、そうだった」
思わず育ちの悪さが口に出る。
学校に行って、友達と遊んで、先生や家族への他愛のない文句を言いながら下校する。
好きな相手は誰かなんて茶化し合って、いずれは告白だデートだなんて騒いで、実際に経験する。
この子達にはそれが許されないのだ。
なんて理不尽なことかと思う。
何も悪いことをしていない、ただ大人達の都合に振り回されただけなのに。
「ガムシロップ入れたのに、甘くなんかありゃしない」
「ちゃんと二つも入れてたのに、もう歳?」
「そういう意味じゃない」
「わかってるわよ。でも、そうカリカリしなくても、十分幸せそうよ。今の二人」
たしかに、和やかに談笑しながら、時折揺れる黒と蒼。
あの子達が笑っていられるのなら。
あの子達が納得しているのなら。
「また、連れてきてやりたいな」
「ええ、何度でも一緒に来ましょうよ」
コーヒーを啜りながら、そんな約束とも言えない約束をする。
この子達のためなら、ちょっとばかり融通を利かせるくらい、なんてことはない。
そろそろ日も沈むという段になってきたので、伝票を持って席を立つ。
ひとまず支払って、経理に回せば補填される形だ。
「片方はこっちが持つわよ」
伸ばしてきた手からひょいと伝票を逃がした。
「ツーペアだとおかしくないが、時間が一緒じゃ監査でバレるからな」
「じゃあ、どうするのよ」
「俺たちの分は自分で持つさ」
「ちょっと、自腹を切るの?」
「まあ、そうなる。あの二人をここでさよならさせる方が可哀想だろう」
こちらのそろそろ帰らないといけないという雰囲気を察してか、名残惜しそうに身支度を始めた二人を見る。
目の前のヤツも「そうね」と、とてもここでお別れなんて言い出せないことに同意した。
「でもそれだと昼から夕方までここに居た二人分の居場所を証明できない計算になるわよ?」
「それじゃ、二人を送ってからまたそっちがここで頼めばいい」
「だれと?」
「だれでもいいじゃないか」
別に一人で二人分食べて貰ってもいいのだが、まあそこまでは言う必要は無いだろう。
「じゃあ、アナタも付き合いなさいよ」
「なんでだよ」
もうドーナツは食べ飽きたのだが。
なんなら業務終了後だから好きにして貰って構わないのだが。
「誰でもいいならアナタとでもいいでしょ。どうせ経費にするんだし」
「まあ、特に予定は無いけどな」
そんなこんなで、二人を送った後にとんぼ返りすることが決まった。
あまり間を開けず、一時間くらいで伝票が欲しいからな。
そのことを道すがら子供達に話すと「やっぱりそうなんですね」「お二人とも楽しんでください」となぜか応援されてしまった。
なんのことかはわからないが、隣を歩く方は「ええ、がんばるわ」と言っているから、きっと俺の知らないところで通じる物があるのだろう。
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